F-147:トリアージ(triage)をコーチの視点で考える vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 

 私は2007年から11年間にわたって病院長を務め、その間に300回の研修会を開催しました。今回御紹介するのは、コーチングを導入しようと奮闘していた院長時代に作成したもの。テーマは「トリアージ(triage)」です。

 (実際には“奮闘”ではなく“粉砕”しましたw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 2008年(苫米地理論と出会う前)に作成後2011年(苫米地理論と出会った後)に作り直したものをベースに、さらに2020年(認定コーチ6年目)の視点で「connect the dots」したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

vol.1;トリアージとは?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23110775.html

 

 

vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 

どの流派でもトリアージのやり方は簡素化されており、機械的に振り分けられるようになっています。しかし、実際はかなりの混乱が生じる(修羅場になる)と予想されます。

トリアージには精度および倫理の問題が必ず伴うからです。

 

トリアージは短時間で迅速に行うものであり、傷病者を詳細に診察し検査をした上で診断することはできません。したがって、一定の確率で重症が軽症に選別されますし、その逆も起こります。

一般的に、選別基準を厳しくして重症に選別する人数を少なくするほど、重症を軽症と誤る確率が高くなります。逆に、基準を緩くして重症に選別する人数が増えるほど、軽症が多く含まれるようになります。

いずれにせよ、トリアージの精度には限界があり100%の精度は望めません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

トリアージにおけるもう一つの問題が、最重症者の選別における倫理問題です。

傷病者数が少なく充分な医療資源が得られる時は、たとえ救命可能性が低くても重篤な傷病者の治療優先度が最も高くなります。一方、明らかに傷病者数が医療資源を上回っている場合(地震などの大災害時)には、治療によって救命できる可能性の高い傷病者が優先され、重篤すぎる傷病者の治療優先度は低くなります。

つまり、優先度は不変ではなく、「意味は状況で決まる」のと同様に、その時の状況でどんどん変わっていくのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

このように選別基準は状況によって変化するため、異論・反論が生じやすくなります。

最も重篤な傷病者の治療優先度を下げるということは“死の宣告”と同じです。それは一般的な倫理規範に反するため、トリアージを行う者に強い心理的ストレスを与えます。

傷病者やその関係者はもちろんのこと、医療者自身もファイト・オア・フライトに陥りやすくなるといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

さらに、その判断の適否を巡って、後から責任を追及されることさえあります。

前回(F-146)御紹介したJR福知山線事故では、黒タッグをつけられた患者の遺族がトリアージをした医師に復讐を試みたという恐ろしい噂を耳にしました。もしも本当なら、家族はきっと大脳辺縁系優位のままだったのでしょう。それは「動物的怒り」「私憤」といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

このように厳しい状況下でのトリアージには、「最大数の命を救うために、全ての命を救う努力を放棄する」という決断が求められます。医療者は、限られた時間の中で、究極の判断をしなければならないのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

ここで厳しい状況下でのトリアージについて、違う表現でまとめます。

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

繰り返しますが、災害医療は、通常の医療とは大きく異なり、限られた資源(医薬品、医療従事者等)で多くの患者(負傷者)を診なければなりません。よって、冷たいようですが、どうしても“見捨てられる患者”が生じてしまいます。

 

では、最後に問題です。

Q1:“見捨てられる患者”が生じることは、「仕方がない」と受け入れ、諦めるべきなのでしょうか?(F-148で考察)

Q2:トリアージを行う者は何をよりどころにすればいいのでしょうか?(F-148で考察)

Q3:「限られた資源で多くの患者を診なければならない」 このフレーズを聞いて何か思い当たりませんか?(F-149で考察)

 

F-148につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 もう一問w

 本文中に書いたトリアージの表現は2008年時点の私の考えです。苫米地博士に学び始めた後、この考え方には大きな問題点(課題)があることに気づきました。

Q4:下記の表現に潜む問題点(課題)とは何でしょうか? (F-150で考察)

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

 

-関連記事-

    F-140~:不要不急

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_400247.html

    S-02~:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

    S-03~:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html