ブログ・シリーズ編

S-04:さぁ「人間関係の悩みを克服する旅」をはじめよう!

S-04-04:軋轢が生じる理由 -3

 

問題です。

鏡の中の自分に微笑んでもらうためにはどうすればいいでしょうか?

私の答えは、このシリーズの最後でw

 

 告知(I-038):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22227952.html

 S-04-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22305802.html

 

 

「自分中心」は縁起を理解できていないことが原因。そして、それは“責任”に対する態度としてもあらわれます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22527815.html

 

なにか問題が生じたり、嫌なことが起こった場合に、「○○が悪い」などと自分以外のところに責任を転嫁してしまうことを「他責」といいます。それとは反対に、「自分の注意が足りなかったのでは?」などと自身の言動を振り返ることが「自責」です。

 

医療・介護現場で起こりえるケースを例に考えてみましょう。

認知症によるBPSDBehavioral and Psychological Symptoms of Dementia …以前は周辺症状と呼ばれていた暴力、不潔行為、幻覚、せん妄などの行動・心理症状)として徘徊が目立っていた高齢男性患者さんが肺炎のため入院しました。

幸い呼吸状態は改善しましたが、治療の間に下肢筋力が低下してしまいました。歩行はとても不安定でしたが、病識がなく徘徊しようとするため転倒の危険が高まっていました。

そこで病院は転倒事故防止のために腰ベルトを用いた車イス離床を行うことを提案しました。ところが「親父を縛りつけるのか!」と家族が強く反対するため、なかなか実行できないでいました。そうこうするうちに患者さんが転倒してしまい、大腿骨頸部(太ももの骨の付け根)を骨折してしまいました。

担当者は御家族に連絡し、丁寧に説明しました。すると、「骨折とはどういうことだ!この病院の安全管理はどうなっているんだ!! 責任者を出せ!!! 」と怒りまくっています。

そのキレ方があまりにも激しいので、担当者はとてもショックを受けました

 

医療・介護に携わっている方々にとって、きっと臨場感が高い(V)事例だと思います。「ゾッとする感じ」「イヤ~な感じ」(I)を体感している(R)のではないでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

このような場合、担当者には2つの対応の仕方があります。

 

「だから、腰ベルトを用いた車イス管理にしましょうと言ったではないですか。『それはやめろ』と言ったのはあなたでしょう!」と、自分には責任がないことを前提に相手を責めるパターン。

もうひとつは、相手を責めたい気持ちをぐっとこらえて、「それだけ父親を思っているのだな。転倒により骨折する可能性はしっかり伝えたはずだが、しっかりイメージできていなかったんだな。もっといい伝え方はできなかったかな?」と、客観的に状況を見ようと努め、自分の責任も認めるパターン。

 

前者が「他責」、後者が「自責」です。

 

前者のように「自分には責任がない。あなたが悪い」と考える場合、相手との間に軋轢が生じるのは必至です。

「自分の責任は考えず、相手を責めてばかりいる」ときは、自分の都合しか見えていない状態です。つまり「自分中心」。相手の立場や心情はスコトーマに隠れてしまい、一切考慮できなくなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「自分中心」を捨て去り「自分にも責任がある」「自分の責任は何か?」と考えることは、「良好な人間関係」のための大切なポイントです。

 

 

Q:軋轢が生じる理由は?

A:(お互いが、あるいは、どちらかが)縁起を理解しておらず、「自分中心」だから

 

 

次回は、「自責」に関してよくいただく質問を御紹介します。

 

 (S-04-05につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 さすがに大人の社会においては「○○が悪い」「△△のせいだ」と声高に叫ぶ人は少数派かもしれません。しかしながら、発言に「他責」が滲み出ているケースは少なくありません。最近話題になった「発熱4日待機ルールは保健所と国民の誤解」や「訓告は検事総長の判断」という発言に「他責」は忍び込んでいないのでしょうか?

 たとえ発言者の心に「他責」が存在していなかったとしても、受け取る側が「他責」を感じ取ってしまったなら、やはり軋轢が生じてしまいます。すべては双方向の縁起だからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14401412.html

 

 

-関連記事-

F-0543つのロック(&1つのキー)<ワーク付き>

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 

-参考書籍-

苫米地英人コレクション3

「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(開拓社、復刊版)