F-170:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.4-2「死」;well-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24549392.html

 vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24604120.html

 vol.4-1「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24655350.html

 vol.4-2「死」;well-aging

 

苫米地理論においては、老いや病はもちろんのこと、生と死さえも空(くう)です。空という意味では「生命=機械」「死=壊」という見方もできるのかもしれませんが、だからといって「私たちは機械にすぎない」「機械は壊れてしまえばもうおしまい」「どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、(死は)特別に不思議なわけではない」という結論には至りません。ゼッタイに...です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 では、どのように考えればよいのでしょうか?

 anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

 …vol.3-3「病」(F-168)でanti-agingからwith-agingへの進化」を考察しました。それは年を重ねるとともに抽象度の階梯をのぼっていくことで実現します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 抽象度の階梯をのぼることとは「人間形成」と同じ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9963845.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9966391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10116950.html

 

その人間形成の過程でますます前頭葉(前頭前野)を上手く使いこなせるようになり、高い抽象度次元に強い臨場感を感じることができるようになります。その結果として“The Power of Mind”を手に入れるのです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_404758.html

 

 マインド(脳と心)の力を手に入れると、ますますパワフルかつクリエイティブに生きることができるようになります。本人にとって「あたりまえ」の自然な状態(100%want to)は、傍から見ると「高いモチベーション」「努力」「根性」に感じられます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19980130.html

 

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 

 希望をゴールとして設定し本当にやりたいことだけをやり続けると、まずは心が元気になります。その心の変化は写像である物理空間(情報空間の底面)にあらわれ、やがては体も元気になっていきます。心と体は同じものであり、すべて情報だからです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23743308.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23037529.html

 

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 

 ゴールは“現状の外”にあります。“現状の外”とは今までの「自分(=ブリーフシステム)」を超越する新たな次元のこと。よって、そこを目指す過程はこれまでのコンフォートゾーンを飛びだす“挑戦”と感じられます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

 

 その挑戦の過程で“本当の自分”を作り上げていくことができます。それが「スピリチュアルペインの克服」。これまでの「無人運転」「自動運転」からの脱却です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_407080.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_369873.html

 

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 

 「『無人運転』『自動運転』からの脱却」というのは、自由に行き先を決めるということです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400928.html

 

完全に自由に“自分”自身の手で行き先を決めるからこそ、「身体的」「心理・精神的」「社会的」「スピリチュアル」というすべての面で“トータルな幸福(well-being)”を得ることができます。それがWHOの定義する“健康”です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7859675.html

 

 しかしながら、「生老病死」という人生全体(total)で考えると、「行き先は必ず死」といえます。そこまでの行き方(生き方)は自由に決めることができたとしても、行き着く(生き尽く)ところは必ず「死」です。

未来から過去へと向かう時間の流れを考慮するならば、「『死』がはじまり」といえます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 

 ここであらためて問い直します。“自分”オリジナルの答えを見いだす取り組みは、世界平和を実現するために、そして「anti-agingwith-agingの先にある境地」に至るために、とてもとても重要なワークとなります。今後のワークとも関係するため、ノート等に記載してください。

 

    人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福(well-being)”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

    未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』がはじまり」といえます。そのはじまりにある“幸福(well-being)”とはどんなものなのでしょうか?

    人生の終着点(始発点)である「死」をどのように迎えれば(始めれば)よいのでしょうか?

    anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

F-171につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 ワークのヒントとして、vol.3-3「病」(F-168)で取り上げた俳優 マイケル・J・フォックスのコメントを再掲します。

 

感謝の気持ちに立ち返ることができれば、楽観的な見方を持ち続けられる。それは受け入れることから生まれるんだ。起きたことをそのまま受け入れる。それは現状を変えようという努力ができないという意味ではない。それに起きたことを自分への罰や自己犠牲として受け入れるということでもない。起きたことを正しい場所に受け止めるということなんだ。そして生きていかなくてはならない残りの人生がどれだけあるかを見る。そうすれば前進できる。

 

 

-追記2

 前回(F-169)の追記で「死とは何か(原題:DEATH)」(文響社)の著者 シェリー・ケーガン教授の「自殺」に関する結論を御紹介しました。この重たいテーマを、著者は合理性と道徳性という観点で考察しています。

 

 合理性:原則として自殺は合理的な選択となりうるのだ。

 道徳性:相手がよく考え、妥当な理由を持ち、必要な情報を得ていて、自分の意思で行動していることを確信できたとしよう。そんなケースでは、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える。

 

 納得できますか? 落ち着かない感じがしませんか?

 では、私の意見(claim)を簡潔に述べます。

議を言な(ぎをゆな)!

 (↑鹿児島弁です。詳細はこちらでどうぞ↓)

 S-02-15:マナーやルールに潜む罠 -2

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19370962.html

 

 

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F129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_396235.html