F-361:自由訳「OODA」 <vol.7;「OODA」の本質とコーチングの真髄>

 

 「OODA(ウーダ)」という概念を御存知でしょうか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

 Wikipediaで「OODA」を検索すると、「OODAループ(OODA Loop)」にjumpします。

 そこには「意思決定と行動に関する理論」とあり、「元々は軍事行動における指揮官の意思決定を対象としていたが、後にこれに留まらず、官民を問わずあらゆる個人の生活、人生ならびに組織経営等において生起する競争・紛争等に生き残り、打ち勝ち、さらに反映していくためのドクトリン、そして創造的行動哲学となった」と書かれています。

 

OODAループ(Wikipedia)

OODAループ

Wikipediaより引用

OODAループ - Wikipedia

 

 

 苫米地式認定コーチとして、「OODA」について自由に考えてみました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 vol.1Observe

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34753761.html

 vol.2Orient

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34805412.html

 vol.3Decide

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34856133.html

 vol.4Act

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34906708.html

 vol.5;コーチとして思う「OODAループ」の正体

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34957491.html

 vol.6;「OODA」とは〇〇〇そのもの ver.2

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/35009043.html

 vol.7;「OODA」の本質とコーチングの真髄

 

 

 ここまで「OODA」について自由に考察しながら、生命力(vol.5)や超瞑想(vol.6)との関連をまとめてみました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 その間、私が強く感じていたのが自由。自由に「OODA」を考察していたら、自由そのものがクリアになった という感じです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html

 

考察の仕上げとして、その感覚を言語化します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14120540.html

 

 まずは苫米地博士の言葉の確認から。以下、「苫米地英人、宇宙を語る」(角川春樹事務所、p105)より引用します。

 

 

苫米地英人、宇宙を語る

 

 

宇宙が教える自由の意味

 これまで、なぜ宇宙が生まれたのか、ということがわからなかったのは、物理学がその“なぜ”を扱う学問ではなかったからです。

 しかし、これからの物理学は、その“なぜ”を扱わないと成り立たないのです。

 大学で量子力学を学ぶときに、最初に習うのが不完全性定理です。すでに説明したように不確定性があるのは観測者がいるからです。

 そして、ビッグバン理論を見てみると、すべて波動方程式で記述されています。その波動方程式は不確定性を前提としたものです。

 では、ビッグバンを観測していたのは誰なのか。そこがつまり、“なぜ”にあたるわけで、それを考えていかなくてはいけないのがこれからの物理学です。

 ただ、この本では、「未来の我々」とすでに答えを出しているのですが。

 

 また、不完全性、不確定性などに基づいた新しい宇宙の見方がわかってくると、物の見方も変わり、私たちは様々な問題への答えを得ることができるようにもなります。

 例えば、“自由とはなにか”。こうした哲学的な問題にも言及することができるようになるのです。

 なぜなら、人の歴史は確定的宇宙論、機械論的宇宙論の中にずっとあったわけで、そこでは答えは見つけられないのです。不完全性、不確定性の獲得は人々にとっては自由意思の獲得の戦いでもありました。

 教会対コペルニクス、といってもいいでしょう。権力を持ったらずっと持ち続けたいし、ビッグバン以降の玉突きのからくりは教会の法王だけが知るものである。

 それを信じさせたい人々、権力者にとっては、時間は過去から未来へ流れるという解釈が嬉しいですし、宇宙は確定的であってほしいのです。

 一方、その考えに縛られてきた人々は常にそれと戦い、自由意思を獲得しようとしてきたのです。

 では、自由意思とは一体どんなものなのでしょう。

 一つは、ランダム性があることです。完全ランダムが完全自由ということですが、残念ながら完全はありません。これまでの話でもわかるように完全はないのです。

 ですから、ランダム性(乱数性)がより高い状態というべきでしょう。

 コーヒーか紅茶を選択するのにコインを振って二者択一するのに、表と裏が完全対称なコインなど存在しません。つまり、乱数性が低い=自由意思性が低い、ということになります。

 しかし、スーパーコンピューターにでもアクセスすれば、より高い乱数性が得られることになり、自由意思性が上がります。

 もう一つが、階層性を利用するということです。

 ランダムとオーダー、無秩序と秩序の間には複雑性のレベルの上がる場所があります。それがカオスの縁(エッジ・オブ・カオス)、つまりカオス状態です。

 例えば、東京タワーからハンカチを落とす場合、その落下はランダムで予測不能です。しかし、そこにある一定の風という要素を加えると、つまり「風」という情報を持つ一つ上の抽象度から見ると、パターンが抽出される可能性がでてきます。

 このように、ある抽象度ではランダムに見えることも、一つ上の抽象度ではランダムでなくなる。

 言い換えれば、その空間よりも上の抽象度の空間に上がれば、下の空間から見るとランダムであるけれども、上の空間では整合的な選択ができるということになり、自由意思が獲得できるということなのです。

 自由とは何かを物理的に定義すると、カオス状態の中にエッジをつくり上げ、そのつくり上げたエッジのパターンに従って選択すること、ということになります。

 ですから、自由に生きていきたいのなら、今より抽象度を上げ、高い視点から俯瞰的に世界を見ればいいのです。

 引用終わり

 

 

 苫米地博士がまず取り上げられているのが「不完全性」「不確定性」。それらに基づいて「OObserve」し、そこから「OOrient」することの重要性を説かれています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

 ここでいう「OOrient」とは、「カオスの縁(エッジ・オブ・カオス)」から、さらに高次の抽象度次元に上がること。その上で「高い視点から俯瞰的に世界を見る」という「OObserve」ができることが「自由(意思)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 ただし、ここでの「自由」、「OODA」でいうと前半の「OO」はシンの自由ではありません。博士が「自由とは何かを物理的に定義すると」と書かれているとおり、あくまでも情報空間の底面である物理空間にフォーカスした上での自由の定義です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 英語で表記すると「freedom from」。それは「背景に束縛や制約がある」ことを前提とした上での自由。物理空間でいうと、「物理法則(という束縛や制約)」があることを前提とした自由です。

よって、その方向性を釈迦哲学で考えると、「空観」を自由とみることができます。

 

 その「freedom from」という自由に対して、「liberty to」という自由があります。

 

語源でいうと、「free」は古英語の「freo」に由来し、「束縛や拘束がなく、義務を免除された状態」という意味だそう。つまり、「~しなくていい」ということ。

一方、「liberty」はラテン語の「libertas」が語源で、「選択や行動・発言の権利が保障された状態」という意味。こちらは「~していい」ということです。

 

 「OODA」でいうと、(「OO」ができている前提で)選択という「DDecide」を行い、ちゃんと実行「AAct」することが「liberty to」。それは「束縛や制約」が幻だとしっかり理解した上で(空観)、あえて物理法則等の制約を自分で選択すること(仮観)だといえます。抽象度でいうと、下がる方向性です。

 

 この2つ、すなわち「『OO』『freedom from』=空観」と「『DA』『liberty to』=仮観」の2つが同時にできてシンの自由といえるはず。だから、「『OODA』=中観 =自由」と理解することができます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 著書「ドクター苫米地の新・福音書」(講談社、開拓社から再版)の中で、苫米地博士はこのように書かれています(p176)。

 

 

新・福音書

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 私の考えは、ゲーデルと半分同じ。でも、重要な部分で異なっています。「内部表現宇宙には外側がある」もしくは「理性」を超越できる可能性はある。ただ、ゲーデルが閉じた系の内側にいながら不完全性定理を発見できたのは、その外側の神から情報をもらったからではない、そう考えています。不完全性定理は宇宙の基本原則だから、宇宙をメタ(高次元)に思考できれば、発見できて当たり前。メタに思考するとは、自らが系の外側に出ることに他ならないと思うのです。それが、我々の自由意思だと、私は捉えています。

 引用終わり

 

 

 メタに思考するとは、自らが系の外側に出ることに他ならない

 

 これが「OODA」の本質。そして、これがコーチングの真髄です。

 

 

 コーチングのコアは「ゴール」と「ゴールの設定」。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 本物のゴールを見つけるためには、まずは自分という“殻”を抜け出さなければなりません。“殻”とはブリーフシステム(Belief SystemBS)のことであり、これまでの人生で築き上げてきた「」のことです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 

 ところが、BSや「」の外、すなわち「現状の外」にゴールを設定することは簡単ではありません。私自身はコーチの存在なしでは不可能に近いと思っています。

 L-10020218月レクチャー… -02;ゴールの基本条件(「頭のゴミ」を捨てるver.

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/31184436.html

 

 *その理由は↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

 だからこそ、メタに思考する」ことで「自らが系の外側に出る」!

 

 シンプルに考えると、「OODA」とは「メタ思考」のことです。「OODAメタ思考」の観点でコーチングを考えると

 

系の外側」に飛びだした自由な意識状態で得た「オラクル(Oracle)」をゴールとして、新たな世界(宇宙、w2)を生みだす

 

 これがコーチングであるはず。

 L-142202111…-05;人の成長(人間形成)や進化・向上は情報空間で起こる

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/33383147.html

 

 ならば、コーチングを重ねた先には、どのような世界(宇宙)がひろがっているのでしょう?

 

F-362につづく)

 

 

苫米地式コーチング認定コーチ     

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

ならば、コーチングを重ねた先には、どのような世界(宇宙)がひろがっているのでしょう?

 

 再度「苫米地英人、宇宙を語る」より引用します(p181)。苫米地博士が語られる「宇宙の美しさ」を感じてください。Feel

 

 

エピローグ

 本書では宇宙を語りましたが、これは、皆さんが目の前の宇宙をほんとうに見られるようにする手助けに過ぎません。

 かつて、釈迦は、悟りについて「私の指ではなく、指が指しているものを観なさい」と語りました。

 「宇宙」や「空」が語られ、理解されても、それらの経や理論が理解されても、指している「そのもの」を圧倒的な体感で観ることができなければなりません。

 同様に「自我」をどんなに徹底的に定義しても -例えば、自分の両親が誰々とか、卒業した学校がどこどことか、職場や、好きな食べ物など、いくらでも定義できます- そのどれもが「自我」そのものではなく、「自我」に関わることに過ぎません。

 「自我」を観ることが「宇宙」を観ることと、本質は同じであるということは、いろいろなところで語ってきたとおりです。

 

 本書を読み終わった皆さんにこれからやってもらうことは、本書を知識の指針として、まずは、その指が指し示す目の前の宇宙「そのもの」をしっかり観てもらうということです。

 更には、自分自身をしっかりと観てください。

 それらを徹底的にやってもらえてはじめて、私が語りたかった「ほんとうの宇宙」が見えてくるはずです。

 そして、宇宙の美しさを共にしっかりと観ましょう。

 引用終わり

 

 

-告知1

今年度のオンラインセミナーは、コーチング募集開始前の「コーチング説明会」として開催します。次回は2025年2月下旬開催の予定です。約1ヶ月前にこのブログで御案内いたします。

 

 

-告知2

 クラブ活動をはじめました。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。

一緒に楽しみましょう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html

 

 

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