F-176:“幸福(well-being)”とは? ~「antiwithwellpart-1;ゴールが幸福を定義する

 

「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読んだ後、医師&コーチとして考えたことをまとめました↓

F-163~:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ

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 そのシリーズでは、下記質問について考察するワークに取り組んでいただきました。

 

<ワーク>

    人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福(well-being)”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

    未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』がはじまり」といえます。そのはじまりにある“幸福(well-being)”とはどんなものなのでしょうか?

    人生の終着点(始発点)である「死」をどのように迎えれば(始めれば)よいのでしょうか?

    anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

 私は平和に至るマインドの変化が「antiwithwell」であり、そのプロセスそのものが“幸福(well-being)”だと思っています。今回はその“幸福(well-being)”がテーマ。

自分にとっての“幸福(well-being)”を考え抜くことは、「自己の存在と意味」を明らかにし、スピリチュアルペインを克服するきっかけになるはずです。

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1;ゴールが幸福を定義する

 

 ところで、認知科学者 苫米地英人博士は「幸福」をどのように考えていらっしゃるのでしょうか?

 以下、博士の著書「『感情』の解剖図鑑」(誠文堂新光社)より引用します。

 (7回に分けて引用)

 

 

「幸福」とは

 望んでいたことが叶い、心が満ち足りて、幸せを感じること。幸福感の度合いが強いと、「胸が熱くなる」「涙が出る」などの身体的反応が起こることもある。

 

 

 博士は抽象度の高い次元で「幸福」を定義されています。その定義とは「望んでいたことが叶い、心が満ち足りて、幸せを感じること」。

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 まず抽象度の高い次元で定義するのは、「全体像をつくるため」です。ゲシュタルトです。ゲシュタルトとは、「全体性を持ったまとまりのある構造」のこと。

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 そのポイントは「双方向である」ということです。

 構造主義の時代までは「部分を積み重ねたら全体がわかる」と考えられていました。しかしながら、実際は、全体と部分が双方向的に関係しあいながら「統合的意味をもつ1つのまとまり」が構築されています。それがゲシュタルトです。

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 余談ですが、医療の世界は今でもけっこう構造主義的(行動主義的)です。「ゲシュタルト心理学」に代表されるように「全体と部分の双方向性」が浸透している領域もありますが、現場感覚としては圧倒的に構造主義(行動主義)です。「科目別」「臓器別」という表現がその象徴でしょう(詳しくは追記2に)。

 

 抽象度という軸を知り、より大きなゲシュタルトとして生命現象をとらえることができると、スコトーマがどんどん外れていきます。

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その過程でゲシュタルトの統合を繰り返すと、やがて新たなパラダイムシフトが起こります。

時代により医療・福祉業界はパラダイムシフトが求められています。そのシフトは日本に続き少子・高齢化社会を迎える全世界にとっても福音といえる大革命(Revolution)となるはずです。

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私は、コーチ兼医師として、そんな革命の実現を思い描きながら(I)、日々活動しています。このブログもその一環です。コーチングやその根底にある苫米地理論が業界に広がることで(V)、きっと成し遂げることができるはず(R

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 そんな「I×V=R」のプロセスそのものが私にとっての幸福です。たとえ望んでいた通りにはなっていなくても、心はいつも満ち足りていて、幸せに包まれている感じがしています。ゴールに向かって挑み続けているのだから当然です。

つまり、ゴールがあること自体が幸福

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 認識できないはずのコンフォートゾーンの外側に(=“現状の外”)、止められてもやりたいゴールをたくさん見つけ(=100%want to)、さらに抽象度を上げながら追求(ゴール再設定)し続ける(=自分中心を捨てる)

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 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

 

 それはコーチの存在なしではできません。ブリーフシステムが書き換わらないから。

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 過去の呪縛を解き放ち、シンの自由を得て、自身の能力を最大限に発揮するためにコーチングは必須です。それ以外に、博士が幸福の定義に用いた「望んでいたこと」を見いだす手段はありません。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html

 

 

 「幸福感の度合いが強いと、『胸が熱くなる』『涙が出る』などの身体的反応が起こることもある」はホメオスタシス(恒常性維持機能)です。それは結果として起こること。そんな身体的反応自体が目的となることは本末転倒といえます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831660.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971818.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971956.html

 

 心と体は同じものです。心の変化は物理空間で身体に投影され、体の変化は情報空間での新たな情報処理に影響します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23037529.html

 

その関係は確かに双方向ですが、因はより高い抽象度次元にあります。簡単に表記すると「情報→物理」です。

(物理空間は情報空間の一部。抽象度の軸でみたときの底面です)

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 よって、(双方向ではありますが)「ゴール→幸福→身体的反応」といえます。それをコーチング創始者 ルー・タイスさんは「Goal comes first」と表現しました。ゴールが認識を決め、目の前のすべてを生みだします。幸福も身体的反応もゴールの結果です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_262962.html

 

F-177につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 「幸福感の度合いが強いと、『胸が熱くなる』『涙が出る』などの身体的反応が起こることもある」はホメオスタシス(恒常性維持機能)です。それは結果として起こること。そんな身体的反応自体が目的となることは本末転倒といえます

 

 ゲームやインターネットへの依存がますます問題になっています。とくに子ども・若者において。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542248.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/11385814.html

 

 その対策として、無理やり物理空間に働きかけることは適切ではありません。「ダメ。ゼッタイ。」のように情報空間で一方的に制限するのもNGです↓

 F-082~:ダメ。ゼッタイ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_352303.html

 

 では、依存を予防(克服)するためにどうすればよいのでしょうか?

 

 強力な方法として「フレームの中断」「フレームの組み換え」があります。下記ブログ記事で紹介しています。ワーク付きです↓

 F-114:情報が書き換わると現実が変わる vol.5;「幸せなら手を叩こう♪」(ワーク付き)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/20477749.html

 

 

-追記2

 現場感覚としては圧倒的に構造主義(行動主義)です。「科目別」「臓器別」という表現がその象徴でしょう

 

 もちろん「科目別診療」「臓器別診療」はよくないと主張しているのではありません。情報量がどんどん増え細分化していく社会において、ますます専門化していくのは当然のことです。医療に限らず。

ただし、医療の場合、専門化は大学病院や地域の基幹病院(総合病院)における役割です。

 

 日本においては専門医を取得した中堅~ベテラン医師が開業して地域医療に携わるというパターンが多いと思われます。その際に専門医の視点のままでは“全体を診る”ことがなかなかできません。それまでのブリーフにより、大きなゲシュタルトがスコトーマに隠れたままだから。

 だからこそ、抽象度を理解し、より高次元を志向することが重要になります。

 

「生老病死という人生から<全体>、患者さんの“今”をみる<部分>」「トータル(ペイン)という視点で<全体>、訴えを理解する<部分>」「地域のライフライン確保という観点から<全体>、医療資源配置とファイナンスのバランスを判断する<部分>」「世界の人口構成と今後の構造変化を考慮の上<全体>、日本の医療をデザインする<部分>」

 <全体>とは「統合したゲシュタルト」のことです。その統合(connect the dots)は、ゴールに向かって起こります。

 

だから、医療・介護の現場はコーチングを必要としている」というのが私の主張です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

 

-参考書籍-

「感情の解剖図鑑 仕事もプライベートも充実させる、心の操り方」(誠文堂新光社)

 

 

「感情」の解剖図鑑