ブログ・シリーズ編

S-03:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~

S-03-20C)「意識化(エネルギーの情動への転換)」でのコントロール -vol.4-

 

シリーズ編第3弾(S-03)は、「心のエネルギーとは何か?」をテーマに、怒りに代表される情動の正体やその向き合い方について考察したいと思います。ぜひ皆さん自身の経験を振り返りながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-035):

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 S-03-00(目次):

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…S-03-10までの分析をシンプルにまとめると、A)概念の階層にエネルギーが生じる→B)無意識レベルでエネルギーを知覚→C)意識化(エネルギーの情動への転換)→D)物理次元で発散 といえます。「怒り」に支配されないためにはどうすればよかったのでしょうか?

 

まず、「概念の階層にエネルギーが生じる」レベルで「心のエネルギー」をコントロールするための「思いっきり概念の階層を上げてしまう」という方法についてまとめました。この方法が問題解決の本質であり、世界平和を可能とする程のパワーを持った最良・最強の解決策です。

まずは概念の階層を上がること、すなわち抽象度を上げることに挑戦してください(私も日々挑んでいます)。

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 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/21033212.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/21133126.html

 

B)「無意識レベルでエネルギーを知覚」するレベルでの「心のエネルギー」のコントロール方法とは、「イライラなどの“違和感”を感じたときに、自身のゴールを見つめなおし、ゴール達成のためのパワーに変えてしまう」というものです。

 

次はC)「意識化(エネルギーの情動への転換)」のレベルについてまとめます。

S-03-17C)「意識化(エネルギーの情動への転換)」でのコントロール -vol.1-

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 S-03-18C)「意識化(エネルギーの情動への転換)」でのコントロール -vol.2-

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 S-03-19C)「意識化(エネルギーの情動への転換)」でのコントロール -vol.3-

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今回は4回目。前回(S-03-19、松下幸之助さんの著書「指導者の条件」から引用しました。その文章をきっかけに、私は「怒りには『爬虫類的怒り』と『人間的怒り』がある」ことを確信するようになったのですが、初めて読んだときは納得いきませんでした。今思うと、道徳教育という名の“洗脳下”にあったのでしょう。

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しかし、納得がいかないながらも、なぜか心に強く響きました。何かがスコトーマに隠れている気がしたのです。

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松下幸之助さんに見えていて、私に見えていないものは何だろう?

 

そのようなことを考えているうちに気がついたのが、「怒りというエネルギーのパワーとその正しい運用方法」についてでした。そのすさまじいエネルギーは“創造”をもたらしますが、使い方を誤ると“破壊”をもたらします。原子力と同じ「諸刃の剣」です。

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「『怒り』に支配されないためにどうすればよいか?」という今シリーズのテーマにおいて、ベストアンサーは「A)のレベルで思いっきり概念の階層を上げてしまい、怒る理由がなくなる状態を作り出すこと」です。「怒る」理由がなくなるのですから「怒り」に支配されてしまうこともありません。

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しかしながら、この解決策には欠点があります。概念の階層(抽象度)が高くなりすぎると臨場感が下がってしまうのです。

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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

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臨場感が下がると“現実”ではなくなります。

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それは危機的状況でリーダーがのんびりしていたらダメなのと同じ。「まあ、いいじゃん」では大問題ですよねw

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概念の階層を思いっきり上げて一度は「怒り」を超越し(「まあ、いいじゃん!」の境地に達し)、そこからまたC)「意識化(エネルギーの情動への転換)」のレベルに移動して意図的に「怒る」

それこそが「怒り」に支配されずに、「怒り」をゴール達成のエネルギーとして活用する方法です。

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なぜ「怒り」を超越した後再び「怒り」に戻るのかというと、エネルギー効率が優れているからです。概念の階層にある情報的なエネルギーを、物理空間での具体的なエネルギーに変換する際に効率がいいのが「怒り」。

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そして、その「怒り」は、「爬虫類的」な「私憤」ではなく、「人間的」な「公憤(または義憤)」でなければならない、と松下幸之助さんは教えてくれています。

「私憤」とは扁桃体レベルでの価値判断であり、低い概念の階層での「怒り」です。

「公憤」とは前頭前野レベルでの価値判断であり、高い概念の階層での「怒り」です。

 

怒りを感じたときには、その「怒り」が「私憤」なのか? それとも「公憤」なのか? 自問してください。もしも「公憤」であると確信できるのであれば、あなたは怒るべきです。

 

 (S-03-21につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

それは危機的状況でリーダーがのんびりしていたらダメなのと同じ。「まあ、いいじゃん」では大問題ですよねw

 

もちろん、抽象度が低すぎるのも問題です。

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