Q-214:「ラベリングを夢の中でも行う」ことの意味 <後編:「心から望む人生を生き、安らかな気持ちで永遠の自由を迎える」ために>
今年(2021年)、新たな取り組みとしてオンラインセミナーをはじめました。
I-049:2021年度コーチング活動についてのお知らせ <第3報:オンラインセミナー>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/25412318.html
前々回のセミナー(210808)のテーマは「夢をかなえる方程式 I×V=R」。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html
セミナー中、関連するワーク「ラベリング」を紹介しました。
(ラベリングはこちら↓)
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/18456250.html
そのラベリングについて、御質問をいただきました。ありがとうございます。
質問の一部に回答いたします。
(変更を加えています)
Q:…他では、「ラベリング」の話も、早速実践しています。他の本にもあったかと思うのですが、認識に上がってきませんでした。夢の中でもラベリングするようになるというお話も興味深かったです。夢の中で見るくらい自分にとって普通であるという意図だったのか、コーチは見る夢さえもコントロールしているという意図だったかはわかりませんが、ワークを疎かにせず、コツコツ取り組んでいこうと思いました。
<前編:臨場感という架け橋>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26987122.html
<後編:「心から望む人生を生き、安らかな気持ちで永遠の自由を迎える」ために>
A:セミナーの中で、私は「夢の中でもラベリングをしている」ことを話しました。
前回は「夢の中で見るくらい自分にとって普通である」という意味であることを前提に、コンフォートゾーンやブリーフシステム、ゲシュタルトと関連付けて書きました。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html
*ゲシュタルトについてはこちら↓(「ゲシュタルトを大きくすること」やその意味についてもぜひ体感されてください)
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13628437.html
今回は「コーチは見る夢さえもコントロールしている」について。
セミナーは守秘義務なしのオープンセミナーだったため、「夜眠っているときに見ている夢」という意味で「夢」という言葉を使いました。
じつは「コーチは見る夢をコントロールしている」はそのとおり。今回はコーチング実践者向けに、もう一歩踏み込んでお話しします。
ところで、映画監督 スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg、1946年~)が「夢」について語ったこんな言葉をご存じでしょうか?
I
don’t dream at night, I dream all day. I dream for a living.
私は夜寝ているときに夢を見ているのではない。一日中夢を見ている。生きるために夢を見ている(生きる糧として夢を見ている)
Steven Spielberg(2017年)
Wikipediaより引用
…「I×V=R」はコーチングにおいてとても重要な「夢をかなえる方程式」です。
それはマインド(脳と心)の研究で明らかになった科学的事実。「I」はイメージまたはイマジネーション、「V(Vividness)」は鮮明さ(臨場感)、そして「R(Reality)」は“現実”のこと。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html
「目の前の“現実”は最も臨場感の高いイメージである」ことを示すこの方程式は、「すべて情報であり、夢と現実は差がない」ことを教えてくれます。それは「すべてが情報空間上の存在や出来事である」ということ。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html
私たちの意識は、通常、情報空間を情報量の大小(抽象度)で並べた場合の最下層(物理空間)に囚われています。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html
さらに、マナーやルールなどの決まり事や常識という社会のモノサシ、他人の視点、不安・恐怖といった情動など、複雑に絡みあう束縛によって心身ともすっかりロックされています。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12794797.html
まるで鎖でつなぎ留められているかのように
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24808708.html
それは完全な自由を奪われている状態
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html
眠っているときの深い変性意識は、そんな“現実”から私たちを覚醒させてくれます。つまり、“現実”こそが夢。しかも、他人や社会によりつくられた夢です。
F-089~:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_369873.html
その“現実”という夢を、自身の自由意思により、未来側からつくりなおしていくことがコーチングです。ゴール設定により新たな夢をつくりあげ、エフィカシーとともに現実化していきます。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5616012.html
だから「コーチは見る夢さえもコントロールしている」
…以下、認知科学者 苫米地英人博士の著書「ドクター苫米地の新・福音書 -禁断の自己改造プログラム」(講談社、開拓社から再販)より引用します。すこし長くなりますが、「プロローグ」の完全引用です。
自身が後悔しないために、そして縁ある人々を後悔させないために、博士の思いを受け取ってください。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html
御質問ありがとうございました。
引用開始
プロローグ 一生分の後悔に苦しみながら死ぬ、そんな人生を望みますか?
まず、質問です。
「あなたは夜寝ているとき、夢のなかで思い切り後悔することがありませんか?」
「どういうわけか、何となく寝覚めの悪い朝を迎えることがありませんか?」
ほぼ全員、「イエス」だと推測します。頻度の差はあるにしても、誰もが「夜寝ているときに突然、不幸感に襲われる」ような経験をしているはずです。
なぜでしょう? それは、自分の本意ではない「奴隷の人生」を生きているからです。
私が言う「奴隷の人生」とは、「他人または社会の価値観に基づいて理想を追求し、それに沿ってつくりあげた人生」のことです。そこに、自分自身はありません。自分の価値観や自分が心から望む理想は置き去りにされています。ただひたすら、他人や社会の思惑通りに生きることが幸せだと思い込んでいるだけ。だから、「奴隷の人生」だというのです。
起きて活動している間は社会的催眠にかかり、いわば洗脳されている状態。「奴隷の幸せ」で満足していられます。しかし、睡眠という深い催眠下ではその洗脳の殻を破るようにして本当の自分が顔を出し、思い通りに生きられない不幸を嘆き始めます。
社会的催眠にかかっているときは安心して幸せでいられても、その催眠は睡眠という深い催眠には勝てません。寝ているときは、社会的催眠は覚めているのです。だから、夜寝ているときに突然、不幸感に襲われるのです。
たとえば、自分はサラリーマンになりたくないのに、親の意向で就職させられた人は、とくに不満なくつつがなく、毎月給料をもらって仕事をこなしているつもりでも、夢のなかで「しまった……」と後悔しているわけです。
また、お金に目がくらんで愛のない結婚をした人は、どれほど贅沢な暮らしを楽しんでいても、夢のなかでやはり「選択を間違えた……」と唇を噛んでいるのです。
さらに困ったことに、たとえ、イヤな夢にうなされたり、寝覚めが悪くて気分が不快だったりしても、目が覚めてしばらくすればすぐに昨日と同じ洗脳状態に戻り、そのまま何となく一日が始まってしまうのです。
もし、あなたが夢の中で思い切り後悔したり、何となく目覚めの悪い朝を迎えたりすることが多いようなら、それは「奴隷の人生」を生きている証拠です。と同時に、あなたが願う「なりたい自分」「叶えたい夢」「手に入れたい幸せ」は十中八九、奴隷の頭で発想されたもの。気づかぬうちに他人や社会の奴隷になっているあなたは、自分の本当の思いを引き出せていない可能性が高いのです。
そこで、警告をひとつ。
「奴隷の人生に甘んじていると、死ぬときに後悔しますよ」-
私のこんな言葉を耳にすると、奴隷たちの多くは「あとは死ぬだけだというときに、いくら後悔したってかまわないさ」とうそぶきます。そういうところがまた、奴隷の奴隷たるゆえん。死ぬときに後悔することがどれほど怖いかをご存じないのでしょう。
「奴隷の幸せ」が寝ている間には通用しないのと同じことが、死の直前に訪れる「強烈な睡眠」時にも当てはまります。死の直前の強烈な睡眠では、すべての社会的洗脳は解けるでしょう。どんな深い催眠よりも死の眠りは深いからです。
よく「死を間近にすると、さまざまな思い出が走馬灯のように浮かぶ」なんて言われますよね? あれは、短い間に脳が超並列的に動いて、すべての記憶が怒涛の如く一気にあふれだしてくるからです。
ただし、「短い間」といっても、看取る側の人間にとって短く感じられるだけのこと。死んでいく本人にとっては、とてつもなく長い体感的時間です。というより、脳が壊れて、時間の概念が崩れていくので、内省的には死の時間は永遠に訪れないも同然なのだと考えられます。
たとえるならそれは、永遠に軸につかない接線のようなもの。すぐそこにある死のホライズンになかなか辿り着けないわけです。臨死体験をした人の中には、一生分の長い長い後悔をしてこの世に戻ってくる人もいます。戻ってこられない人の時間は、永遠に引き延ばされる可能性があります。
宗教的に言うと、それは「死後の世界」です。
となれば、「奴隷の人生」を生きた人は、死を前にした強烈な睡眠状態にあって、永遠に後悔し続けることになります。社会的催眠と言う麻薬が効かない分、後悔に満ちた人生をなぞり直すことは想像を絶するほどの苦しみでしょう。
よしんば、あの世という死の向こう側の世界があったとしても、そこで永遠に苦しむのですから、死の時間が訪れようと訪れまいと同じこと。社会的催眠をといて自由に生きなければ後悔は免れず思い切り怖い思いをしながら、果てしない時間宇宙のなかを漂うしかないのです。
あるいは、自分自身をだまして生きてきた業を背負い、あの世で地獄の苦しみを味わうことになるかもしれません。
その点、「奴隷の幸せ」ではない「本当の幸せ」を願って生きた人は、安らかな気持で死を迎えることができます。本当に自分が望む通りに生きた人生は、何回なぞり直したって楽しいではありませんか。まさに極楽です。
どうですか、私が「奴隷の幸せに甘んじていると、死ぬときに後悔しますよ」と言った意味、ご理解いただけましたか?
死の淵で苦しみ続けるなんて、かなりゾッとしませんか? そうならないためにも、一日も早く社会的催眠をとかなくてはなりません。
本書は、「いまの自分がイヤだ」と思いこんでいる、その自分とは何なのかを問いかけるところから書き起こしています。そこが、著者が「私はこんなふうに生きて夢を叶えた。成功した」といった体験談を披露する、いわゆる「夢実現本」や「生き方本」と著しく異なるところです。本書は、
「私って本当にダメ人間?」
という原点に立ち返って、他人や社会の価値観に縛られた自我を開放し、そこから本当に「なりたい自分」の姿と夢を導き出し、「自分を書き換える技術」を伝えます。
詳しくは本編で述べますが、自分自身をより高い視点から見る「抽象思考」ができるようになると、生き方や夢実現のためのノウハウなんか何ひとつ学ばなくとも、無意識のうちに「なりたい自分」「夢」「幸せ」を手に入れるべく行動する自分になれます。
その「技術」は、いくつかのトレーニングを重ねることによって、誰もが身につけられるものです。
他人の目を通して理想の自分像をつくりあげ、そこに「なりたい自分」を重ねることは、もうやめにしませんか?
社会が当たり前の価値観としている「競争に勝つこと=幸せをつかむこと」という洗脳から、そろそろ脱出しませんか?
自分が本当に望む自分とはどんな自分なのかを、自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分で発見しようではありませんか。そうして他者に洗脳された「自我」を書き換え、「幸せ」というゴールが見出されば、自ずとそこに向かうプロセスそのものを「幸せ」に感じるはず。嬉々として、日々を生きることができます。もちろん、自分をダメ人間と自己卑下することもなくなるでしょう。
自分を変えるために必要なのは、何者にも束縛されない本来の自分を取り戻し、自分本来の幸せを求めていく強い意志です。
そういうつよい意志が持てたならば、その先にはさらに、自分の関わる宇宙を超越した視点に立つための「自由意思の獲得」というゴールが見えてきます。それは、人間ならば誰にでも獲得できるもの。人類はすでに、自らの自由意思で進化できるまでに脳を発達させているのですから、すべての人がこの自由意思を持つことは可能なのです。
本書では、機能脳科学を専門とする私、苫米地英人が研究と実践を通して学んだ科学的知識、手法を盛り込みながら、
「自我を書き換えて本当になりたい自分を実現し、最終的には自由意思を獲得する」
ために必要な知識とトレーニングについてお話しします。
読み終えたら、あとは実践あるのみ。あなたは必ずや、本当の自分に目覚めて、本当の夢を追うなかで、時空を超えた幸せを実現するでしょう。すべては、
「一生分の後悔に苦しみながら、永遠に死の淵をさまよい続ける-そんなバカな人生を歩まず、自分が心から望む人生を生き、安らかな気持ちで永遠の自由を迎える」ために。
引用終わり
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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