F-153:チャリティーマラソンで走った人が走った分だけ募金するシステムはおかしい?
<前編>
前々回(F-151)は「同一労働同一賃金」について、そして前回(F-152)は「人事考課」について取り上げました。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23454911.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23534604.html
その流れで労働やボランティアについて考えている時に、「チャリティーマラソンで、走った人が走った分だけ募金するというシステムはおかしいのではないか?」という御質問をいただきました。
テレビを見ない私は知りませんでしたが、今年(2020年8月)の「24時間テレビ43 愛は地球を救う」(日本テレビ)で、シドニー五輪女子マラソン金メダリスト
高橋尚子さんが発案した「24時間募金ラン」が行われたそうです。
高橋さんを中心に結成された「チームQ」が、感染症対策として私有地内につくられた1周5kmのコース(スポンサー企業 日産自動車の追浜試走コース「GRANDRIVE」)を走り、1周走るごとにランナー自身が10万円を募金する企画だったといいます。
高橋さんと5人のアスリートは計236kmを走破し、470万円を募金したそうです。
ハフポスト日本版(8/23配信)によると、「なぜランナーが自分で募金をするの」「チャリティーランってそういうことなのか?意味合い違くない?」「高橋尚子が走った分だけ日テレが寄付という形ならわかるんだけど」など、走った人が走った分自ら募金するというシステムに対して疑問の声が寄せられたそうです。
記事では「海外などで行われるチャリティーランで著名人などのランナーが走る場合は、一般から寄付金(募金)を集めてランナーを応援するという形が一般的だ」と紹介されていました。
皆さんはどのように感じますか?
(Don’t think. Feel)
…では、苫米地式認定コーチとしての私の考えを述べます。
まずは「個人の情報処理システム」、すなわちブリーフシステムという観点で。
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コーチングではゴールを人生のあらゆる領域に設定します。決して安くはない料金を前払いしたクライアントさんは、コーチング開始時には仕事(職業)のゴールにフォーカスしていることがほとんどです。その時、まず私が意識するのが仕事(職業)のゴールとファイナンスのゴールとの切り離しです。
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認知科学者 苫米地英人博士は、「仕事(職業)とは『社会に役に立つこと』『価値を提供すること(生みだすこと)』である」とおっしゃいます。
資本主義社会においてその「役に立った」や「価値の提供」がお金に変わりますが、それはあくまで副次的・二次的なことであり、仕事(職業)の本質ではありません。
1.まず何らかの価値を生みだす(=仕事・職業)→2.その価値を金銭的価値に変換する(=ファイナンス)という関係です。
よって、金銭的対価のない仕事もありえますし、むしろお金を使う(支払う)職業があってもおかしくはありません。
ちなみに、11年間病院長を務め、その間に苫米地博士に学び始めた私は、「お金のモノサシをしっかりと切り分けて、『誰か(社会)の役に立つ』ために行動すること」がプロフェッショナルの最初の条件だと確信するようになりました。「何よりも儲けを優先する医者は医療のプロではない」と書くとわかりやすいでしょうかw
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今回の「募金ラン」にはチャリティーという視点も含まれていますが、そのような仕事(職業)の本質を鑑みると、「ランナーが自分で募金をすることは決しておかしくない」といえます。
ただし、それは「100%want to」「止められてもやりたい」が大前提。
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最初は「100%want to」「止められてもやりたい」であったとしても、走り続けているうちにwant
toがhave toに変わります。物理空間には物理法則という秩序が働いているからです(簡単に言うと疲れるから)。
今回の「募金ラン」では、複数のランナーだったことと夜間は走らなかった(休息にあてた)ことが評価されているようです。反対にいうと、たとえそれが本人の望みだったとしても、これまでの無理強いされているような走り姿から、多くの視聴者がネガティブな“気”を感じ取っていたということなのでしょう(私は番組を見たことがなくわかりませんが)。
もう「努力」や「根性」の時代ではありません。
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物理空間に対して、情報空間には物理的な制約は働きません。だから、心はより自由に「100%want
to」「止められてもやりたい」を楽しめるような気がしますが、じつはそう簡単ではありません。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html
先程「たとえそれが本人の望みだったとしても…」と書きましたが、「その『望み』は本当に『本人』のものなのか?」と問われたら、簡単にはYesといえないのです。
「私」は本当の“私”なのか?
…実際、多くの人は過去に囚われたまま生きています。自由意思で生きているようでいて、じつは「無人運転」「自動運転」です。
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今回は「個人の情報処理システム」、すなわちブリーフシステムという観点で書いています。そのブリーフシステムは、「人の行動や行動性向といわれる無意識の行動を決めるシステム」のことで、「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」でつくられるもの。
つまり、「私」は他人や社会の価値観で生かされているのです。過去に囚われたまま。
よって、たとえば「なぜランナーが自分で募金をするの」「チャリティーランってそういうことなのか?意味合い違くない?」「高橋尚子が走った分だけ日テレが寄付という形ならわかるんだけど」などと思ったなら、その思いの中に入り込んでいる他人や社会からの刷り込みを徹底的に吟味し、しっかり思考(思索)していかないといけないのです。
それが自由の必須条件です。
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事実、ブリーフシステムにより、RASを通過する情報が決まり、スコトーマが生じています。目の前の世界は過去であり、他人や社会の価値観です。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721658.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html
私たちは常に封じ込まれ、閉じ込められています。そうとは知らずに。
よって、繰り返しますが、自身の思いの中に入り込んでいる他人や社会からの刷り込みを徹底的に吟味し、しっかり思考(思索)したうえで選択することはとても重要です。それが自由であり自己責任です。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12794797.html
…次回は、抽象度を上げて、「社会システム」の観点でまとめます。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html
「なぜランナーが自分で募金をするの」「チャリティーランってそういうことなのか?意味合い違くない?」「高橋尚子が走った分だけ日テレが寄付という形ならわかるんだけど」という疑問が生じるのとまったく同じ構図のはずなのに、すっかりスコトーマに隠れてしまっている社会のシステムエラーを取り上げます。お楽しみに。
(F-154につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
苫米地博士に学ぶようになって、私はテレビをまったく見なくなりました。ブリーフシステムが書き換わったからです。
以下、博士の著書「テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方」(PHP新書)から引用します(はじめに-テレビという「洗脳装置」
後半部分)。
ちょっと前に「KY」(空気が読めない)という言葉が一時マスコミをにぎわせました。言葉そのものはあっという間にすたれてしまった感がありますが、いまでもなお、いえ、はるか昔から、「空気を読む」ことが日本社会では美徳とされてきたことに変わりはありません。
しかし、「空気を読む」行為が、これほどまでに言葉の暴力と化して強制されるようになったのは、ここ最近のことです。「そのとき、その場の空気を読んで正しい行動をしなければならない」と、他人と同調することを最優先する価値観を日本人に植えつけてきたのが、まさしくテレビを筆頭とするマスメディアだったのではないでしょうか。
テレビをはじめとするメディアの「洗脳」によって、自分が生きるほんとうの目的を見失ってしまったり、他人に植えつけられた価値観や目標に縛られている人が、いまの日本には圧倒的に多い。
(中略)
この世に、読まなければならない「空気」など本来ありません。
他人という「ドリームキラー」の洗脳から脱して、本来の自分の目標に邁進する人が、本書をきっかけに一人でもふえることを願います。
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