F-165:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.2-2「老」;anti-aging

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 

 

 老化は1個の病気である。私はそう確信している。その病気は治療可能であり、私たちが生きているあいだに治せるようになると信じている。そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう。

 

 

 上記文章は、米ハーバード大学医学大学院教授で老化研究の第一人者 デビッド・A・シンクレア氏の著書「LIFESPAN 老いなき世界」(東洋経済新聞社)からの引用です。

 前回(F-164)は、「老=病」と考える著者の主張(claim)を紹介し、その根拠といえる「老化の情報理論」と認知科学者 苫米地英人博士が提唱する「超情報場仮説(理論)」の間にある“大きな隔たり”について考えていただきました。ワークとしてw

 

 では、私が感じた“大きな隔たり”についてまとめます。

 

 まず気がつくことは「『LIFESPAN』は物理空間に限定されている」ということ。

確かに“情報”という表現がでてきますが、アデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の4つの塩基で表現されるような“デジタル情報”は完全に物理次元です。

「エピゲノム」という「体内に『もう1種類の情報』として存在している“アナログ情報”」も、エピ(epi)とはいうものの、極めて物理次元に近い表現です。

 

 物理空間とは、情報量の大小という軸で宇宙をならびかえたときの「一番情報量が多くかつ物理法則という秩序が働く底面」のことです。情報量の軸を「抽象度(ちゅうしょうど)」と呼びます。

 その抽象度は、情報空間における視点の高さを表すもので、分析哲学の中の存在論における「Levels of Abstraction」という概念のこと。苫米地博士が日本語訳(造語)をされました。

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 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 私たちにとっての目の前の世界は、どこまでいっても情報だけで構築されている「情報空間」です。そして、その情報空間は情報量で階層化されています。

その情報空間のうち、最も情報量が多く、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)ではっきりと感じられる空間が物理空間。もちろん、物理空間も情報空間の一部(底面)です。

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 ちょっと表現を変えると、「物理空間(という情報空間の一部)を底面として、抽象度という軸上に階層性を持って広がっている情報空間が宇宙(の構造)である」といえます。抽象度が上がるほど情報量が減っていくのですから、宇宙は四角錐のような構造とイメージできます。

 (物理空間が四角の平面であるという意味ではありませんw

 

宇宙の構造


 

 そんな情報宇宙の底面に限定されているというのが、「LIFESPAN」に対する私の率直な感想です。

 

 シンクレア教授の「老化の情報理論」が物理空間に限定されているのに対して、苫米地英人博士が提唱する「超情報場仮説(理論)」は全情報空間(宇宙)をカバーしています。底面である物理空間から頂点(T)である「空(くう)」まで。

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 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306438.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306445.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5445932.html

 

 “大きな隔たり”の前提として、文字どおり「次元が違う」ことを御理解いただけたでしょうか。それでは“隔たり”の本質に迫りましょう。

 

 突き詰めると、(私が感じた“隔たり”の)本質は「『存在→関係』か『関係→存在』かの違い」です。

 

 前者の「存在があり関係が生まれる」という見方は西洋哲学がベースになっています。

 そして、その見方は、物理空間では不確定性原理により、情報空間では不完全性定理によって、完全に否定されました。「アプリオリはなく、すべては決定的ではない」ということはすでに証明されています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

(追記内で関連する過去のブログ記事を紹介します。詳細はそちらで)

 

対して、後者の「関係があり存在が生まれる」という見方は釈迦の縁起の思想をベースにしています。もちろん、「超情報場仮説(理論)」は縁起ベースです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 この「関係があり存在が生まれる」「関係が存在を生みだす」という見方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方に行き着きます。「無常」です。

 さらに、「すべてのものは他との関係性の網の中で形作られていて、普遍的な実在はない」という縁起を理解することは、先程(抽象度の軸で見たときの)情報宇宙の頂点(T)とした「空(くう)」の体得を可能にします。

空とは「なによりも情報量が少なく(なにもないに等しい)、かつ、潜在的な情報量はなによりも多い(とてつもなくある)」こと。この宇宙の見方が「空観(くうがん、くうかん)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 苫米地博士に学んでいる方々は、まずはこの空観に由っています。もちろん私もです。

 だから、「老いがある」「病がある」「老いは病である」と断言されると違和感を覚えるのです。きっとコンフォートゾーンから外れるのでしょう。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

 

 話が少し逸れますが、医師としての私にとって、「LIFESPAN」はとても面白く勉強になる本でした。ワクワクしながら読み進める間はまったく認知的不協和を感じず、読書を中断している間に違和感が生じてくるという感じでした。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 

 それは医師としてのゲシュタルトと苫米地式コーチ&ヒーラーとしてのゲシュタルトがまだまだしっかりとは統合されていないことを意味しているはずです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

すぐに「私らしくない」とセルフトークを行い(V)、「しっかりconnectしているイメージ(I)」をビジュアライズしました(V)。もちろん、ゴールの再認識とともに。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 話を戻します。

 「超情報場仮説(理論)」を含む苫米地理論においては、老いや病はもちろんのこと、生と死さえも空(くう)です。空という意味では「老=病」という見方もできるのかもしれませんが、だからといって「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」という結論には至りません。

 

 では、どのように考えればよいのでしょうか?

 やはり「生老病死(=四苦)」は恐れるべきものなのでしょうか?

 

 じつは、西洋哲学をベースとするはずの医学の世界でも、抽象度を上げる方向での考察がどんどんなされています。次回、オックスフォード大学感情神経科学センター教授が書かれた書籍を参考にしながら考察を続けていきます。

 

F-166につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 次回取り上げる教授も、当初は「性格は生まれながらの遺伝子の型で決まる」といったアプリオリを前提とする立場だったそうです。ところが、ある俳優との縁をきっかけに自説を覆すことになりました。

その俳優とはマイケル・J・フォックス。「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the futureBTTF)」の主演俳優です。

俳優としてのキャリア絶頂の頃、20代後半だったマイケルはパーキンソン病を発症しました。TVドラマを降板するなど第一線から退きましたが、いつも前向きなマイケルは、代表作「BTTF」トリロジーとともに今も愛され続けています。

BTTF」は私も大好きな映画。じつは過去のブログ記事で取り上げています。今回とはテーマが違いますが、遺伝情報や記憶などの“過去”との向き合い方について書いています↓

F-060BTTF

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13626536.html

 

 

-追記2

 不完全性や不確定性に関連して、思うことを下記ブログ記事にまとめています↓

 PM-06-18~:仮説13) 宗教の限界

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14526199.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14687391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14687476.html

 

 

-追記3

「超情報場仮説(理論)」は、ワークスDVD第一弾「超情報場仮説 ~ハイパーヒーリングとゴール現実化」(ドクター苫米地ワークス)や「アインシュタイン脳を超えて -超情報場理論でポテンシャル以上の存在感を発揮する技術-」(フォレスト出版、DVD教材)で詳しく解説されています。

    苫米地英人DVDオフィシャルサイト 第一弾「超情報場仮説」

 http://maxpec.net/dvd1/index.html

    フォレスト出版HP 「アインシュタイン脳を超えて」

https://www.forestpub.co.jp/einstein/

 

 DVDは敷居が高いという方には、「認知科学への招待」(サイゾー)や「Dr.苫米地の『脳力』の使い方」(徳間書店)といった博士の書籍をお勧めします。とくに「『脳力』の使い方」は最終章がまるまる「超情報場仮説」です。

 

top_dvd1

ワークスDVD1弾「超情報場仮説」

苫米地英人博士HPより引用

http://maxpec.net/dvd1/index.html