F-319:観自在 <理論編-2;自在を観る>

 

「観自在」には2つの意味がかけられています。

 1つは「自在観る」、もう1つは「自在観る」。前者は「自分という存在を観る」、後者は「自由自在に観る」という意味です。

 よって、「観自在」は「自分という存在を自由自在に観る」

 

今回は理論編(計3回)と実践編(計5回)に分けて、「観自在」を探究していきます。最後(応用編)は、これからますます重要となる「“正しい情報”の見極め方」の考察です。

 F-281~:「社会が変わってしまう」 ~あるワクチンの話~

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 理論編-1観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

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 理論編-2;自在を観る

 

 

 今回のテーマは「自在観る」。

 「自分が在る(こと/ところ)を観る」=「自分という存在を観る」ことは、決して簡単ではありません。「人はとかく、自分というものを絶対視しがち」だから。そう、ブリーフシステム(Belief System)のこと。

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 そのブリーフシステムが、無意識下で、自らの限界を作っています。

 L-09820217… -10;イマジネーションによって限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得していく

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 以下、苫米地博士と博士の師僧 荒了寛先生の対談本第1弾「悟りの教科書 『煩悩力』を生かせ」(集英社インターナショナル、p107)より、5回に分けて引用します(苫米地博士の言葉を青色で表記)。まずはこちらから。

 

 

「何ができるか」ではなく「何をしたいか」を自問しよう

『法華経』が教えるように「悉有仏性」、つまりすべての人間には悟りに達することができる潜在能力があるわけです。その自分の中の「仏性」なり可能性なりを引き出すための手段として智顗は「止観」という方法を私たちに教えてくれているのです。

苫米地 私がいつも読者に対して訴えかけているのも、まさにそのことなんです。

 今の若い人たちは「自分には何ができるのだろう」「何が向いているのだろう」といつも迷っていて、自分探しをしたりしているけれども、その問題設定そのものがおかしい。

 そもそも人間は本質的に何にでもなれる可能性を秘めている。あらゆる方向に進むことができるはずなのです。

 それなのに「私は何をすべきか」とか「何に向いているのか」と最初から自分の可能性を狭く捉えてしまって考える人があまりにも多い。それはとてももったいないことだと思いますね。

 引用終わり

 

 

 問題設定そのものがおかしい」は、ディベートでいうところの「インヘレンシー(Inherency)」。それが「多くの人が誤った『自分探し』に陥ってしまう」ことの原因です。

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 「問題設定そのものがおかしい」は「大切な事実がスコトーマに隠れている」ことで起こります。その事実とは

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 そもそも人間は本質的に何にでもなれる可能性を秘めている。あらゆる方向に進むことができる

 

 博士のこの言葉を素直に受け入れることができますか?

 もしもできなければ、社会の価値観に毒されてしまっています。

 (「社会の価値観」の一例はこちら↓)

 F-153~:チャリティーマラソンで走った人が走った分だけ募金するシステムは

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 ところで、苫米地博士にサインを書いてもらったことはありますか?

 

 あるという方は、ぜひ博士が書かれた言葉を再確認されてください。おそらく「止観明静」か「一念三千」と書かれているはず。

 その「一念三千」という言葉には、苫米地博士のこんな思いが込められています。

 以下、「悟りの教科書」(p109)からの引用です。

 

 

誤解されている「空」の概念

あなたが今いった「人間にはあらゆる可能性があるのだ」ということは、実はこの『魔訶止観』で智顗が最も強調していることでもあります。

苫米地 それが「一念三千」ですね。私も人からサインや色紙を頼まれたときに、この「一念三千」という言葉を最近はよく書いています。

 では、智顗の言っている「一念三千」とは何か。

 その正確な内容については、荒先生からご説明を願いたいと思いますが、その前段階として読者にぜひ説明しておきたいのが『法華経』における「空」の概念です。

 「色即是空」などという文句を通じて、仏教では「空」という概念が大事なのだということを知識として知っている人は日本人でも多い。

 しかし、「では『空』とは何ですか? どういう意味か知っていますか?」と聞くと、九十九%の人は「空とは何もないことです」「世の中は空(むな)しいということです」と答えます。

 だが、その答えは満点はあげられない。せいぜい百点満点のうち五十点ですね。

 引用終わり

 

 

 苫米地博士が書かれる「一念三千」には、「そもそも人間は本質的に何にでもなれる可能性を秘めている。あらゆる方向に進むことができる」という思い(気)が込められています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32365388.html

 

 まずは、「一念三千」という言葉を縁に(トリガー)、「人間にはあらゆる可能性がある」という事実を意識に上げましょう(アンカー)。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23944294.html

 

そして、「あらゆる可能性」を感じながら、同時に「空(くう)」をイメージしてください。

前回(F-318)取り上げた「般若心経」で語られている「空」とは、「何もない」「空(むな)しい」ということではありません。大乗の「空」とは

 

以下、「悟りの教科書」(p110)から引用します。

 

 

インド人が発見した「ゼロ」

初期仏教や上座部仏教の「空」(サンスクリット語のsunya)とは、虚無、ゼロ、欠如のことですから、それはまったくの間違いではないのですが、仏教ではそこからさらに虚無とは何か、空とは何かについて考察を広げていくのです。

苫米地 そもそもインド人は世界で初めて「ゼロ」を発見した人たちなので、「空」とはゼロのことであるという理解がなされていても不思議ではありませんし、今でも「すべては空しい」「世の中は夢幻」と教えるのが仏教であると思っている人が日本にも多いですね。

 たしかに釈迦は「すべての現象は心が産み出したものだ」と考えましたが、しかし、そこで生きていく価値がゼロであるとか、この世の中の仕組みはまったく意味がないとは考えなかった。だからこそ、お釈迦様は死ぬまで法を説いて回ったのですね。

ところが、初期仏教ではすでに述べたように出家して、煩悩を滅する修行生活をすることが悟りへの道だとされました。そのためもあって「煩悩を消す」イコール「空」という理解がされるようになったわけです。

 引用終わり

 

 

 すべての現象は心が産み出したものだ

  → だから「何もない」「空(むな)しいというのは小乗の空

 

 ここでちょっと昔話を。

私は幼少の頃から仏教を学び、般若心経を暗記していました。大学時代にその般若心経や空の概念について掘り下げて学ぶようになりましたが、「色即是空、空即是色」という言葉がどうしても理解できませんでした(=ゲシュタルト化できなかった)。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

 大学生~研修医時代には、論語や孫子、貞観政要といった中国の古典をたくさん読みました。とくに好きだったのが菜根譚(さいこんたん)です。毎日のように古典を読みながら新たな気づきを得ていましたが、同時にざらついた違和感も感じていました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 

 30代になると松下幸之助さんや稲盛和夫さんといった経営者の著書を読むようになり、自己啓発系の本も読み漁るようになりました。

病院長就任後は「全員が潜在能力を発揮し、楽しく働くことができる職場を実現するためにはどうすればいいのか?」と思い悩みました。先人の教えや成功論をいろいろと試してみましたが、どれもしっくりいきませんでした。

 医師となるきっかけになった「加持でがんが消える理由」についてもわからないままでした。

 PM-03-03~4最福寺 池口恵観法主に学んだ抜苦与楽の生きざま

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6854577.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7031387.html

 

 今思うと、そのすべてが「空」の理解不足によります。博士の言葉でいうと「せいぜい百点満点のうち五十点」の状態。「楽しい職場を実現したい」「生命の不思議を知りたい」といった小さな思い(小乗)が「空」の理解を妨げていたのでしょう。

 L-05220207月シークレットレクチャー -02;縁により「呪縛」は「希望」にかわる

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27587288.html

 

 以下、「悟りの教科書」(p112)からの引用です。

 

 

宇宙を作り出した「量子論的ゆらぎ」

苫米地 しかし、そうした「空」の解釈が大乗仏教になり、そしてそれが中国に渡っていく過程で大転換を遂げます。

 「空はゼロ」であるという考え方から、今度は一転して「空とは無限大である」という見方になったのです。

 一般の常識から考えると「空」が「無限大」に解釈変更されるなんてとんでもないということになるかもしれません。

 しかし、現代の量子力学ではそもそも「空虚」なるものは存在しないことが分かっています。

 というのも、かりに一定の空間からすべての物質を除去し、しかも絶対零度にかぎりなく近くしてエネルギーさえも奪ったとしても、その「虚無」の空間の中に光や熱、あるいはクォークやニュートリノなどが出現するのです。

 よく「無から有は生まれない」と言いますが、量子力学の世界では「無」から「有」が生まれるのです。

 これを「量子論的ゆらぎ」と言います。

 そもそも、この宇宙が誕生したのも「量子論的ゆらぎ」のおかげです。

 この宇宙が生まれる以前には物質やエネルギーだけでなく、時間もありませんでした。時間が流れるということは、そこには変化があるということです。変化がないところには時間はありません。そして、何も存在しない空間には変化も起きないのですから、当然、時間も存在しないのです。

 ところが、その「無」が量子論的なゆらぎによって破れたことで、時間もエネルギーも素粒子も一挙に生まれた。それが宇宙の始まりであり、その直後にビッグバンが起きることで宇宙は一気に膨張を始め、その膨張が今でも続いているのです。

 引用終わり

 

 

「楽しい職場を実現したい」「生命の不思議を知りたい」という私の小さな思い(小乗)は、苫米地博士との出会いにより、ヒーラー&コーチとしてのビジョン(大乗)へと拡大していきました。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 その理由は「ゴールを見つけたから」。

一生かけて挑戦したい、何があっても実現したい、誰にも止められない/止めさせない そんなゴールを見つけたから。

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 ひとたびゴールが見つかると、これまで「まったく関係ない」と思っていた知識と経験がどんどん結びついていきました。ゴールに向かって統合されていく感じで。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 例えば、先の引用文中の「量子論的ゆらぎ」。言葉としては知っていましたが、それがまさか空といった釈迦哲学や目の前の宇宙そのもの、さらには生命現象と結びついていくなんて思いもしませんでした。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13628437.html

 

 そんな驚きと喜びは、苫米地博士に学びはじめて10数年経った今もなお続いています。まさに無限

 

 以下、「悟りの教科書」(p114)からの引用です。

 

 

空であるがゆえに無限

釈迦は私たちの悩みや苦しみはすべて心が作り出すものであり、その実体は「空」であるとおっしゃったわけですが、それは単純に「実体がない」「価値がない」ということではなく、むしろ逆に「すべての可能性の原点が『空』にある」ということであり、それがすべての人間には悟りの可能性があるとする「悉有仏性」の思想につながるのだと思います。

 私たちは空であるがゆえに、無限の可能性がある。無限の未来がある。それを見つけなさいというのが釈迦の教えであり、『法華経』の教えであり、『魔訶止観』の教えだと思います。

苫米地 私たち人間の中にこそ、救済への可能性が満ちているという、この大乗仏教の思想は、コンスタンティヌス大帝以降のキリスト教とは対極的です。キリスト教では救いはつねに天上から、すなわち神様から一方的に与えられるもので、人間の中にはいっさい救いの可能性がない。

 そのことをキリスト教では「原罪」という概念で表します。

 旧約聖書の「創世記」で、蛇にそそのかされたアダムとイブは神の言いつけにそむいて知恵の実を食べたので、神の怒りを買い、エデンの園を追放されてしまいます。このためにそれ以来、人間は罪深い存在として、その一生を苦しみとともに過ごすことになったというのが聖書の説明です。聖書によれば、労働も神から与えられた罪だし、出産の苦しみも神の呪いだというのです。

 この原罪を解除できるのは、人間に原罪を与えた神以外にはいません。人間はいかに努力しても原罪から自由にはなれない。だからひたすら神にすがらないといけないというのがキリスト教の教えです。

 しかし、大乗仏教では煩悩に満ちた人間の中にも救いの可能性、悟りの可能性があると言う。それを思想として体系化し、修行の道筋を示した書が『魔訶止観』だと言えるでしょう。

 そして、その『魔訶止観』の中で最も重要な考えが「一念三千」というわけですね。

 引用終わり

 

 

 私たち人間の中にこそ、救済への可能性が満ちている

 

 だからこそ私たちは、自分中心を捨て去りながらゴールを設定することができます。

 Q-221:ゴール設定のポイントについて確認させてください

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27497249.html

 

 「自分中心を捨て去る」とは、自分(自我)の定義を拡張していくこと。例えば、「家族まで含めて自分と考える」→「日本を自分と考える」→「世界中を」と考えることであり、「死ぬまでが自分」を100年後→100万年後→100億年後とひろげていくことです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

 それを苫米地理論の第2世代「超情報場理論」のフレームで表現すると

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165789.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165823.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165888.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306380.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306438.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306445.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5445932.html

 

 

 全抽象度にわたって自分の存在を認める

 

 *抽象度はこちら↓

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 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 全抽象度にわたる自分の存在を感じながら、同時に、情報空間の底面である物理次元上の自分をしっかり意識に上げることが、「自在を観る」です(ハズ)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

F-320につづく)

 

 

苫米地式コーチング認定コーチ     

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

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今年度のオンラインセミナーを企画しました。9月から1ヶ月おきに、計4回開催する予定です(9月、11月、1月、3月)↓

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 クラブ活動をはじめました。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。

一緒に楽しみましょう!

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