ブログ・シリーズ編
S-04:さぁ「人間関係の悩みを克服する旅」をはじめよう!
S-04-05:自責の意味
問題です。
鏡の中の自分に微笑んでもらうためにはどうすればいいでしょうか?
…私の答えは、このシリーズの最後でw
告知(I-038):
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22227952.html
S-04-00(目次):
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22305802.html
前回(S-04-04)、「他責」と「自責」について定義しました。自分には責任がないことを前提に相手を責めるのが「他責」、客観的に状況を見ようと努め自分の責任も認めるのが「自責」です。
「他責」、すなわち「自分には責任がない。あなたが悪い」という態度は、相手との間に軋轢が生じる原因になります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22599317.html
その「責任」に関連して、よくいただく御質問があります。
それは「自然災害で被災した場合や先天的な障がいを持って生まれてきた場合も、『自責』である必要があるのでしょうか?」というものです。
「自責」とは、「災害が起こる場所にいた自分が悪い」「あたりまえに生まれてこなかった私が悪い」と自身を責めることではありません。以下、参考としている苫米地英人博士の著書「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(開拓社、復刊版)から引用します。
理不尽な出来事に遭遇したときに、「なんの責任もないのに自分だけひどい目に遭った」と相手を責めるだけの人は「自分中心な人」、いわゆる「自己チューな人」です。自分中心な人は、同じ出来事を前にしても、自分中心ではない人よりも心の傷が深くなります。そして、その心の傷に長くとらわれてしまうことになります。
ここでいう「自分にも責任がある」とは、例えば夜道を一人で歩いていて暴漢に襲われた女性に対し、不用心な彼女にも責任がある、などと責めることとは違います。そうではなく、私たちは生きていく以上、さまざまな理不尽を引き受けていかねばなりません。それが生きていくということだからです。さまざまな理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」と言っているのです。
引用終わり
さまざまな理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えが「責任」
…すなわち、「自責」とは、自分の自由意志でこの世界を生き抜くという決意のこと。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958864.html
それは、無人運転や自動運転ではなく、自分自身の思考で未来を切り拓いていくという覚悟のことでもあります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_369873.html
もっとシンプルにいうと「ゴールを自分で決める」という意思。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
「この世界の理」とは“縁起”のことです。「関係が存在を生みだす」という“縁起”を突き詰めると、「この世に絶対はない(アプリオリなものはない)」と「この世は心(マインド)が生みだしている」という2つのプリンシプルにいきつきます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html
それは西洋の哲学や科学がたどり着いた結論でもあります。不完全性であり、不確定性です。理不尽はある一定の確率で起こりえますが、一方で“現状の外”を見いだすことも起こりえるのです。コーチングを学び実践することで、「“現状の外”を見いだす確率」を高めていくことができます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html
よって、「さまざまな理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えが『責任』」という苫米地博士の言葉を踏まえた上で「責任を果たす」という言葉を考察すると、「自由意志でゴール設定をしっかり行う(更新し続ける)こと」と考えることができます。
そして、それが「自責」の意味だといえます。
次回は、「心に深い傷を負う理由」を考察します。
(S-04-06につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記1-
コロナ禍をきっかけに、最近、「リーダーの責任」についてよく考えます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14526054.html
「さまざまな理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えが『責任』」という苫米地博士の言葉を踏まえた上で「リーダーの『責任を果たす』という言葉」を考察すると、「自由意志で抽象度の高いゴール設定を行い(更新し続け)、しっかり実装すること」といえるのではないでしょうか。やはり、鍵は抽象度といえそうです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html
-追記2-
最近、親友の一人に会いました。抽象度の低いリーダーからひどいパワハラを受けたと聞いていたので、じつは少し心配していました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22463773.html
しかし、友が発する言葉に「他責」は一切なく、しっかり未来を向いていました。私は「さすがK。やっぱりすごい野郎(86)だぜ~」と伝えました。非言語で。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html
理不尽な思いは、“正しい”ゴール設定によって、未来を切り拓くエネルギーとクリエイティビティに変わります。怒りや悲しみ、悔しさといったネガティブな感情を、余裕で克服している友のさらなる飛躍がとても楽しみです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html
-参考書籍-
苫米地英人コレクション3
「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(開拓社、復刊版)
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