F-139:沈黙の春
2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、世界は大きく変わってしまいました。
首相や知事などのリーダーは「不要不急」の外出を控えるように訴え続け、マスメディアによってコロナ関連の話題が連日報道されました。情報が書き換わることで現実が変わってしまったのでしょう、緊急事態宣言がだされる前の3月中旬頃には町から人が消えはじめました。
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様変わりした風景を眺めながら、私は、東京が、日本が、死んでいくような錯覚に襲われました。そして、レイチェル・カーソン(Rachel Louise Carson、1907~1964年)の「沈黙の春/Silent Spring」(新潮文庫)を思いだしました。
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DDT(dichlorodiphenyltrichloroethane、有機塩素系の農薬)などの化学物質の危険性を鳥などの動物たちがいなくなった春の風景を通して訴えた「沈黙の春」は、1962年にアメリカ合衆国で出版されました。初めて日本語訳が出版された当時(1964年)のタイトルは、「生と死の妙薬-自然均衡の破壊者<科学薬品>」だったそうです。
自然均衡の破壊者
…今回はその破壊者とはウイルスだったわけですが、おかげで今まで認識にあがっていなかった(スコトーマに隠れていた)“均衡”を、多くの国民が実感することになりました。
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医師でもある私は当然のように「感染症の封じ込め」をまずイメージするわけですが、そんな私から見ても疑問を感じるようなバランスを欠いた提言や施策が続きました。そのためなのか「コロナで崩れた“均衡”を取り戻そうとして、より大きな“均衡”を破壊してしまう感覚」が日に日に強まっていきました。例えば、免疫力が高い若者と低い高齢者との“均衡”、流行地域と非流行地域の“均衡”、感染症対策と経済対策の“均衡” …
…思考のポイントとなるのは抽象度です。2つ、あるいは3つ以上のものを包摂する視点がなければ、複雑かつダイナミックな社会での“均衡”を保つことはできません。
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よく「経済がまわる」「経済をまわす」といった表現を見聞きします。それを生命現象で例えると、「血液が体中をくまなくまわること(循環)で“生”が保たれている」といった感じでしょうか。
御承知のように、血液の循環が止まることは“死”を意味します。厳密には心臓の動きがとまることは“死”そのものではないはずですが、一般的には心拍停止をもって死亡を確認することになります。心拍停止のままであれば“死”を回避できないからです。
経済も同様です。お金の循環が止まることは経済的な“死”を意味します。厳密には生産・消費活動がとまることが社会にとっての“死”そのものではないはずです。しかしながら、(とくに資本主義の)社会においては、経済活動の停止(停滞)は“死”に相当するインパクトを引き起こします。血液の循環が止まることが生命現象にとっての“死”であることと同じように。現実の問題として、コロナ感染症そのものによる死者よりも、コロナに関連する経済的な理由での死者の方が多くなってしまうことが危惧されています。
(ちなみに、コーチングでは「職業<付加価値の創造>」と「ファイナンス」を別のカテゴリーとして分け、それぞれゴール設定を行います<バランスホイール>)
新型コロナウイルスは、もちろん災いではありますが、大切なものを教えてくれてもいます。それは「存在自体が縁により起こっている」「この世のすべてがつながっている(つながりを持っている)」という事実。すなわち縁起です。
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どんな存在であったとしても、個は全体の中の一部であり、“まわる(まわす)”ものです。反対に、個が存在し“まわる(まわす)”からこそ、全体が成り立ち存続しているともいえます。それは双方向の関係であり、ゲシュタルトと考えることもできます。
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ここでいう“まわる(まわす)”とは、「機能を発揮する」「役割を果たす」ということ。その機能や役割を自らの自由意志で決めることが「ゴール設定」です。
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「コロナ禍」と呼ばれる今こそ、自分が心から望んでいる未来を思い描くとき。多くの人が「ファイト・オア・フライト」に陥っている今だからこそ、お互いがお互いのゴール設定をサポートしあうことが重要になります。
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「大変だったし辛かったけれど、コロナをきっかけによりよい社会を実現できた」といえる未来のイメージを共有する人が増えるたびに、そのイメージは“現実”にかわっていくのでしょう。
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そんな「未来のイメージ」をより多くの方々と共有し実現していくことも、青山龍マスターコーチと取り組む「Fight Coaching Project」の機能・役割だと思っています。
一緒に取り組んでみませんか?
「Fight Coaching Project」HP
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記1-
鍵は「臨場感空間の移動」です。ゴールのバランスホイールを意識することはヒーリング&コーチングのポイントにもなります。
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-追記2-
コロナ自粛の最中、世間で盛んに叫ばれた言葉が「不要不急」。それって一体どういうことなのでしょう?
…次回(F-140~)より考察していきます。
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続・クライシスの本質 ~首相による「一斉休校要請」と社会の反応を読み解く~
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レイチェル・カーソン(1907~1964年)
1940年、合衆国魚類野生生物局 勤務時代
Wikipediaより引用
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