ブログ・シリーズ編
S-04:さぁ「人間関係の悩みを克服する旅」をはじめよう!
S-04-16:反求と在身-1;吉田松陰の教え
問題です。
鏡の中の自分に微笑んでもらうためにはどうすればいいでしょうか?
…私の答えは、このシリーズの最後でw
告知(I-038):
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S-04-00(目次):
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22305802.html
吉田松陰(よしだしょういん)は、1830年(天保元年)に萩藩士の家に生まれ(現在の山口県)、1859年(安政6年)に幕府の手で処刑されました。
わずか2年足らずの短い期間ではありましたが、松下村塾で学んだ弟子たちは松陰の志をしっかりと受け継ぎ(ゴールの共有)、明治維新を成功させました(I×V=R)。高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎、桂小五郎、山県有朋、久坂玄蕃、野村和作、吉田稔麿などです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html
松陰自身の著として「講孟箚記(こうもうさっき)」があります。萩の野山獄と杉家幽室で幽囚の身であった時に、囚人や親戚とともに孟子を講読した読後感や批評、意見をまとめたものです。
その講孟箚記から引用します。1855年(安政2年、わずか165年前)8月29日に記されたものです。
「反求(はんきゅう)」の二字、聖経賢伝(せいきょうけんでん)、百千万言の帰着する所なり。「在身」の二字も、また同じ工夫なり。
天下の事、大事小事、此の道を離れて成ることなし。
現代語訳;
「反求(反りて求む)」の二字、つまり「問題が起きれば自分にその原因がないかと反って考える」というこの語こそ、聖賢たちの書物に無数に書かれている言葉の結論である。「在身(身に在り)」、つまり「すべての問題の根本は自分にある」という語も、同じような考え方である。
天下の事は大小の別になく、この「反求」と「在身」の二語を離れて成し遂げることはできないのである。
…これまで、
1)
人間関係の悩みが尽きない理由は「この世のすべては縁起上に存在している」からである
2)
縁起を理解できていないことが「自分中心」という生き方としてあらわれる
3)
「自分中心」が「他責」という態度としてあらわれる
4)
「自分中心」(=「他責」)が、人間関係に軋轢を生じ、自分自身の心の傷を深くし、変化(進化・向上)することができないばかりかチームの足も引っ張り、“本当の幸せ”を感じることができない理由である
…ことを明らかにしてきました。
私たちは、日常の生活の中で何か問題が生じると、つい人のせいにしてしまいがちです。
その時に「自分の方に原因があるのではないか?」と省みて(反求)、「自分中心」をやめることが大切なのです。言い換えると、「すべて縁起の視点でとらえ、自分事とする」(在身)。
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それは「抽象度を上げて、“自分(自我)”の定義を拡大していく」ことともいえます。
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そして、それは教育が目的としている「人間形成」の秘訣でもあります。
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松下村塾で教えていた松陰には、情報的に大きくなった門下生たちの未来の姿がはっきり見えていたはずです。
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そして松陰は、時空を超えて、現代に生きる私たちにも大切なことを教えてくれています。それが「反求」と「在身」です。
では、具体的に「反求」「在身」にどのように取り組めばいいのでしょうか?
…松陰が教科書とした「孟子」の中に、そのヒントを見つけました。次回、御紹介します。
(S-04-17につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
コーチとして、医師(&ヒーラー)として、たくさんの出会いがあります。
お話を伺っていて感じるのは「何が幸せかは、人それぞれである」ということ。そして、「『幸せ』や『喜び』といったものがどこかに『ある』と思っている方々がとても多い」ということです。そういう私も「幸せ」が「ある」と思っていました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html
どこかにあるはずの幸せがなかなか見つけられない
喜びをなくしてしまった
何のために生きているのかがわからない
なかなかゴールが見つからない
…そんな言葉を耳にするたびに、コーチとしての私は、高杉晋作のこの言葉を思い出します。
おもしろき こともなき世を おもしろく
…つづきは下記ブログ記事でどうぞ↓
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12931592.html
-参考書籍-
苫米地英人コレクション3
「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(開拓社、復刊版)

吉田松陰像(山口県文書館蔵)
Wikipediaより引用
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