苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

2019/08

F-099:なぜ2位ではいけないのだろうか? ~「順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない」の意味~ <後編>

 

 東京オリンピック開催まで1年を切りました。我が家でオリンピックの話題になった際に、「なぜ銀ではいけないのだろうか?」「本当に2位ではいけないのだろうか?」という話になりました。

 

 皆さんはどう思いますか? どのように子どもに話しますか?

 

 ところで、オリンピックに関する私の見解は、「人の無意識に順位づけをすり込む洗脳手段」です。それは私のブリーフシステムが導く結論であり、情動を伴った体験の記憶と受け入れた情報の記憶による判断です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 もちろんそれは、私が師事する認知科学者 苫米地英人博士の見解でもありますが、当の博士御自身は「1位を目指さないといけない。2位で満足してはいけない」という発言もされています。

 

 順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない

 

 …一見矛盾するようなこのコメントを考察してみました。

 前編はこちら:

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18797248.html

 

 

 …次に「1位を目指さないといけない」です。

 

 忘れてはならないのが「人間の無意識は常に現状維持を求める」という事実。エネルギッシュでクリエイティブな無意識は、24時間365日“激変緩和”のために働いています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165658.html

 

 一定の状態を維持するこの働きのことを恒常性維持機能(ホメオスタシス)と呼びます。脳が発達した人間においては、その維持機能は情報空間にまで拡張しています(サイバーホメオスタシス仮説、CH理論)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 この機能は時空を超えて働きます。「私にはムリ」「2位でいい」と思うと、達成の方法がまったく認識できなくなり、1位を目指すモチベーションを失います。自分で勝手に限界を作り、豊かな未来の可能性を自ら閉ざすことになるのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 「私にはムリ」「2位でいい」というセルフトークは、「2位くらいが私らしい」というセルフイメージをますます強化していきます。セルフイメージはコンフォートゾーン(「2位くらいが心地いい」)と同義です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 コンフォートゾーンを外れた時、人は認知的不協和を感じます。認知的不協和(Cognitive resonance)とは心理学の言葉で、「人が認知している自分の内側の現実と外側の現実に矛盾が生じたときに、その不協和を解決しようとする心の作用」のこと。それがモチベーションの正体です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 例えば、「2位くらいが私らしい」と思っている人が10位になったとします。その時、無意識はコンフォートゾーンを外れたことを察知し、認知的不協和が「悔しさ」となり、自身を突き動かします。その結果、2位に戻っていくことになります(ホメオスタシスフィードバック)。これはコンフォートゾーンや認知的不協和のポジティブな面です。

 

 同じ人が1位になった時はどうでしょうか? 最初は「うれしい」という気持ちに包まれるかもしれません。しかし、やがては落ち着かない気分が上回るようになり、心身ともこわばります。ありえないミスを繰り返し、自然と「私らしい」ポジション、すなわち2位に落ち着きます。これがコンフォートゾーンや認知的不協和のネガティブな一面です。

 

 ちなみに、このコンフォートゾーンを突き破るきっかけになるのがゴール設定です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 “現状の外”にゴールを設定し、ゴールを達成した未来の記憶によって新たなコンフォートゾーンをつくることができると、強力なホメオスタシスを味方にすることができます。自然に夢がかなうのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 順位づけというすり込みを超えたところで1位(頂点)を目指し続ける生き方が「Not Normal」を生みだします。「ぶっちぎり」を実現します。私はそれが「克己」だと思っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268337.html

 

 そして、それはリーダーに求められる資質でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14526054.html

 

 

 さらにいうと、「1位を目指さないといけない」理由は個人レベルにとどまりません。より高い次元を志向する情熱は、個人の枠を大きく超えて、広く社会にひろがっていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

そのエネルギーと創造性は、まるでビックバンの“爆発”のように、時空を超えて何かを生みだします。縁あるものの心の中で。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

…次回(F-100)は、エネルギーと創造性に満ちた、情熱の塊のような先人を取り上げます。

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1-

 Q:問題です。その“先人”とは誰でしょうか?

 その方の代表的ワードを本文中に書きました(笑)。エネルギーと創造性に満ちあふれた日本人芸術家です。お楽しみに。

 

-追記2-

 「順位づけというすり込みを超えたところで1位(頂点)を目指し続ける生き方」は、コンフォートゾーンや認知的不協和のポジティブな面やネガティブな面を包摂する次元にあります。それはより空(くう)に近づいた生き様といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

 

Q-101:リハビリが必要な状態なのですが、病院からは「早めにでてほしい」と言われています。どうしたらいいでしょうか? <中編>

 

 

Q:母が脳出血で入院しています。まだまだリハビリが必要な状態なのですが、病院からは「いっぱいなので早めにでてほしい」と言われています。どうしたらいいでしょうか?

 

A:医師として、そして苫米地式認定コーチとして助言させていただきます。

 

 前回(Q-100)は医師として回答させていただきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18797109.html

 

 今回はコーチとして回答いたします。

 

私は様々な老いや死に立ち会ってきました。穏やかな「人生の最終段階」に共通しているのは「希望」です。少なくない方々が何かしらの希望により四苦を克服されていきました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045953.html

 

例えば、交響曲「運命」や「田園」で有名なベートーヴェンが、鉛中毒による難聴や肝硬変に屈せず「第九」を書き上げることができたのは、希望があったからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248557.html

 

希望がゴールとして結実するように、ぜひお母さんを導いてあげてください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

その実現のためには、支える家族自身が(そして医療の現場が)希望にあふれ、ゴールを目指している必要があります。ぜひ御自身のゴールも見つめなおしてください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

お母さんのゴールと重なった“何か”を自身のゴールとして設定できた時、それは家族の皆さんにとっても「生と死の間にあるもの」を見つける貴重な体験になるはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_318161.html

 

 希望、そしてゴールは個人の人生を豊かにするだけではなく、社会そのものを明るく変えていきます。ぜひお母さんだけではなく、次世代(お母さんからみて孫世代)の子どもたちとも一緒に取り組んでください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11301259.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11386276.html

 

 ところで、私の師である認知科学者 苫米地英人博士の著書に「がんを克服できる脳」(主婦と生活社)という本があります。その第三章は「家族の協力ががんを克服する」です。「がん」を「病気」に置き換えると、大切な家族が何らかの病気になってしまったときの心がまえを学ぶことができます。ぜひ参考にされてください。

 以下、同書から引用します。

 

 看病の目的

 なぜ、私がこんなくどく体感や納得について言うのかといえば、周囲の人々が、患者自身の体感や納得を崩してしまう可能性があるからです。

 看病する期間が長くなったり、容体が悪くなると、病人以上に周囲は動揺してしまいます。そして、本来の目的を忘れてしまって、「少しでも長く生きるにはどうしたらいいか?」「せめて残された日々を素晴らしいものにしてあげたい」といった方向にシフトしてしまいそうになります。

 しかし、そういった気持ちはいずれも、患者の死が前提です。心の底で死を決めてしまっています。その気持ちこそが最もプラセボ効果を引き下げ、患者を本当に死に導いてしまいます。

 あなたは病人を死なせたいですか? 死なせたくないですよね。ならば、あなたの心の中でも死なせてはいけません。

 (…続きは後編で)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

家庭に、医療・介護現場に、地域に、笑顔が広がっていくことを願いながら、私はコーチングを届ける活動を行っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15395021.html

 

 パーソナルコーチングやコーチングを用いた組織研修に興味のある方は、ぜひ御連絡ください(ある医療機関ではコーチングを応用したリスクマネジメント研修を行う予定です)。御質問・御相談も受け付けています。

 連絡先(メール):coachfor.m2@gmail.com

 

 

がんを克服できる脳



ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-11:アインシュタインの“直観”の源

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

「ルール」を守ることはなによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 

わたしが戦争に反対するのは、直観的な感情による。

わたしは人間を殺すことがたまらなくいやなのだ。

わたしのそうした姿勢は論理的なものではなく、

あらゆる残虐行為と憎悪に対する直観的な反発によるものだ。

 

アルバート・アインシュタイン                

 

 

前回まで「マナー」と「ルール」について考察しました。

 

マナーとは「他者を気遣う」気持ちの表れであり“自主規制”。そして、言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた“規制”がルールでした。マナーもルールもシステム(あるいは社会)を成り立たせるために存在しています。

 

ルールは言語により具体化(あるいは明文化)されたものですから、その存在は論理空間にあります。脳機能でいうと前頭前野背外側野の働きです。

感情を司るのは大脳辺縁系です。それは魚類や爬虫類にもみられる、より原始的な脳の働きです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

アインシュタインが述べた「直観的な感情」「直観的な反発」は、大脳辺縁系的な感情や反発ではないはずです。なぜなら、原始的な感情だけでは「人間を殺すことがたまらなくいや」という思考は生まれず、「残虐行為」という概念はもちろんのこと、「憎悪」という情動自体が認識できないはずだからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

アインシュタインの「直観的な感情」「直観的な反発」は、脳幹部や大脳辺縁系処理の話ではありません。大脳辺縁系どころか、「人間を殺すことは良いことか悪いことか?」「どこからが残虐行為か?」「憎悪とは何か?」といった論理的な議論(ディベート)を前頭前野背外側部で徹底的に行うことまでも超越して“直観的”に拒絶しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

このアインシュタインの“直観”は、論理空間をはるかに超えた空間(次元)へのアクセスにより生まれました。そこは“ひらめき”が生まれる超次元

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 

そのアクセスを可能とするのは、前頭前野内側部の活性化(発火)です。

脳幹・大脳辺縁系の活性化は「情動(感情)」。前頭前野背外側部の活性化は「論理」。そして、前頭前野内側部の活性化が「社会的情動」または「感性」。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

「情動(感情)」→「論理」→「社会的情動(感性)」という変化は、生命の進化そのものです。そして、それは抽象度が低い次元から高い次元への飛翔でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

前頭前野が発達した人類は、論理空間、そして超論理の空間へのアクセスが可能となり、他の生物とはまったく異なる存在に進化しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 (S-02-12につづく)

 

 

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 PM-06-12:仮説07) 思考停止

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 

アインシュタイン&オッペンハイマー(Wiki)

アルベルト・アインシュタイン博士(&ロバート・オッペンハイマー)

Wikipediaより引用

 


F-098:なぜ2位ではいけないのだろうか? ~「順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない」の意味~ <前編>

 

 東京オリンピック開催まで1年を切りました。我が家でオリンピックの話題になった際に、「なぜ銀ではいけないのだろうか?」「本当に2位ではいけないのだろうか?」という話になりました。

 

 皆さんはどう思いますか? どのように子どもに話しますか?

 

 ところで、オリンピックに関する私の見解は、「人の無意識に順位づけをすり込む洗脳手段」です。それは私のブリーフシステムが導く結論であり、情動を伴った体験の記憶と受け入れた情報の記憶による判断です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 もちろんそれは、私が師事する認知科学者 苫米地英人博士の見解でもありますが、当の博士御自身は「1位を目指さないといけない。2位で満足してはいけない」という発言もされています。

 

 順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない

 

 一見矛盾するようなこのコメントを考察してみました。

 

 

 まず「順位づけをすりこむことはよくない」から。

 

 答えは、もちろん、「差別」を生むから。

順位づけ自体は問題ありません。しかし、そこに「偉い」といった価値観や主従という支配の論理が入り込むと、順位は差別を強化するための道具に成り下がります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

 区別のための順位づけは“あり”ですが、差別のための順位づけは“なし”です。大乗仏教でいうと、仮(仮観)としての順位づけはありですが、空(空観)が抜けた順位づけはなし。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

「生まれながらにして偉い」と勘違いしているような二代目(三代目~)と出会う機会がありますが、その勘違いは苦しみとなって自らに跳ね返っているようです。差別思想が強ければ強いほど。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 順位に限らず、何らかの評価や評価基準そのものを“絶対”と思い込むことは不幸のはじまりです。「ゼッタイ」と思った瞬間に、その「ゼッタイ」以外の世界(可能世界)が認識できなくなるのだから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 それは自我を小さく限定してしまう行為であり、宇宙を閉ざす悪癖であるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 

よって、不完全性の理解はとても重要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

F-099につづく)

 

 

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-追記-

 苫米地博士の著書「現代洗脳のカラクリ」(ビジネス社)に、オリンピックが取り上げられています。以下、引用します。

 

 オリンピックを否定することが脱洗脳の第一歩

 重ねて言いますが、現在のオリンピックにやる価値などありません。

 スポーツの祭典が見たければ世界選手権で十分です。

 選手の素晴らしい技術も精神力も、国の威信を懸けた戦いにしても、オリンピック以外のイベントで十分に味わうことは可能です。

 オリンピックだけは特別、オリンピックがスポーツの頂点という思い込みこそが拝金主義洗脳につながる道なのです。

 逆にいえば、これを打ち破ることが、超富裕層が仕掛けた拝金主義洗脳を壊すことでもあるのです。

 脱オリンピック。これこそが、脱拝金主義のきっかけだと私は思っています。

 といっても「オリンピック選手を凄いと思わないようにする」なんてことを言いたいのではありません。オリンピック選手を素晴らしいと思うのは自然です。そういった自然な気持ちを否定する必要はまったくありません。

 そうではなく、私がやってほしいのは、オリンピックもごく普通のスポーツイベントだと冷静に理解することなのです。

 オリンピックには魔物が住んでいるだとか、参加することに意義があるだとか、そんなことに意味などないとちゃんとわかって楽しむ姿勢を身に付けてほしいのです。

 そうすれば、必要以上に金メダルを神格化することもなくなります。

 オリンピック選手が、政治家に向いているという見方もなくなるでしょう。

 拝金洗脳を解くきっかけにもなっていきます。

 

 

現代洗脳のカラクリ



Q-100リハビリが必要な状態なのですが、病院からは「早めにでてほしい」と言われています。どうしたらいいでしょうか? <前編>

 

 

Q:母が脳出血で入院しています。まだまだリハビリが必要な状態なのですが、病院からは「いっぱいなので早めにでてほしい」と言われています。どうしたらいいでしょうか?

 

A医師として、そして苫米地式認定コーチとして助言させていただきます。

 

まずは医師として。

 

いっぱいなので早めにでてほしいと言われている」とのことですが、「満床だから」は退院勧奨の理由ではないと推測します。

本当の理由は「ルールで入院期間が決められているから」のはず。公的医療保険に則って医療を提供している以上、病院(あるいは主治医)に裁量や譲歩の余地はありません。

 

一般的な入院期間は、急性期(2週間ほど)→回復期(~2か月ほど、上限150日)→慢性期(~3か月ほど)のはずです。

 

鹿児島の例で恐縮ですが、201611月に公表された鹿児島県地域医療構想には、県全体の既存病床数(2015年時点)26760床を2025年までに19944床に減らすことが銘記されています。つまり6816床を削減するということですが、鹿児島の場合、その多くが慢性期の病床とされています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584052.html

 

それは、患者さんやその家族にとっては、治療・療養の場が奪われるということ。

医療従事者にとっては、仕事を失うということ。

社会にとっては、ひとつの産業が縮小するということ。

そしてそれは、憲法で保障されている主権者(国民)の生存権が、さらに脅かされるということでもあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html

 

この地域医療構想を実現するための“調整”は粛々と進められています(私は2018年春まで地元の調整会議委員を務めていました)。「住み慣れた家で過ごすための在宅医療の充実」という国のスローガンどおりにことは進行しています。それが現実です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

御家族にとっては辛いことだと思いますが、老病死というこれからお母さんが迎える未来と計画された社会構造の変化をしっかりイメージした上で、ベストな判断を行ってください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 「ファイト・オア・フライト」によって苦が増幅してしまうことを防ぐためにも。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

判断に必要な情報を集め、しっかりスコトーマを外すために、病院に所属するソーシャルワーカー(相談員と呼ばれたりします)や行政の窓口に相談することをお勧めします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

Q-101につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 朝日新聞デジタル(2019819日配信)によると、全国の国立大42か所で高度な医療機器やベッドなどの購入時に支払った消費税のうち診療費に転嫁することができずに(病院側が)負担している分は計969億円(20142018年の5年間)にのぼるそうです。

 これは診療報酬制度および税制のシステムエラーによるものですが、現時点でも病院経営を圧迫しています。今年(2019年)10月の消費税再増税後は、さらに危機的な状況に陥ります。特に民間においては、破産する病院や診療所が続出するはずです。

 そこまで織り込み済みの「計画された社会構造の変化」なのかもしれません。



-関連記事-

PM-04-16:地域医療構想に潜む三つのスコトーマ

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584052.html

PM-04-17:スコトーマ① 日本の医療は誰のため? 何のため?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584289.html

PM-04-18:スコトーマ② 地域医療構想に取り入れてほしい「時間の流れ」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584437.html

PM-04-19:スコトーマ③ 地方に自治権はあるのか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748808.html

 

 

ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-10:「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わった一例 -後編-

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

 前編はこちら

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18684416.html

 

 じつはこの事例も、S-02-06と同じクライアントの実体験をもとにしています(プライバシー保護のため変更を加えてあります)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18339924.html

 

専門職Bが退職した関連会社は、かなりの期間、その穴埋めができなかったそうです。その間は本社の4名の常勤専門職が日替わりで業務を代行したとのこと。

 

本社が困った時、専門職Bは「契約にない」ことを盾にサポートを断りました。その数カ月後、「契約にない」はずの自己都合退職をした専門職Bの穴埋めを、病み上がりの者を含む本社の4人が行いました。「契約にない」のに。

そして、専門職Bの一方的な退職は、会社の判断により、「ルール違反」から「ルール違反ではない」に変わりました。

 

私はこの話を伺ったとき、多忙にもかかわらず専門職Bの穴埋めを懸命に行っている本社社員を想像し、やりきれない思いに包まれました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

何かがおかしい

何かが足りない

 

「なぜおかしいのか?」「何が足りないのか?」それを考えていく過程で「マナー」や「ルール」のさらに上(先)にあるものが見えてきました。

それは「川崎国」や少年法に関する報道を見聞きするたびに感じたものでもあります。

 

次回、その“上(先)”に迫ります。

 

最後にアルバート・アインシュタインの言葉を紹介します。アインシュタインも同じようなものを感じていたのかもしれません。

 

 

わたしが戦争に反対するのは、直観的な感情による。

わたしは人間を殺すことがたまらなくいやなのだ。

わたしのそうした姿勢は論理的なものではなく、

あらゆる残虐行為と憎悪に対する直観的な反発によるものだ。

 

アルバート・アインシュタイン                

 

 

 (S-02-11につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

F-097:私はイヤなことは心の中で握りつぶす vol.4(ワーク付き)

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 …これは戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した女優 高峰秀子さん(1924~2010年)の言葉です。vol.1(F-094)でこの言葉をコーチの視点で読み解き、vol.2(F-095)で関連するワーク(ラベリング)を御紹介しました。vol.3(F-096)では、そのワーク(ラベリング)の実践例を紹介し、さらに踏み込んで「私はイヤなことを心の中で握りつぶす」という言葉を考察しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18340552.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456250.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18576926.html

 

 前回(F-096)、「そして、ゴールが生みだす未来からの時間の流れを感じながら、心の中でイヤなことを握りつぶしました」と書きました。握りつぶした「イヤなこと」とは、その場にいた元同僚のことではありません。“だまし討ち”という痛い記憶やそれに紐づく経営陣の悪意でもありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

 では、握りつぶした本当の「イヤなこと」とは何でしょうか?

 

 

 …答えは、「『イヤなこと』と一瞬でも認識してしまった自分自身」です。それはゴールを達成している本来の私の姿ではなく、「私らしくなかった」から。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ラベリングは、重要度を「ゴールから考えたとき、どれくらい重要か」という尺度に統一するために行います。それはつまり、時間を未来から過去に向かって流れるようにするということ。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 ラベリングを行うことで、自分を俯瞰して見る視点を得るだけでなく、ゴールを実現した未来のコンフォートゾーンに自身を導くことができるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 その未来のコンフォートゾーンが、(前頭前野優位から)大脳辺縁系優位になってしまうことで「ファイト・オア・フライト」の状態に陥ることを防ぎます(あるいは、すぐに回復させる)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 私の例でいえば、「妻と過ごす楽しい“場”」が元職員の存在により一瞬で「怒りに満ちた修羅場(復讐場)」に変わったときが「ファイト・オア・フライト」の状態。

それをラベリングによりすぐに前頭前野優位に戻し、「コーチしての修行場(トゥイーキングによって気づきを得る機会)」に変えた…という感じです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

(“場”とは、情報空間における特定の座標を指しています)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

 

 握りつぶした本当の「イヤなこと」とは、「『イヤなこと』と一瞬でも認識してしまった自分自身」…

 

 

 …それでは「ラベリング」と「エモーションコントロール」の次に行うべきワークを紹介いたします。

 

 それは「すでにゴールを達成している自分を確定するワーク」です。

 

 

<Work> すでにゴールを達成している自分を確定する

 

 イヤなことを「ゴミ箱にポイッ」と捨てたり「握りつぶした」後に、さらなる未来に意識を持っていく

「もっと大きくなっている私」「さらにパワフルになった私」「ますます明るく、あたたかい私」を存分にイメージ

 逆腹式呼吸でリラックスをさらに深めながら、そのイメージをどんどん強化していく

 (スポットライトを浴びたり、光が降り注ぐイメージを楽しむ)

 最後は「確定」。さらに未来の、そしてもっと抽象度の高い自分が「本当の私」であることを確定するために、心の中でキーボードを描き「ENTER」キーを押す

 カチッと押す手ごたえ(触感)とともに、選択音が鳴り(聴覚)、目の前の世界がゴールを達成した未来の自分にふさわしい世界に変わったこと(視覚)を感じる

 (スコトーマが外れたことで感じる、今までは気づかなかった新しい認識を楽しむ)

 

 

 …以上です。

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

もしもイヤなこと(人、モノ)に遭遇してしまったら(思い出してしまったら)、「ラベリング」 → 「エモーションコントロール」 → 「すでにゴールを達成している自分を確定するワーク」と連続して行ってください。

 

ワーク後、その「イヤなこと」は、「ゴール達成のための大切な縁起」に変わっています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 認知科学者 苫米地博士の新刊「超悟り入門」(徳間書店、2019年6月28日発売)に、ラベリングが「止観瞑想(しかんめいそう)」として記されています。

以下、前回引用した部分のつづきです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18576926.html

 

また、こうやって思考を深めていくと、過去のイヤなことが突然浮かんできたりします。そのときにもまた「記憶」などとラベリングし、記憶について思考していきます。

 ただし、イヤな思い出のように情動が強く動くときは注意が必要です。「記憶」というラベリングならいいのですが、「イヤなヤツ」のようなネガティブなラベルを貼ってしまうと、次から次に、イヤなヤツの記憶がよみがえってきて、そこから離れることができなくなってしまいます。一番の問題は、そうやってイヤな記憶を繰り返してしまうとそれが長期記憶となってしまい、やがて前頭前野とのネットワークができて、そのイヤなヤツと関連するモノや場所などを見ただけで、イヤな記憶が湧き上がってしまうことです。これではせっかく瞑想をしているのに、イヤな記憶を強化してしまっています。

 ですから、ラベルはポジティブなもので構成していってください。

 また、この止観瞑想ですが、実は、座禅のように座って行うよりは、日常生活の中で、やりたいときにやったほうがいいのではないかと私は思っています。

 

 

超悟り入門2




Q-099:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか? <後編>

 

 

Q:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか?

 

A:同様の質問をたくさんいただいています。子育て中の親に限らず、管理職やリーダーのポジションにいる人にとっても、「モチベーション」が切実なテーマだからだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ところで、Q-011で「人にhave toを仕掛けないためにはどうすればいいでしょうか?」という質問に回答いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681096.html

 

 そこでは4つのポイントを挙げました。その4つとは、

 

1)     まずは自身が自由意志でゴールを設定し、want toで生きること

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

2)     何がhave toを生みだすかを知り、それら(have toをうみだすもの)を人を支配する目的で使わないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

3)     不完全性定理や不確定性原理から導きだされる真実「この世に“絶対”はない」を忘れないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

4)     ゴールを重ねていくこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 …です。  

 

 

その4点をふまえた上で、今回は「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」と「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」という二点についてまとめてみたいと思います。

前編:「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456079.html

 中編:「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」前半

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18576769.html

 

 

 …前回、「子どものwant toを大切にし続ける」ために大切なのは、親の価値観を絶対に押し付けないことであると書きました。

 ところが、親の価値観の刷り込みを防ぐことは、決して簡単ではありません。

 

 その理由の一つは、子どもが成長する際に自然と親の価値判断を受け継いでしまうからです。前々回(Q-097)の記事に書いたとおり、私たちは知らずに親のブリーフシステムを受け継いでいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 その受け継いだブリーフシステムを“正しい”と思うほど、過去に囚われることになります。過去に囚われたままでは、時代の変化は認識できません。細部がスコトーマに隠れるから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 ポイントは「不完全性定理や不確定性原理から導きだされる真実『この世に“絶対”はない』を忘れないこと」。そのために釈迦の説いた縁起の理解や空(くう)の体感がとても役に立ちます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 なぜなら、抽象度が上がるから。

 (もちろん、抽象度が上がったから縁起や空がわかるともいえます。双方向です)

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 目の前のこと(モノ)を高い抽象度で捉えなおすことができるようなると、世界は激変します。すべてがシンプルにつながるような感覚です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 

 ところで、前回(Q-098)の最後に、「じつは、『無分別』を教え伝えること自体が、『子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?』という質問への回答になります」と書きましたが、その理由はわかりましたでしょうか?

 

 無分別とは「あるものと別のものを分け隔てない」ということです。その考え方は「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げる」こと。それは「犬」と「猫」を同じ「動物」とみる視点であり、「動物」と「植物」を同じ「生物」と理解できる力のことです。そして、その力は共感することを可能にします。

 

 その“共感力”は、価値観が違う(と感じる)人達や、あるいは住む世界がまったく違う(と思える)人たちとの間に共通のゴールを見いだすことを実現します。

 

つまり、無分別が世代や地域間の格差、もっといえば時空の隔たりを解決するのです。

 

 より高い抽象度で共感できる親は、子どもとゴールを重ねることができます。だから、「子どものwant toを大切にし続ける」ことができるようになるのです。過去に囚われずに。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 私は、“より高次の世界”を志向し続ける生き方自体を、ブリーフとして、次世代に手渡したいと願っています。

 

 

 …以上が「子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか?」という御質問への回答です。

 

 御相談ありがとうございました。

 

 

苫米地式認定コーチ                       

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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PMⅠ-01-18~ “無敵”の意味

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 PMⅠ-07-09~ 「平成」という元号に埋め込まれたコード

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 F-089~ 無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_369873.html

 

 

ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-09:「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わった一例 -前編-

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

「ルール」を守ることはなによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 

では、次のケースで考えてみましょう。

 

case12:自分の都合で契約を一方的に破棄した専門職Bの場合>

あるグループ会社があります。その中核的な組織は様々な専門職で構成されています。その中でも特に重要なある専門職は全国的に不足しているため、なかなか人員確保ができません。そこでその組織では、本社勤務の4名に加え、同じ敷地内にある関連会社に勤務する形でさらに専門職B1年契約(更新)で雇っています。

ある時、本社勤務の専門職の一人が入院することになり、業務内容にゆとりのある専門職Bにその間の応援をお願いすることになりました。

ところが、専門職Bはこれを拒みます。「本社の手伝いは契約にない」という理由で。

専門職の配置をグループ全体で考えていた本部は、契約内容の見直しを行うことにしました。しかし、専門職Bとの契約更新期限までに準備が間に合わなかったため、次の年に持ち越すことになりました。

ところが、専門職Bは新たな契約期間中にもかかわらず、一方的に退職を申し出て、その1カ月後には姿を見せなくなりました。契約破棄による一方的な退職の翌月、専門職Bがライバル会社で働いていることが判明しました

 

このケースは「マナー違反」でしょうか? それとも「ルール違反」でしょうか?

 

 

このケースでは「ルール違反」かどうかは微妙です。

 

まず、本社で欠員がでたときに「本社の手伝いは契約にない」という理由で応援を断った事例ですが、専門職Bの立場で考えるとこれは正当な主張(クレーム)だといえます。もし強要されたなら“契約違反”を訴えることが可能なはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

困っている側からみるとやり切れないでしょうが、契約内容に改善の余地があることが問題の本質であり、怒りを専門職Bにぶつけることは“八つ当たり”です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html

 

では、専門職Bが新たな労働契約期間中に転職したことはどうなのでしょうか?

 

 

労働契約解除が労働者からの申し出によるものを「自己都合退職」といいます。他の退職の形態には「定年退職」「会社都合退職」がありますが、中途退職のほとんどは自己都合退職です。

 

今回のケースは「6カ月以上の期間をもって報酬を定めた雇用契約」に相当するので、民法第627条第3項により3カ月後に退職が成立します。期間の定めのある労働契約については、民法第628条により「原則として契約期間の満了まで退職することはできない」はずです。労働者が一方的に退職した場合には、損害賠償請求の対象になります。

 

よって、このケースでの専門職Bの退職は、退職を一方的に申し出た時点では「ルール違反」であり、損害賠償の対象です。

 

しかし、この関連会社は、この一方的な退職を受け入れました。その瞬間、双方が合意したとみなされ、「ルール違反」ではなくなります。それを「合意退職」といいます。

 

よって、このケースでは「ルール違反」かどうかは微妙といえます。

 

 (S-02-10につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

F-096:私はイヤなことは心の中で握りつぶす vol.3

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 …これは戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した女優 高峰秀子さん(1924~2010年)の言葉です。前々回(F-094)はこの言葉をコーチの視点で読み解き、前回(F-095)は関連するワーク(ラベリング)を御紹介しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18340552.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456250.html

 

 今回は、そのワーク(ラベリング)の実践例を紹介した後、さらに踏み込んで「私はイヤなことを心の中で握りつぶす」という言葉を考察します。

 

 

 …先日、妻と買い物している際に、かつて“だまし討ち”された病院の職員に会いました。しかもその職員は、私を誹謗中傷するだけで調停の主旨とは全く関係のない(むしろ申し立て理由を自ら否定する)“証拠”を書いた一人です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

 私はその職員のことを医療人として高く評価し、人としてもとても信頼していました。だからだと思いますが、裁判所に提出された“証拠”を目にしたときには激しい怒りを感じました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

その怒りが、痛い記憶とともに、一気に吹きだしたのです。それまでの楽しかった“場”は、一瞬で修羅場に変わりました。私の中で。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 その時に行ったのがラベリングです。

 まずは噴出した「D」を切り離しました。「私らしくない」「コーチらしくない」とセルフトークしながら。

 次に「T」か「Nil」かを判別し、「T」と判断した後さらに分析していきました。具体的には、「The Power of Mind Ⅰ」第六章で行ったように仮説を立てて、トゥイーキングを行いました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124527.html

 

 そして、ゴールが生みだす未来からの時間の流れを感じながら、心の中でイヤなことを握りつぶしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 ところで、イヤなことを握りつぶす“私”とは誰のことでしょうか?

 

 …もちろん、それは「ゴールを達成した私」のことです。その「私」は、抽象度でいえば、より高い次元にいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 イヤなことの正体は何でしょうか?

 

 …「イヤなこと」の「イヤ」はすべて「D」。情動であり、心の迷いです。「イヤなこと」の「こと」が「Nil」ならば無視すればいいですし、「T」ならば解決策を考えるいい機会となります。ゴール実現にますます近づいていくことを楽しむことさえできます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 (握りつぶすのが)心の中でなのはなぜでしょうか?

 

 …情報空間の方が書き換えやすいからです。宇宙は多次元の階層構造で、その底面が物理空間です(物理空間も情報空間の一部です)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 

すべては双方向の縁起ですが、より高い抽象度次元に因があり、低い次元で果としてあらわれています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

だから、情報量のより少ない高次の抽象度空間の方が書き換えやすく、かつ、より大きな変化を(物理空間など低次の抽象度空間で)起こしやすいのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 では、握りつぶすためのエネルギーはどこから生じるのでしょうか?

 

 …答えは抽象度の差です。抽象度が高くなるほど大きくなるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)が、「握りつぶす」力の源です。つまり、ゴールの抽象度が上がるほど、強力に握りつぶすことができるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045827.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 

 

 エネルギーは、時間軸でいえば未来に、抽象度でいえば高次の抽象度空間に存在しています。そのエネルギーにアクセスする方法がゴール設定。

だから、「Goal comes 1st.」(by Lou Tice)なのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8583393.html

 

 皆さんはすでに大きなエネルギーと創造力を潜在的に持っています。それらを引き出すものがコーチングです。

 

 

 …先程、「そして、ゴールが生みだす未来からの時間の流れを感じながら、心の中でイヤなことを握りつぶしました」と書きました。

 

私が握りつぶした「イヤなこと」とは、じつは、その場にいた元同僚のことではありません。“だまし討ち”という痛い記憶やそれに紐づく経営陣の悪意でもありません。

 

握りつぶした本当の「イヤなこと」について、次回、新たなワークとともに記します。

 

(F-097につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 認知科学者 苫米地博士の新刊「超悟り入門」(徳間書店、2019年6月28日発売)に、今回御紹介したラベリングが「止観瞑想(しかんめいそう)」として記されています。

今回と次回の2回に分けて引用します。

 

止観瞑想

 …この煩悩を上手に扱うのに適しているのが「止観瞑想」です。止観の止とは煩悩を止めることを意味しています。煩悩を一時的に止めて自分の思考や感覚を観るのが止観瞑想になります。

 では、煩悩を一時的に止めるにはどうすればいいでしょうか?

 それは、ラベリングです。瞑想中に湧き出てきた情動にラベルを貼っていく作業を繰り返すのです。

 例えば、「お腹が減ってきたな」といった感情がふと湧いてきたら、「空腹」とラベリングします。「眠くなってきたぞ」と思ってきたら「睡眠」といった感じです。

 そして「空腹」とはなにか、「睡眠」とはなにかを思考していくのです。

 「空腹とは食欲から発せられるものであり、その源は大脳辺縁系にあるといわれている。これに従って食べていかなければ人は死んでしまう。しかし、人は水さえ飲んでいれば一週間ぐらい断食しても死ぬことはない。かえって健康になるといわれる。ということは、いま感じているこの空腹は従う必要がそれほどない可能性が十分にある。少なくとも緊急性は低い。ならば、この空腹はなにゆえ発生したのであろうか? 瞑想を邪魔する感覚なのか?」などなど、思考を深めていく作業を行っていくのです。

 

 

超悟り入門




Q-098:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか? <中編>

 

 

Q:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか?

 

A:同様の質問をたくさんいただいています。子育て中の親に限らず、管理職やリーダーのポジションにいる人にとっても、「モチベーション」が切実なテーマだからだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ところで、Q-011で「人にhave toを仕掛けないためにはどうすればいいでしょうか?」という質問に回答いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681096.html

 

 そこでは4つのポイントを挙げました。その4つとは、

 

1)     まずは自身が自由意志でゴールを設定し、want toで生きること

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

2)     何がhave toを生みだすかを知り、それら(have toをうみだすもの)を人を支配する目的で使わないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

3)     不完全性定理や不確定性原理から導きだされる真実「この世に“絶対”はない」を忘れないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

4)     ゴールを重ねていくこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 です。  

 

 

その4点をふまえた上で、今回は「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」と「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」という二点についてまとめてみたいと思います。

前編:「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456079.html

 

 

 次に「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」です。

 

 「子どものwant toを大切にし続ける」ために大切なのは、親の価値観を絶対に押し付けないことだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672735.html

 

 「私は子どもの意志を尊重している」「子どもに価値観を押し付けることはない」と自信がある方ほど、じつは、注意が必要です。その過信がhave toを生みだし、(生みだしたhave toを)ますますスコトーマに隠します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 そもそも日本人が使う「家族」や「子育て」という言葉自体に、すでにhave toが潜んでいるのかもしれません。

 

 

 ちょうどこの原稿を仕上げている頃(2019722日)に、吉本興業の岡本昭彦社長が所属芸人の闇営業問題に関する会見を開きました。その会見は反社会的勢力が参加するパーティーに出席しギャラをもらっていた(しかも虚偽の報告をした)として解雇された芸人側の告発会見を受けてのもので、闇営業騒動後初めての会社側の公式会見でした。

 

 その会見については様々なメディアで取り上げられていますが、私がとても気になったのは「俺には全員をクビにする力がある」という自身の発言について、「冗談といいますか、和ませるといいますか」「家族というか身内というか、いいかげんにせえよと」「父親が息子に“勘当や”というつもりだった」と釈明したことです。

 

 家族、身内、父親、息子

 

これらの言葉を釈迦哲学で理解していれば問題はありません。しかし、儒教的に誤って解釈しているのならば大変危険です。その誤った解釈により、儒教的な「アプリオリ、かつ、絶対的な違い」、すなわち「差別」が強化されてしまうことになるからです。

 

日本の文化の多くは中国や朝鮮から伝わりました。例えば仏教でいうと、そのオリジンはインドの釈迦を祖とする哲学ですが、中国で儒教・道教と強く結びついた後に日本に伝来しています。よって、釈迦オリジナルの哲学は“中国化”されているといえます。

 

「この世に絶対(アプリオリなもの)はない」や「この世は心が作っている」という釈迦哲学のプリンシプルに対して、儒教のプリンシプルは「仁義の道を実践し、上下秩序を弁別する」です。「この世には初めから違い(=差別)がある」「その違い(差別)に従え」というのが儒教システムの根幹であり、その正体は「無分別」を是とする仏説(釈迦哲学)とは決して相いれない差別思想です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

支配者や既得権益、今回のテーマでいうと父親は、この論理(差別思想)を使ってシステムを強化してきました。

 

人類の進化途上において、かつての社会は「権力を持つ者」(「父親」)がそれ以外の「下々の人々」(「家族」)を支配し搾取するという構造でした。

「下々の人々(子ども)にはそもそも権利はなく、それは支配者(父親)から一方的に与えられている」という理不尽なその構造は、“社会的洗脳”により民衆(家族)の潜在意識に植えつけられました。儒教的な「御恩と奉公」という言葉や吉本社長会見での「家族」の使われ方がそのいい例です。

 

長い闘争の歴史を経て、人類はより進化した構造を手に入れました。

そこでは権利は「アプリオリ(先験的)に、等しく、生じているもの」。「生来の違いなどなく、すべては(本質は)同じである」という思想は、2600年前に釈迦の縁起が示唆していたものでもあり、仏語でいう「無分別」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

「あるものと別のものを分け隔てない」というその考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」です。それは、「犬」と「猫」を同じ「動物」とみる視点であり、「動物」と「植物」を同じ「生物」と理解できる力といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

その「無分別」の対極にある分別という概念の根底には、差別思想があります。

もしも「空観(くうがん)」がしっかりと維持されているのであれば、分別は許されます。「空(くう)」であることを十分に分かった上で、機能・役割により仮としての違いを見出すことは「区別」です。それは「差別」とは本質的に異なります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

親はその違いをしっかりと理解し、次世代にちゃんと伝えなければなりません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 

 

 じつは、「無分別」を教え伝えること自体が、「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」という質問への回答になります。

 

Q-099につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記―

「アプリオリ(先験的)に等しく生じているお互いの権利」を活用するために(そして、守りぬくために)、契約の概念とともに様々なルールが情報空間に生まれました。

例えば、簡単には解雇できないこともその一例で、それが現代の(本来あるべき)社会の姿です。「だまし討ち」など論外で、労働基準法はもちろん、憲法で保障された国民の権利そのものを侵害しています(日本国憲法第3章第27条)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

 現在、マナーやルール、モラルを通して自由を考察するシリーズ(シリーズ編第2弾)を連載中です。どうぞ御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_368012.html

 

 

-関連記事-

The Power of Mind Ⅰ」第五章(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13077001.html

 

ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-08:少年法が問いかけるもの

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

私たちはルールの本来の目的を忘れることがあってはなりません。

「ルールの本来の目的を忘れること」の一例として、「ルールを守りさえすればいい」という考え方があげられます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18455955.html

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

 

 

ここである事件について考えてみましょう。2015220日に川崎市の河川敷で中学1年生が殺害された事件です。

逮捕された少年たちは、テロ組織「IS(イスラム国)」になぞらえ、自らのチームを「川崎国」と名乗っていたそうです。地元で中高生を見つけるとこのように凄んでいたといいます。「俺らは法律関係ない。自分達のルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きたまま首を切るよ」

 

この少年たちは「ルール」を勘違いしていました。

 

社会の中で生きる以上、つまり他人との関係の中に存在している以上、私たちは何らかの「マナー」や「ルール」を守らなければなりません。社会に迷惑をかけながら「自分達のルールで動く」ことは許されません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

現に、この少年たちは、「自分達のルール」で人を殺したことにより逮捕されました。

 

未成年者の犯罪については少年法が適用されます。

「少年法では未成年者には成人同様の刑事処分を下すのではなく、原則として家庭裁判所により保護更生のための処置を下すことを規定する」とされており、家庭裁判所の判断により検察に逆送し刑事裁判に付さしめることもできますが、その場合においても不定期刑や量刑の緩和など様々な配慮が規定されています。

 

未成年者の犯罪に対してこのような配慮がなされるのは、「未成年者の人格の可塑性に着目しているため」とされています。可塑性(かそせい)とは、「固体に外力を加えて変形させ、力を取り去ってももとに戻らない性質」のことですが(デジタル大辞泉)、この場合は「脳の神経回路網はその活動に応じて構造と機能を変化させる性質をもつ」という「脳可塑性(brain plasticity)」のことです(最新 心理学事典)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9367702.html

 

つまり、13才の少年の命を奪った少年たちは、「少年法」というルールにより逮捕・拘束されると同時に、未来の可能性を根拠に「少年法」によって守られていたのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

 

他者を気遣う気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」

言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた“規制”が「ルール」

「マナー」も「ルール」もシステム(社会)を成り立たせるために存在している

「ルール」は煩悩をコントロールして自分中心を克服するきっかけとなりえる

 

 

再度、考えてみましょう。

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

そして、人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 (S-02-09につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

川崎市中1男子生徒殺害事件をきっかけに少年法改正議論が盛り上がりました。例えば、その頃可決された18才以上に選挙権を与える法案と絡めて、「選挙権をもてばもう大人であり、少年法で保護すべき対象ではない」という主張(クレーム)が強まりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

 皆さんはどのように考えますか?

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

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