ブログ・シリーズ編

S-03:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~

S-03-18C)「意識化(エネルギーの情動への転換)」でのコントロール -vol.2-

 

シリーズ編第3弾(S-03)は、「心のエネルギーとは何か?」をテーマに、怒りに代表される情動の正体やその向き合い方について考察したいと思います。ぜひ皆さん自身の経験を振り返りながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-035):

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 S-03-00(目次):

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…S-03-10までの分析をシンプルにまとめると、A)概念の階層にエネルギーが生じる→B)無意識レベルでエネルギーを知覚→C)意識化(エネルギーの情動への転換)→D)物理次元で発散 といえます。「怒り」に支配されないためにはどうすればよかったのでしょうか?

 

まず、「概念の階層にエネルギーが生じる」レベルで「心のエネルギー」をコントロールするための「思いっきり概念の階層を上げてしまう」という方法についてまとめました。この方法が問題解決の本質であり、世界平和を可能とする程のパワーを持った最良・最強の解決策です。

まずは概念の階層を上がること、すなわち抽象度を上げることに挑戦してください(私も日々挑んでいますw)。

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B)「無意識レベルでエネルギーを知覚」するレベルでの「心のエネルギー」のコントロール方法とは、「イライラなどの“違和感”を感じたときに、自身のゴールを見つめなおし、ゴール達成のためのパワーに変えてしまう」というものです。

 

次はC)「意識化(エネルギーの情動への転換)」のレベルについてまとめます。

S-03-17C)「意識化(エネルギーの情動への転換)」でのコントロール -vol.1-

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前回(S-03-17)は前頭前野の情報処理を、1)「不快」をpositiveな感情に転換する、2)「不快」をnegativeな感情に転換する の2つに分け、1)について説明しました。

そしてこんな質問をしていました。

 

「怒り」という情動(感情)は、本当にいけないものなのでしょうか?

 

皆さんはどのように考えますか?

...私は「怒り」という情動(感情)自体に「善悪」などの価値判断はないと考えています。道徳教育などにより「怒りは良くないものだ」と思いこまされているだけです。

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もっとはっきりといえば、古くは儒教教育、そして教育勅語、さらにはGHQによる占領下教育(WGIPWar Guilt Information Program)といった三層構造によって、「怒りは良くないもの」と植えつけられてしまっているといえます。仏教の“三毒”の概念も日本人の無意識に大きな影響を与えているはずです。

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世間的な常識は捨て去って、ピュアな「怒り」という情動(エネルギー)をイメージしながら読んでください。きっとスコトーマが外れます。そして、「怒り」のエネルギーをもっとうまく使えるようになるはずです。

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カナックス事件では、地元チームが敗れたことで生じた「怒り」が「破壊活動」に変わりました。「破壊活動」という結果から見ると、「怒り」はいけないものといえます。しかし、それは「怒り」を「破壊活動」として発散した方法論の問題です。

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「無意識レベルでのエネルギー」自体には価値判断がないのと同じように、エネルギーを意識化した時点でもその情動(感情)そのものには価値判断はありません。つまり、この時点での「怒り」などの情動(感情)には、「善悪」「正誤」「是非」といった価値判断はまだ入り込みません。純粋なエネルギーが、より具体的な情動のエネルギーに変換されただけです。

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「より具体的になった」ということは、概念の階層(抽象度)が下がったということ。それはもともと高い概念の階層に蓄えられた静的なエネルギーが動き始めたことを意味します。「位置エネルギーが運動エネルギーに変わり始めた」という感じ。

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ただし、情動(感情)により抽象度の階層が違うため、位置エネルギーから運動エネルギーへの変換は情動(感情)ごとに差異が生じます。

 

「怒り」は「ねたみ」「憎しみ」に比べより具体的です。「怒り」の概念の階層がより低い分、その大きな落差が(「怒り」の)エネルギーを増幅します。「ねたみ」や「憎しみ」よりもさらに大きなパワーとなって発散されるのです。

ものすごく「怒っている」人の方が、ものすごく「ねたんでいる」人よりも、発散されるエネルギー量は大きくなります。

 

さらに時間軸を考慮すると、「怒り」に変わったエネルギーはあっという間に概念の階層を落下するといえます。それに対して「ねたみ」や「憎しみ」の落下は緩やかです。「怒り」は急勾配、「ねたみ」「憎しみ」はなだらか勾配といった感じ。

 

「怒り」はその時に発散されるエネルギーは大きいのですが長続きしません。「ガーッ」と怒っておしまいです。それに対して、「ねたみ」「憎しみ」は時間をかけてじわじわと発散されていきます。「ネチネチ」と表現されるような、少量ずつかつ持続的なイメージです。

 

「怒り」の発散後にスッキリした経験は誰にでもあると思いますが、「ねたみ」「憎しみ」の後に「あ~スッキリした」なんてことはありませんよねw

「ねたみ」「憎しみ」がねちっこいのは、そのエネルギー変換のされ方に原因があるといえます。

 

いずれにせよ、この情動(感情)レベルでのエネルギーは、それまでの静的なものではなく動き始めたものであるため、なかなか制御ができません。スピードの違いがあるにせよ必ず何らかの形で発散されてしまいます。引き金は引かれてしまったのです。

 

「怒り」に変わったエネルギーの流れを“内”に向けると、自分の心や体に悪影響がでます。本当は怒っているのだけれども平静を装っている場合などです。機能性ディスペプシアや過敏性腸症候群などはその典型例といえます(怒りだけが原因ではありませんが)。

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「怒り」に変わったエネルギーの流れを“外”に向けた場合、自分を中心とした関係性(縁起)に影響を与えます。「『怒り』が周囲に影響を与える」と聞くと、何かとんでもない悪い影響が起こってしまうような気がすると思いますが、じつはそうともいえません。

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たとえば、ものすごく怒られたのに、じつはうれしかったという思い出はありませんか?

あるいは、ものすごく怒ったのに、むしろ感謝されたことは?

 

次回は、「怒り」を「善」「正」「是」のエネルギーとして利用する方法についてまとめます。

 

 (S-03-19につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

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