F-134:The Sweet Hello, The Sweet Goodbye -6;SadをSweetに書き換える準備となるヒーリング<老人向け 中編>
過去の記事(F-128)で、スウェーデンの男女デュオ ロクセット(Roxette)のボーカル マリー・フレデリクソン(Marie Fredriksson)を取り上げました。最後に御紹介したのは「The Sweet Hello, The Sad Goodbye」という曲。
内科医としての私が医療・福祉の現場で経験するのは「The Sad Goodbye」ばかり。でも、苫米地博士に学ぶ今は、「ヒーリング&コーチングで『The Sweet Goodbye』を実現できる」と信じています。
今回は、その「The Sweet Goodbyeを実現するために…」がテーマです。
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1;不安に襲われる若者、希望を失う老人
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2;「The Sweet Goodbye」とは?(ワーク付き)
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3;SadをSweetに書き換える準備となるヒーリング<若者向け>
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4;SadをSweetに書き換えるコーチング<若者向け>
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5;SadをSweetに書き換える準備となるヒーリング<老人向け 前編>
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老人の場合、元気を失っていくのは身体面(身体的苦痛)ばかりではありません。若者以上に精神面が落ち込んでいき(心理・精神的苦痛)、社会的喪失が重なっていきます(社会的苦痛)。やがて「自分もいつかは死ぬ」ことを感じはじめると、スコトーマが外れ、突然「自分の存在や意味」が突きつけられていることに気づくのです。その時、衝撃とともに感じる苦しみが「スピリチュアルペイン」。
では、そんな老病死(+生で四苦)に苦しむ老人にとってのヒーリングとは、どのようなことをいうのでしょうか?
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…繰り返しますが、老人の場合、身体的にも、心理精神的にも、社会的にも苦痛が増大していきます。WHOの定義でいうとどんどん“不健康”になる感じ。
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そして、ついにはスピリチュアルペインに気がつきます。本当は思春期から青年期にかけて生じていたのですが、ずっとスコトーマに隠れていた根源的な苦痛です。
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つまり、老人においては抽象度を上げた“total”という視点(全人的苦痛/total pain)、すなわち「身体的」「心理・精神的」「社会的」「スピリチュアル的」を包摂する次元でのヒーリングが必要になるということ。
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そして、その“total”という視点自体がヒーリング&コーチング実現の鍵となります。「抽象度を上げる」ことで、“希望”を見いだし、“苦痛”を解決し、“健康”(←苫米地流定義)になることができるからです。
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vol.3(F-131)で御紹介したとおり、物理空間に働くホメオスタシス(恒常性維持機能)を最初に提唱したのは米国の生理学者 ウォルター・ブラッドフォード・キャノン(Walter Bradford Cannon、1871~1945年)。キャノンは、「生体の内部や環境因子の変化にかかわらず生体の一部が一定に保たれる性質」というホメオスタシスの目的を、「生命の維持(生存)」としました。
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その「生体」や「生命」の抽象度を上げると、「生体が集合したもの」「生命の共同体」という意味で「人類(人という種)」や「社会」と考えることができます。さらに抽象度を上げて時間まで超越していくと、ますます情報次元(空間)へと広がっていきます。
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前頭葉が発達した人間においては、その情報次元(空間)にもホメオスタシス(恒常性維持機能)が働いているというのが、認知科学者 苫米地英人博士が提唱する「サイバーホメオスタシス理論(CH理論)」です。
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ここまでをまとめると、「『個の生命の維持(生存)』のためにホメオスタシスが働いているが、抽象度を上げて考察すると『生老病死』という変化も人生というスパンでのホメオスタシスであり、それは『種や社会の維持(存続)』を目的としている」ということ。
コーチング理論に置き換えると、「生存することは生命本来のコンフォートゾーンであり、生きながらえながらやがて老い、病み、死ぬことは生命共同体(の一部)としてのコンフォートゾーンである」ということができます。
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「生きたい(生きながらえたい)」が物理次元ではあたりまえである一方で、より上位の抽象度次元では「老いたい」「病みたい」「死にたい」(注:「老病死さえも楽しみ」という感覚)が本心であるはずなのです。それは遺伝子にしっかりと刻み込まれている生命本来の“意図”といえます。
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例として「細胞と個体の関係」を考えてみましょう。
一人の人間の命はひとつと思いがちですが、私たちの体は250種類 60兆個をこえる細胞の集合です。その一つひとつが決められたとおりに働き(生)、予定どおりに役割を終え(老)、次世代の細胞におきかわる(死)からこそ、全体としての生(生命)が保たれています。1日で1兆個もの細胞がおきかわりながら、それら無数の細胞(部分)が器官を形成し、たくさんの器官が見事に連携することでひとつの命(全体)が保たれているのです。
その様を東洋的にいえば無常であり縁起、西洋的に表現すればゲシュタルトであり「connect the dots」といえます。
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そんな縁起あるいはゲシュタルトを壊す存在といえるのが「がん細胞」です。あらかじめプログラムされている老いや死から逃れ、細胞レベルでの“永遠の命”を得たがんの存在(部分)は、やがてはより大きな集合である個体(全体)を死に至らしめます。そして、個体(全体)の死は、やがては“永遠の命”を得たはずのがん細胞(部分)の死を招きます。
その関係性(縁起)をしっかり理解できることが、老人にとってのヒーリングの鍵。
「個の存在(部分)をより大きな存在(全体)の一部と考えることができ、個人の生老病死を人類や社会のための重要な役割・機能と理解できること」とは“超自我”。その超自我の境地に達することが老人にとってのヒーリングであり、SadをSweetに書き換える準備であるといえます。
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では、そのようなヒーリングを実現するために、私たちは何を心がければいいのでしょうか?
(F-135につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
「個の存在(部分)をより大きな存在(全体)の一部と考えることができ、個人の生老病死を人類や社会のための重要な役割・機能と理解できること」とは“超自我”。その超自我の境地に達することが老人にとってのヒーリングであり、SadをSweetに書き換える準備であるといえます
…その“超自我”への誘いは、教育が目的とすることでもあります。
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-関連記事-
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