苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

2019/07

Q-097:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか? <前編>

 

 

Q:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか?

 

A:同様の質問をたくさんいただいています。子育て中の親に限らず、管理職やリーダーのポジションにいる人にとっても、「モチベーション」は切実なテーマだからだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ところで、Q-011で「人にhave toを仕掛けないためにはどうすればいいでしょうか?」という質問に回答いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681096.html

 

 そこでは4つのポイントを挙げました。その4つとは、

 

1)     まずは自身が自由意志でゴールを設定し、want toで生きること

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

2)     何がhave toを生みだすかを知り、それら(have toをうみだすもの)を人を支配する目的で使わないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

3)     不完全性定理や不確定性原理から導きだされる真実「この世に“絶対”はない」を忘れないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

4)     ゴールを重ねていくこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 です。  

 

 

その4点をふまえた上で、今回は「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」と「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」という二点についてまとめてみたいと思います。

 

 

 まずは「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」から。

 

 発達心理学の研究により、私たちの価値判断の90%以上が親の影響を受けていることが明らかにされています。つまり親と同じように生きるということ。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17868025.html

 

 それは親のブリーフシステムを受け継ぐことでもあります。よって、親の(自分への)子育てがhave toだったなら、その子の(親世代からみて孫への)子育てもhave toになりやすいといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 皆さんの親は楽しそうに子育てをされていましたか?

 

 もし楽しそうな様子やうれしそうなイメージが思い浮かばないのなら、親の子育てはhave to優位だったはずです。そして、明るいイメージが思い浮かばなかった方々は、親世代の「『~ねばならない』子育て」を受け継いでしまっています。

 

 では、なぜ子育てがhave to(~ねばならない、~してはならない)になってしまうのでしょうか?

 

 

 私は大きく3つの理由があると思っています。「しっかり育てなければ子どもが苦労する」「食っていけなくなる」といった“不安・恐怖(F:Fear)”、「だから私がしっかりと育てないといけない」という“義務感(O:Obligation)”、そして他の家庭と比較して「うちは○○ができなくて申し訳ない」と感じるような“罪悪感(G:Guilty)”です。

 これらが霧(FOG)を生みだし、ゴールを見失わせます。want tohave toに変わってしまうのです。

 

 今年(2019年)6月、東京大学法学部卒の元農林水産事務次官(76歳)が44歳の長男を包丁で殺害するという事件がおこりました。我が子を殺害するきっかけになったとされるのが、その前月(20195月)の川崎殺傷事件です。バス停にいた私立小学校の児童や保護者ら20人が、長年引きこもり生活を続けていた容疑者(51歳)に殺傷されました。

 逮捕後、元次官は「息子があの事件(川崎殺傷事件)の容疑者のようになるのが怖かった」「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と供述したそうです。

 

 「息子が事件をおこすのではないか」という不安・恐怖、「周囲に迷惑をかけてはならない」という義務感、そして「息子をこのように育ててしまって申し訳ない」という罪悪感。

それらが霧を生みだし、殺害以外の解決策を見えなくしてしまいました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 

 親は自身のマインドを常にモニターし、少しでもhave toを感じたなら、直ちに自問するべきです。

 

 私は子どもをどのような人間に育てたいのか?

 どのように生きてほしいのか?

 最も伝えたい(手渡したい)ことは何か?

 

 その答えが(ぼんやりとでも)感じられたなら、今度は「子育てを通じて自分自身に何を望んでいるのか?」を自問してください。

 

 私はどのような人間になりたいのか?

 どのように生きたいのか?

 最も得たいことは何か?

 

 そのような自問を通じてつかみ取ったものが、新たなゴールを生みだします。

 

Q-098につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

The Power of Mind Ⅰ」第五章(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13077001.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-07:ルールは“自分中心”を克服するためにある

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

この事例からわかることは「社会の中のさまざまなシステムは『ルール』で維持されている」ということ。

では、なぜ「ルール」が必要なのでしょうか?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18339924.html

 

 

答えは、「煩悩のコントロールのため」です。

 

“煩悩”とは、脳幹レベルや大脳辺縁系レベルでの情報処理のこと。簡単にいうと「自分だけがよければよい」という「自分中心」、いわゆる「自己チュー」のことです。

 

「自分中心」の人は、決して“本当の幸せ”を感じることができません。

 

人間関係に軋轢を生じ、自分自身の心の傷を深くしてしまい、そして、いつまでも変化(進化、向上)することができず、チームの足も引っ張ってしまう。さらには、“本当の幸せ”を感じることもできない悲しい生き方

 

それが「自分中心」という生き方です。その詳細は「人間関係」をテーマとしたシリーズ編第4弾で取り上げる予定です。

 

 

 「煩悩のコントロール」を「自分中心の克服」と捉えると、ルールは教育においてもとても大切な役割を果たすといえます。教育の目的は人間形成だからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 ただし、本来の役割を忘れてしまうと、ルールはかえって教育に弊害を与えるものとなってしまいます。子どもたちの自由を奪い取る破壊装置となってしまうから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

 私たちはルールの本来の目的を忘れることがあってはなりません。

 

 

他者を気遣う気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」

言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた“規制”が「ルール」

「マナー」も「ルール」もシステム(社会)を成り立たせるために存在している

「ルール」は煩悩をコントロールして自分中心を克服するきっかけとなりえる

 

 

「ルールの本来の目的を忘れること」の一例として、「ルールを守りさえすればいい」という考え方があげられます。

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

 

 (S-02-08につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

「マナー」や「ルール」に従わない人のことを「自由人」と表現することがあります。

しかしながら、それは完全な誤りです。自身の煩悩に支配されたままで、まったく自由ではないのだから。

この誤用も「ルールの本来の目的を忘れること」の一例です。

 

以下、ピーター・F・ドラッカー(19092005年)の言葉を紹介します。

 

自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。権利ではなく義務である。真の自由は何かからの自由ではない。それでは特権に過ぎない。

自由とは、行うことと行わないこと、ある方法で行うことと他の方法で行うこと、ある信条をもつことと逆の信条をもつことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。

                             「産業人の自由」より

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 F-052~「人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる」

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268337.html

 


F-094:私はイヤなことは心の中で握りつぶす vol.1

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 これは戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した女優 高峰秀子さん(19242010年)の言葉です。

 

 Wikipediaによると、4歳の時に母親を結核で亡くした高峰さんは、名づけ親にもなった父の妹の養女となり東京に移り住みます。その義母(実父の妹)は17歳の時に函館に来た活動弁士(サイレント映画上映中にその内容を語りで表現する解説者)と駆け落ちし結婚。その後自らも「高峰秀子」の名で活弁士として活動したそうです。

 

 5歳の頃、蒲田撮影所を見学した際にたまたま行われていた子役オーディションに義父に推されて飛び入り参加した高峰さんは、見事監督に選ばれ撮影所に入社することになりました。その時から義母の芸名 高峰秀子を名乗りはじめたそうです。

その後子役から女優へと成長し、1954年に「二十四の瞳」でブルーリボン賞主演女優賞を、1955年に「浮雲」でキネマ旬報ベストテン女優賞を、1979年に「衝動殺人 息子よ」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞します。

 

 私が驚いたのは1981年に制作された映画「典子は、今」の助監督をされていたこと。「典子は、今」は、母親が服用していたサリドマイド剤の副作用により両腕のない状態で生まれた辻典子さん本人を主人公にしたセミ・ドキュメンタリー映画です。

 

 両腕のない主人公が海に飛び込んで懸命に泳ぐシーンは、今も私の脳裏に焼き付いています。幼少期のトラウマ体験により泳ぐことが苦手だった当時の私にとって、その映像はとても衝撃的だったからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702169.html

 

今思えば、「典子は、今」から勇気をもらったことが、トラウマを克服する大きなきっかけになったのかもしれません。おかげで大学時代にはウインドサーフィンを存分に楽しむことができました(代わりに霊を怖がっていましたけれど)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199964.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7384947.html

 

 それでは高峰秀子さんのこの言葉を、コーチの視点でみてみましょう。

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 この言葉は強力なアファメーションになっています。「~できたらいいな」や「~したい」といった願望ではなく断言です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14973460.html

 

 「握りつぶす」という言葉には強い意志が滲み出ています。それは例えば「ドリームキリングには絶対に負けない」というような覚悟の言語化でしょう。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 「その強い意志や覚悟が、やがて高いエフィカシーへと昇華していく」と私は思っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 もちろん「握りつぶす」の根底にはどんなに止められても成し遂げたいと願うようなゴールがあるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そのゴール(未来のイメージ)とエフィカシー(達成の確信=臨場感)が“現実”を生みだします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 「イヤなことは心の中で握りつぶす」というセルフトークは、「エモーションコントロール」にも活用できます。エモーションコントロールとは、不安や恐怖、怒りといった強い情動によりIQやパフォーマンスが低下するのを防ぐ(すみやかに改善する)ためのスキルです。

 

 例えば、泳ぐのが苦手な子どもがプールを見ただけで震えてしまうのは、何らかの辛い記憶がトラウマ化しているからです。かつての私もそうでした。

 泳ぐことに関するネガティブな体験を、海馬は重要な“失敗”として側頭葉に投げ込み記憶させます。そして、不安・恐怖などを伴った強烈な体験であるほど、繰り返し思い出したり、恐ろしい夢として見たりしながら、長期記憶化していきます。それがトラウマ化の正体です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 そうした状態が続くとプールや海の話題を見聞きしただけでドキドキしたり、体がブルブル震えたり、息苦しくなるなどの身体症状があらわれます。それは情報空間(心)にできた傷の物理空間(体)への表出です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248940.html

 

 扁桃体と海馬による記憶の増幅作用が、そのような身体症状を引き起こします。プールや海がトリガー(引き金)となって(しかも扁桃体により増幅されながら)引っ張りだされ、まるで今その場にいるかのように恐怖を追体験するのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

その体験は「過去(のイヤな記憶)が“現在”(=現実)に変わってしまうこと」ともいえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 さらに、トラウマに関連する情報に接することでおこるイヤな記憶の増幅が繰り返されると、やがては前頭前野に認識のパターンが生まれてしまいます。前頭前野の認識パターンとはブリーフシステムのことです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 この段階に至ると、自律神経の乱れが生じ、生命維持に直結する脳幹にも変調がみられ、中枢神経の働きまでおかしくなります。ブリーフシステムとは個人の心理的特性であり人格そのものですので、まるで「別人になった」かのように変わり果ててしまいます。

 

 よって、最初のトラウマ化を防ぐための「エモーションコントロール」はとても重要といえます。

 

 

 次回は、「イヤなことを心の中で握りつぶす」や「エモーションコントロール」のためのワークを御紹介します。

 
(F-095につづく)

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 「エモーションコントロール」について、認知科学者 苫米地英人博士がYou Tube公式チャンネル内で詳しく解説されています。海外で開催されたシークレットセミナーでの講義内容がなんと無料で視聴できます(私はそのセミナーに参加させていただきました)。25分程です(2倍速で視聴したら12分!)。ぜひご覧ください。

 苫米地英人You Tube公式チャンネル

 https://www.youtube.com/watch?v=73T7i1M6-JQ

 

 

高峰秀子さん(Wiki)

高峰秀子さん(1940年代後半)

Wikipediaより引用

 

 


Q-096181122福祉講演会(鹿児島県)- 18 <最終回;後編>

 

 20181122日に、鹿児島県の福祉施設にて、コーチングをテーマとした講演を行いました。これまで講演後にいただいたコメントに回答してきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15981131.html

 

毎回、「そもそも不完全な宇宙に生きている、必ずスコトーマを持った私たちが、『よりよく生きるために心がけるべきこと』とはなんでしょうか?」と問いかけてきましたが、その答えはイメージできたでしょうか?

 

 私の答えは「ゴールを共有し、スコトーマを外しあいながら、お互いのエフィカシーを高めあう」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18223018.html

 

 そのことを認知科学者 苫米地英人博士は、「悪いくせをやめる方法」として書かれています。以下、「薔薇色脳 ~悩みが1分で解決できる人生好転50のメソッド」(主婦と生活社)から引用します(段落を1か所変更しました)。

 

 引用開始

 あなたはコーヒー派ですか、紅茶派ですか? こう聞かれたときに、「コーヒー」などと無意識に答えるのは、その90%が、子どもの頃の親のモノマネをしていることがとても多いのです。つまり、あなたの好き嫌いの嗜好は、実は親の影響をかなり受けているのです。

 それは習慣についても同じ。喫煙などは、子どものときに親が吸っていたから自分も吸うようになったという人は多いでしょうし、親に殴られて育った人は同じような親になるとよく聞きます。

 しかし、くせに関していえば、自分が気づいた時点で、直すことができます。本当にやめたいと思えば、人間はやめます。身体に悪いと知っていてもタバコを吸っていた人も、本当に身体が悪くなったらタバコはやめるわけですから。本気でやめるモチベーションさえあれば、たいていのくせはやめることができるのです。

 ところで、くせというのはすべて悪いわけではありませんよね。直す必要のないくせもあるのです。そのへんは自分で、これはいいくせ、これは悪いくせだと判断ができると思います。

 さて、今ここでうなずいた方はちょっと危険です。

 

実はいいくせ、悪いくせの判断は自分ではなかなかつきにくいからです。逆によいと判断したくせのほうにこそ、直さなければいけないものが潜んでいることが多いのです。周囲に迷惑をかけているのに、本人は気がついていない。これが最悪のくせでしょう。人に指摘されるまでわからないので、かなりやっかいなのです。

 パートナーがいれば、パートナーに指摘してもらうのがいちばんなのですが、パートナーがいない場合は、過去を振り返って、「他人から指摘されて不快に思ったこと」をもう一度、吟味してください。必ず、そこに悪いくせは潜んでいます。ただし、過去を吟味するときは他人事のようにやってください。過去の怒りまで思い出したり、自分やパートナーを責めるのは禁物です。素晴らしいアドバイスだと思って生かす方向性で行ってください。

 まず、くせを指摘しあう前に、2人の共通目標を持ちましょう。何年後にマイホームを持つでもいいし、子どもを有名校に合格させるでも、なんでもかまいません。お互いにとって利益になる目標を掲げて、その実現のために、やめるべきくせ、やめなくていいくせを洗い出していくのです。

 私がおすすめするのは「くせ・マトリックス」を作ることです。縦軸は目標にとってプラスか、マイナスか。横軸はそのくせに本人が気づいているか、いないか、です。目標に対してマイナスで、気づいていないくせは、必ず直さなければいけません。ただし、この表に書かれた時点で、あなたの意識には悪いくせだと認識されます。さらに、あなたにとってプラスになる目標も提示されているのですから、直すことができるのです。

 これを機会に、家族や恋人同士でくせ・マトリックスを試してみてはいかがですか? ただし、必要以上の指摘をして、ケンカにつながらないよう、重々ご注意を(笑い)。

 引用終わり

 

 

 「パートナーがいれば、パートナーに指摘してもらうのがいちばん」なのは、お互いのスコトーマを外すことができるから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

そのために「共通目標」を持つことが重要ですが、それはコーチングスキルを使ってゴールを設定し、ひとつ高い抽象度で共有する(LUBをとる)ことで実現できます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 「ゴールをひとつ高い抽象度で共有する」の具体的な例として、医療・福祉施設の経営者のゴールが「超高齢化社会向けの医療・介護のノウハウを理論化して社会に役立てている」で、職員のゴール(願望)が「海外旅行をしたい」であるというケースを考えてみましょう。
 この場合、「これから超高齢化社会を迎える諸外国にノウハウを伝える海外拠点ができ、サバティカルを兼ねてスタッフ(チーム)が交代で勤務している」といったものが、「ひとつ高い抽象度で共有するゴール」となります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 

 パートナーはたった一人に限定する必要はありません。

 

想像してください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

働く仲間全員がゴールを共有し、その実現に向かって助言しあい(スコトーマを外しあい)、励ましあっている職場を(コレクティブエフィカシーの実現)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

お互いが自分にしか認識できないものをちゃんと伝え、誰もが自分にしかできない機能をしっかりと発揮して、(その結果として)ますます活気づいているチームを。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

明るく、あたたかく、心地よい感じがしませんか?

 

それを実現するものが「ともに働くこと」「ともに生きること」だと私は思っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

 以上で、20181122日に、鹿児島県の福祉施設で行った、コーチングをテーマとした講演に関するQAを終わります。

 

 医療・福祉や教育に関する講演はもちろんのこと、コーチングを用いた研修(リスクマネジメント、リーダー育成、スタッフ能力開発等)に興味のある方は、気軽に御相談ください。

パーソナルコーチングも受け付けています。

連絡先:coachfor.m2@gmail.com

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 


 

ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-06:社会の様々なシステムは「ルール」で維持されている

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

 マナーとルールをシンプルにまとめると、

 

「他者を気遣う」気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」

 

言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた社会全体で共有する“規制”が「ルール」

 

といえそうです。

「ルール」の場合、他者(あるいは社会)による罰が生じえます。

 

 

では、再度具体的な例で考えてみましょう。

 

case 11:遅刻を繰り返す専門職労働者Aの場合>

あるグループ会社があります。その中核的な組織は様々な専門職で構成されています。その中でも特に重要なある専門職は全国的に不足しているため、なかなか人員確保ができません。そこでその組織では、常勤の4名に加え、人材紹介会社に高額のフィーを払って、さらに1名の専門職を確保しています。

ところが、紹介された専門職Aは遅刻を繰り返します。時には2時間近くも遅刻するため、会社全体にまで悪影響が及んでしまいます。そのため重要かつ緊急な案件の場合は、常勤専門職が自身の業務を中断し、その派遣専門職Aの業務を代行しています。

それなのに遅刻を繰り返すAからは感謝どころか謝罪さえも一切ありません。さらには遅刻を注意されると逆ギレし周囲に当たり散らします

 

さて、このケースは、「マナー違反」でしょうか? それとも「ルール違反」でしょうか?

 

 

現実的にはありえない極端な例と思われたでしょうが、この事例はクライアントの実体験をもとにしています(プライバシー保護のため変更を加えてあります)。

当然ですが、このケースは「マナー違反」であり、かつ「ルール違反」です。

 

「マナー」とは「『他者を気遣う』気持ちの表れであり“自主規制”」でした。

 

どんなにうまく言い逃れしようが、遅刻を繰り返す行為には「『他者を気遣う』気持ち」はありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

むしろ言い逃れするほど「『他者を気遣う』気持ちに欠けている」といえます。それは抽象度の低さの表れでもあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 心理学者 アブラハム・マズロー(19081970年)の「欲求階層説(自己実現理論)」でいうと、低層を抜け出せず成長ができていない状態です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

もちろん、遅刻する自分をコントロールできないのですから、“自主規制”に失敗しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400928.html

 

自分をコントロールできないためにまわりに迷惑をかけていることに対して詫びることができればまだ希望があるのですが、謝罪も感謝もできないばかりかむしろ“逆ギレ”しているのですから、どうしようもないくらいの「マナー違反」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691753.html

 

 

許しがたいほどの「マナー違反」ではありますが、もちろん、このケースでの重要な問題(解決するべき課題)は「ルール違反」にあります。なぜなら、「ルール」はシステム(または社会)を維持するために必要だからです。

遅刻常習専門職Aの存在により会社(組織)のムードが悪化し、システム自体が崩壊するかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10692725.html

 

そのことをサッカーで考えてみましょう。

 

サッカーは、スポーツの中では「ルール」が少ないスポーツです。

「前半・後半計90分の得点で勝敗を決める」「(キーパー以外)手は使わない」「人を傷つけるような行為はしない」など、明文化されたルールを遵守することが求められ、しかも審判の判定には絶対的に従わなければなりません。

そうしないとサッカーというゲーム(システム)が成り立たないからです。

 

もしも勝手にボールを持って走る選手がいたら

もしも相手選手を故意に傷つける人がいたら

もしも審判の判定をまったく無視してプレーを続行したら

その場合、サッカーというゲームは成立しません。     

 

つまり、ルールを守れない選手はサッカーをしてはならないのです。ルールを守ろうとしない人間にはフィールドに立つ資格がないといえます。

 

 

ビジネス現場はもちろん、社会一般においても同様です。

「ルール」を無視する人間には、そもそも働く資格がありません。(厳しいようですが)社会システムの中に存在し続けること自体が許されません。

 

このケースで雇用が継続しているのは「代わりがいないから」です。遅刻常習専門職Aと会社との雇用関係は、人材不足の中でお互いのニーズを満たす縁が結ばれるまでのタイムラグ中の出来事に過ぎません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 「お互いのニーズを満たす縁」をコーチングの言葉で言い換えると、「ゴールを共有している状態」「コレクティブエフィカシーの関係」と表現できます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 

この事例からわかることは「社会の中のさまざまなシステムは『ルール』で維持されている」ということ。

 

では、なぜ「ルール」は必要なのでしょうか?

 

 (S-02-07につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

自己実現理論(Wikiより引用)

欲求階層説(自己実現理論)

Wikipediaより引用

 

 


F-093:安全行動

 

 20196月末から7月上旬にかけて、南九州では大雨が続きました。

 その間、TVやラジオでは、「安全を優先してください」「早めに行動してください」といった呼びかけが繰り返されていました。

 

 「安全行動」という言葉は、一般の方々にはいい印象を与えると思います。実際に「不安全行動」の反対概念としての「安全行動」というようなポジティブな使い方がされています。

 

 余談ですが、不安全行動とは、「労働者本人または関係者の安全を阻害する可能性のある行動を意図的に行う行為」のことです。具体的には、手間や労力、時間やコストを省くことを優先し、「これくらいはいいだろう」「皆がやっているから」「自分が事故を起こすはずがない」等の油断や過信からトラブルを招いてしまうことを指します。

 厚生労働省>職場のあんぜんサイト>安全衛生キーワード

 http://anzeninfo.mhlw.go.jp/yougo/yougo90_1.html

 

 皆さんは「安全行動」という言葉を聞いたとき、どんなイメージが湧きあがりますか?

 

 

 じつは、医療現場ではネガティブな意味合いで「安全行動」という言葉が使われています。

 

 医療現場での「安全行動」とは、「不安な気持ちになったときに、その不安を避けようとしてついしてしまう行動」のことです。コーチング用語を用いると、それはブリーフシステムの無意識下の表出(ハビット&アティチュード)です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

ある医学系雑誌にはこのように記載されていました。

例えば、心臓がドキドキしていると感じると、つい胸に手を当て動きを止めてしまう行動。実際には、安全行動(注釈:この例の場合「胸に手を当てる」こと)によって心臓のドキドキが治まるわけではありません。それどころか、安全行動ばかりしていると、身体感覚が過敏になり、発作を起こしそうな状況に対する恐怖も大きくなってしまうとされています」

 

そのような理由により、医療現場では「安全行動を行わないようにしましょう」という指導が行われます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445330.html

 

 

 コーチとしての立場で、私はこの「安全行動は行わないようにしましょう」という考え方に反対です。理由は主に2つあります。「ファイト・オア・フライトを防ぐ(克服する)ためのセルフヒーリングを阻害するから」と「『ダメ。ゼッタイ』と同様、ケース(課題)だけでプラン(解決策)がないから」です。

 

以下、簡潔に説明します。

 

 

〇 ファイト・オア・フライトを防ぐ(克服する)ためのセルフヒーリングを阻害するから

 

 「ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)」とは、「戦うか、逃げるか」という心理状態のことで、大脳辺縁系で行われる本能的な情報処理のことです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 人間は進化の過程で前頭前野での思考を手に入れました。平常時はより高度な情報処理を行う前頭前野が優位に働いていますが、危機的状況に陥ると扁桃体を含む大脳辺縁系が優位になり、一時的に“退化”したかのように動物的になります。それが「ファイト・オア・フライト」です。

 この変化は生き残るための本能的な働きではありますが、人間らしさを(一時的に)失う原因にもなります。

 

 ファイト・オア・フライトの原因となるのは不安や恐怖。その不安や恐怖を感じたときに何らかの行動を起こすのは、決して悪いことではありません。「胸に手を当てる」ことで落ち着きを取り戻すことができるのなら、むしろ奨励されるべきことといえます。

 大脳辺縁系優位を前頭前野優位に戻すセルフヒーリングになっているからです。

前頭前野機能を取り戻すからこそ、不安や恐怖を感じるような状況に対して適切な対処を行うことができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14400982.html

 

 「不安や恐怖を感じること」ではなく、「不安や恐怖を感じるような何らかのバグ(問題、課題)があること」が問題の本質です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html

 

 よって、問題解決に取り組む心の状態を取り戻すための「安全行動」であれば、それをむやみに禁止してはならないはずです。厳格に禁止してしまうことは、むしろ新たな問題を生みます。創造的回避もそのひとつです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

 

〇 「ダメ。ゼッタイ」と同様、ケース(課題)だけでプラン(解決策)がないから

 

 「ダメ。ゼッタイ」は、厚生労働省が主催する薬物乱用防止(および向精神薬等の適正使用)を推進するキャンペーン運動の標語です。その標語に潜む問題の分析と解決策の提案について、過去のブログ記事にまとめています(F-083084F-085089

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_352303.html

 

 ディベートの用語を用いると、問題の分析はケースサイド、解決策の提案はプランサイドに相当します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 ある論題に対してその行動をとるべきである(あるいは、やめるべきである)と判断されるためには、通常、2つのことが必要になります。それが「問題を見つけること(ケースサイド)」と「問題を解決すること(プランサイド)」です。

 

 ケースサイドとはニーズ、すなわち必要性のこと。

 ある問題があったとき、「その問題がいかに大きいか」「どれほど行動の必要があるか(あるいは、行動を慎む必要があるか)」ということです。

 

 プランサイドとはその行動(プランを実行すること)の有効性のこと。

 その行動をすることで、「ニーズ、すなわちケースサイドがきちんと解決するのかどうか」ということです。

 

 本来はプランがあるからケースを指摘することが許されるのですが、現実世界では「問題だ!問題だ!」とケースを叫ぶだけで解決策(プラン)がないことがほとんどです。

 皆さんのまわりではどうですか?

 

 同じことが医療現場でもたびたび行われています。もしも「安全行動は行わないようにしましょう」だけなのであれば、そこにはプランがありません。

 

 では、どうすればいいのでしょうか?

 

 

 答えは、もちろん、「情報空間のバグを解決すること」です。

 

 繰り返しになりますが、「不安や恐怖を感じること」ではなく、「不安や恐怖を感じるような何らかのバグ(問題、課題)があること」が問題の本質です。

 

 よって、「そのバグをしっかり分析し、仮説を立て、解決策を考えること」、そして「その解決策をしっかり実行していくこと」が「安全行動」と同時に行うべきことといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 再度繰り返しますが、情報空間にバグがあることが問題の本質。

「安全行動」はバグの存在を教えてくれる大切なきっかけであると同時に、ファイト・オア・フライトを防ぐ(抜け出す)セルフヒーリングにもなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

よって、「安全行動」自体がよくないのではなく、情報のバグを修正しない(できない)ことが解決するべき課題といえます。そのバグの修正は、新たなゴール設定を行うことでできるはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14524490.html

 

つまり、コーチングの知識とスキルを使いこなすことが「安全行動」時の真の解決策(プラン)といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935992.html

 

その解決策(=コーチング)をしっかりと医療・介護現場に届けることは、私の機能のひとつです。それは重要な社会的使命だと思っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15700308.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

「ダメ。ゼッタイ。」のような一方的な禁止には未来がありません。

子育て中の方は、ぜひお子さんの意識を未来に導いてあげてください。その秘訣もゴール設定です。ゴールが未来から過去への時間の流れを生みだします。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 


Q-095181122福祉講演会(鹿児島県)- 17 <最終回;前編>

 

 20181122日に、鹿児島県の福祉施設にて、コーチングをテーマとした講演を行いました。これまで講演後にいただいたコメントに回答してきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15981131.html

 

毎回、「そもそも不完全な宇宙に生きている、必ずスコトーマを持った私たちが、『よりよく生きるために心がけるべきこと』とはなんでしょうか?」と問いかけてきましたが、その答えはイメージできたでしょうか?

 

 今回は、私の答えをまとめます。

 

 

 医療・介護の現場にはいろいろな年齢層の方々が集います。フレッシュな十代の若者も働いていますし、ベテランの職員さんもいます。患者・利用者さんはさらに御高齢で100歳を超える人も珍しくはありません。

さらに、国の施策により、今後は介護の現場でも外国人労働者が増える見込みです。そうなると年齢だけではなく、宗教や文化の面でもますます多種多様な場へと変容していくはずです。

 

 これからはギャップ(違い)から様々なトラブルが生じるケースが増えるでしょう。価値観(ブリーフ)の相違により認知的不協和がますます生じやすくなるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 ですが、ギャップはもともと存在しています。そもそも宇宙自体が不完全なのだから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

その不完全な宇宙は、スコトーマを持つ私たち一人ひとりの情報処理により生じています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 つまり、「一人一宇宙」。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 

 何となく同じような価値観を共有しているため今までは気にならなかったギャップが、年代や宗教や文化の違いにより浮かび上がり、次々と不協和を生みだしていくのが令和の時代です。

 

 一方で、ギャップ(違い)は各自のスコトーマを外すきっかけにもなります。さらなる進化・向上の原動力となりうるのです。その鍵となるのが「ゴールの共有」。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 じつは、「自分」を客観的に評価することはとても難しいことです。私たちの無意識は過去の記憶でつくられたコンフォートゾーン(CZ)を強力に維持しようとしており、それ(CZ)を外れたものは認識することすらできないのですから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 これまでのコンフォートゾーンが「現状維持の壁」となって、私たちの前に立ちはだかっているのです。成功体験があるほど、その壁は強固になります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

 ゴールを共有した仲間(チーム)の存在は、そんな“壁”を打ち破る大いなる力となります。お互いのスコトーマを外しあい、そしてエフィカシーを高めあうことができれば、ともにゴールに近づくことができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 

 ゴールを共有し、スコトーマを外しあいながら、お互いのエフィカシーを高めあう

 

 

 それが「よりよく生きるために心がけるべきこと」です。そしてQ-087で問いかけた「自分の可能性に気づく方法」であり、Q-091での「“現状の外”にゴールを設定する(更新し続ける)」「リミッターをはずし進化・向上し続ける」ために「ヒントをだす(得る)」方法です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17064703.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722029.html

 

 

 そのことを認知科学者 苫米地英人博士は、「悪いくせをやめる方法」として書かれています。以下、「薔薇色脳 ~悩みが1分で解決できる人生好転50のメソッド」(主婦と生活社)から引用します。

 

 引用開始

 あなたはコーヒー派ですか、紅茶派ですか? こう聞かれたときに、「コーヒー」などと無意識に答えるのは、その90%が、子どもの頃の親のモノマネをしていることがとても多いのです。つまり、あなたの好き嫌いの嗜好は、実は親の影響をかなり受けているのです。

 それは習慣についても同じ。喫煙などは、子どものときに親が吸っていたから自分も吸うようになったという人は多いでしょうし、親に殴られて育った人は同じような親になるとよく聞きます。

 しかし、くせに関していえば、自分が気づいた時点で、直すことができます。本当にやめたいと思えば、人間はやめます。身体に悪いと知っていてもタバコを吸っていた人も、本当に身体が悪くなったらタバコはやめるわけですから。本気でやめるモチベーションさえあれば、たいていのくせはやめることができるのです。

 ところで、くせというのはすべて悪いわけではありませんよね。直す必要のないくせもあるのです。そのへんは自分で、これはいいくせ、これは悪いくせだと判断ができると思います。

 さて、今ここでうなずいた方はちょっと危険です

 

Q-096につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

薔薇色脳




ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-05:マナーとルールの定義

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

前回まで身近な話題で「マナー」と「ルール」について考察しました。

01http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17707498.html

02http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17857553.html

03http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17976928.html

04http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18095809.html

 

 

その中で見えてきたポイントは、

 

〇 「マナー」も「ルール」も絶対的なものではなく、状況で解釈が変わりうる

 

〇 「マナー違反」は直接的には罰せられないが、「ルール違反」は罰せられることがある

 

〇 他人が嫌がれば「マナー違反」になる可能性がある

 

〇 「ルール」は言語により規定されている。それが法律の場合、その判断は裁判所で行われる

 

〇 「ルール」は“現実”に沿ってつくられている(変更されうる)   

 

などでした。  

 

 

では、改めて「マナー」と「ルール」について、その概念を確認してみましょう。

 

Wikipediaには、「マナーとは、行儀・作法のことを指す」とあり、その概要には「マナーの様式は多くの場合、堅苦しく感じられるが、その形は社会の中で人間が気持ちよく生活していくための知恵である。マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって形式が異なる。また、個人間でも価値観や捉え方による差異がある。『他者を気遣う』という気持ちを所作として形式化し、わかりやすくしたものが形式としてのマナーである」と記載されています。

 

つまり、マナーとは「他者を気遣う」気持ちの表れであり、各個人が自身の価値観により判断し、行動する“自主規制”のことのようです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 

次は「ルール」ですが、Wikiで「ルール」を調べると「規則」に飛びます。

 

「規則」は「人の従うべき準則であり、主に文章によって規定されたものをいう。なお、規則に定められたものを原則(げんそく)、または本則(ほんそく)とも呼ばれ、規則に規定されていない事項については例外と称される。個別の名称にはさまざまなものがあり、規則のほかに規程、規定、規約、基準などがある。また、ある物事と別の物事の間に一定の関係が見られるとき、その関係を規則あるいは法則と言う」とあります。

 

 マナーに対してルールの方は、視点が「自分」から「他者との関係性」や「社会」といったものにまで広がっています。よって、ルールとは釈迦哲学でいえば縁起の視点で作られるものであり、より高い抽象度での(社会的)判断を求めるものといえそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 

 シンプルにまとめると、

 

「他者を気遣う」気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」

 

言語により具体化し、かつ、“自主”を取り除いた社会全体で共有する“規制”が「ルール」

 

という感じでしょうか。

「ルール」の場合、違反に対して他者(あるいは社会)による罰が生じえます。

 

 (S-02-06につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 


F-092:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.4 <ワーク付き>

 

201961日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。

 

「バラ色ダンディ」(東京MX、同63日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。

 

博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。

 Vol.1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722318.html

 Vol.2http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17868025.html

 Vol.3http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17985750.html

 

 前回(F-091)は、無人運転と自動運転の違いを人のマインドでの情報処理に置き換え、AIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方を考察しました。

 その生き方とは「ゴール設定でイマジネーションの限界を超え続ける」というものです。

 

 

人間の限界はイマジネーションの限界がつくる

イマジネーションによって人は限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得していく

 

 

私たち人類は長い歴史の中で何度もイマジネーションの限界を打ち破ってきました。絶望的な苦難を新たなイマジネーションで克服してきました。

 

 AIが身近になった現代は、その驚くような演算処理能力を使って、ますますイマジネーションを現実化しやすくなっているといえます。かつての夢を実現できるのです。鍵は「自由自在なイマジネーション」。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

 その「自由」を獲得することが教育の真の目的です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 ところが、実際は親や教育者自身の目的(利益)のために教育が行われているケースが目につきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672774.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817603.html

 

 それはhave toの押し付け。それでは子どもの潜在能力を引きだすことはできません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 さらに心を傷つける暴言や体を傷つける体罰などが加われば、生涯にわたって負の影響を与え続けることになるでしょう。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523096.html

 

 

 人生が「無人運転」や「自動運転」で終わらないためにコーチングが必要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17985750.html

 

 ゴール設定でイマジネーションの限界を超え続ける」ために、自由に生きるために、今すぐコーチングが必要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

 

 先日、早急にコーチングを導入するべきであることを示す事例がありました。親による子への体罰を禁止する改正児童虐待防止法の成立です。背景には“しつけ”と称した暴力により幼い命が奪われている社会病理があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

 「体罰を法律で禁止する」という考え方には大きな盲点(スコトーマ)があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 以下の引用文(2018621日付 南日本新聞「南風録」より)を参考に、その盲点について考えてください。それが今回のワークです。

 

 

 引用開始

 「島津に暗君なし」といわれるほど、島津家歴代の殿様はすぐれた人物が多かったという。中でも中興の祖とされる忠良(日新斎、じっしんさい)は人格者で、自ら編んだ「日新公いろは歌」は薩摩武士の精神的支柱となった。

 そんな名君も幼少時はやんちゃだったようだ。勉強嫌いで、目を離すとすぐに遊びに行ってしまう。ついに教育係だった寺の和尚から柱に縛り付けられた。日置市の伊佐小学校に展示されている「日新柱」はその時の柱と伝わる。

 子をどう教え導けばいいか、いつの時代も大人は頭を悩ませてきた。今週成立した改正児童虐待防止法には、親による子への虐待防止がはっきりと書き込まれた。

 背景には幼い命が奪われた東京や千葉、札幌での虐待死事件がある。殴る、蹴る、食事を与えない。しつけとかけ離れた仕打ちの実態を聞き、親を選べない子の悲しさを思う。こんな悲劇をもう繰り返さないため、あらゆる手だてを講じるべきだ。

 どんな行為が体罰なのか、法は示していない。国は今後、ガイドラインを作って体罰の定義を明確にする。子育ての在り方を見直す議論を深め、体罰と決別する意志を共有しなければならない。

 日新斎を縛った和尚は未来の君主への仕打ちに対して、重い処罰を受ける覚悟を決めていた。子をしつける大人の真剣さを伝える逸話といえよう。ただし、今なら絶対に許されない体罰に違いない。

 引用終わり

 

 

 いかがですか?

 「体罰を法律で禁止する」という考え方に潜む大きな盲点(スコトーマ)を感じ取ることができましたか?

 

 では、私の考えを述べます。

 

 「体罰を法律で禁止する」は本質的な解決策(プラン)になっていません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

医療・介護現場で用いられる概念「3つのロック」で例えると、体罰は「フィジカルロック」に相当します。それは物理空間で方向付けを行うものです。

 その体罰を法律で禁止するという行為は「スピーチロック」に相当します。それは情報空間での方向付けといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 結局、抽象度が違うだけで「方向付け」であることは変わりません。それでは自由を奪われ、have toを強いられ、エネルギーと創造性を封印されてしまいます。

それが私が感じた「大きな盲点(スコトーマ)」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

解決するべき点は「方向付け」にあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html

 

繰り返しますが、方向付けを他人に許すことは自由を奪われることです。他から与えられた自由なき人生でいくら頑張ったとしても、それは無人運転が自動運転に変わるくらいの違いでしかありません。

 

 重要なことは“自分”で方向付けを行うこと。

 教育の場合、子どもに“自分”で方向付けを行う術を教えること。そして、その実現のためにも親や教師自身が自らの方向付けをしっかりと行っていることです。

 

それは“現状の外”へのゴール設定で始まります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 つまり、ゴール設定を可能とするコーチングの知識とゴール達成を可能とするコーチングのスキルが真の解決策です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935992.html

 

 引用文中にあるとおり「子育ての在り方を見直す議論」はとても大切ですが、その際に「コーチングに取り組むこと(取り入れること)」こそが最も重要であると私は思っています。

 

「子をどう教え導けばいいか?」 そんな親や教育者自身の悩みを自ら解決に導くものもコーチングです。

 

子どもたちに、子どもを導く親や教育者に、コーチングをしっかり届けるために、私は全力で活動しています(もちろん100%want toで)。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 今回御紹介した苫米地博士の言葉は、「すごい私になれる魔法の名言」(主婦と生活社)からの引用です。以下、同書の「おわりに」から一部御紹介します。

 

 このように、イマジネーションによって人は限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得しています。

 そして、イマジネーションとは言葉と言い換えることもできるでしょう。

 不幸な出来事も、幸せなひとときも、すべては言葉とイマジネーションの中のものなのです。

 ならば、不幸な出来事など、言葉とイマジネーションの力を使って書き換えることは誰にだってできるはず。

 そのためのきっかけが、本書で紹介した言葉になるのではないかと思っています。

 

 「ロックを自ら解除し、イマジネーションの限界を超え続ける力」が皆さんのマインドに眠っています。その力を覚醒させるものがコーチングです。

 

 一緒に取り組んでみませんか?

 

 連絡先:coachfor.m2@gmail.com

 

 

すごい私になれる魔法の名言



Q-094181122福祉講演会(鹿児島県)- 16

 

 20181122日に、鹿児島県の福祉施設にて、コーチングをテーマとした講演を行いました。講演後にいただいたコメントに回答いたします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15981131.html

 

そもそも不完全な宇宙に生きている、必ずスコトーマを持った私たちが、「よりよく生きるために心がけるべきこと」とはなんでしょうか?

私の答えはこのシリーズの最後で)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 

 教育関係者や子育て中の親を対象に講演をさせていただく機会があります。その際はコーチングの知識とスキルを活用した子どもへの対応をイメージしながらお話ししています。当然、講演後にいただく御質問は、教育に関するものが中心となります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262957.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262959.html

 

 今回のように医療や介護の現場で話す場合は、四苦(生老病死)やトータルペインなど哲学的な話題も含めた(医療・福祉に関する)具体的な話をコーチの視点でさせていただいています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045953.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

 にもかかわらず、毎回必ず子育てに関する御意見や御質問をいただきます。

 

 私は受講者の皆さまの意識を一つ高い抽象度の世界に誘うこともイメージしていますので、医療・福祉の講演会であっても、教育や人生そのものについての御相談をいただくことを大変うれしく思っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 今回は教育に関するものをまとめてみました。Q-081と合わせてお読みください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/16241708.html

 

 

「もっと知りたいことは?」という質問に対する皆さまの御意見です。

 

・(コーチングを)仕事もですが、子育てについて取り入れたいです

 

A:コーチングで最も大切なことはゴール設定。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

「ゴールが先、認識は後」はコーチングの祖 ルー・タイス氏の言葉です。その言葉が示すのは「ゴールが目の前の現実を生みだす」という事実。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

そのゴールは人生のあらゆる領域に幅広く設定していきます。例えば、仕事(職業)、子育て(家族)、健康、ファイナンス、身近なコミュニティへの貢献など。

 

 

話しが逸れますが、よく「ゴールは一つに絞った方がいいのではないでしょうか?」「たくさん設定するとエネルギーが分散される気がします」といった御質問や御意見をいただきます。私の意見は、もちろん、「できるだけたくさん設定するべき」です。

 

その根拠はヒーリングとコーチングの関係やそのコツをテーマとしたブログ記事にまとめました。(下記リンクよりどうぞ)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292583.html

 

「ゴールがたくさんあるとエネルギーが分散する」と感じてしまう方は、まだまだ物理空間に囚われています。ぜひ「The Power of Mind Ⅰ」第一章をお読みください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

(お急ぎの方は下の記事↓をどうぞ)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 

 

 話を戻します。

ゴールは人生のあらゆる領域に幅広く設定していきます。コーチングを実践するとすべてがゴール実現に向かって動きだします。仕事がうまくいき、子育ても順調で、ますます健康で元気いっぱいになっていくという感じです。

 

 では、なぜそんなこと(すべてがうまくいく)ができるのでしょうか?

 

 答えはこのブログ記事の最後に。

 

 

・子どもの「したい」という気持ちも大切にしたいですが、やらせ感の方が強いです

 

A:「やらせ感の方が強い」と自分を分析できているのはすばらしいことです。自身の姿を客観的に観ることができなければ、なかなかスコトーマが外せません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 まずは「私はいい親だ」とセルフトークしてください。そして、「もっといい親になりたい」→「なることができる」→「すでになっている」→ とセルフトークしていきましょう(セルフトークの4段階)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17977114.html

 

 同じような質問をたくさんいただいているので、Q-097で改めて取り上げます。ここでは子供に対する「やらせ感」を防ぐ大前提をお伝えします。

 

 それは「(親の心の中で)子育てがwant toであり続けること」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html 

 

 子育てに悩む方々に対して、私はよく「我が子育ては 我が心育て」という言葉がけを行います。「子どもとともに親も成長していける」「子どもとの縁で親自身もさらに幸せになれる」そんな思いを込めながらお話を伺っています。

これは職場などの人間関係でも同じ。すべてが双方向の縁起です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 目の前にいる(ある)のは大切な縁。おかげでもっと心豊かに生きれるということをどうか忘れないでください。

 

 

・過去を振り向かず、未来を見て前に進んでいく ○○した子どもの苦しんでいる思いに対し、どう接したらいいか?今は静かに見守っています

 

A:子どもが苦しむ姿を見るのはとてもつらいことですよね。私にも経験があるのでよくわかります。

 

 詳しくは書けませんが、我が家の場合、子どもの苦しみを分析することからはじめました。

具体的には、「身体的な苦しみ」「精神的な苦しみ」「社会的な苦しみ」「スピリチュアルペイン」に分類し、それぞれ仮説をたて、解決法を考え(トゥイーキング)、どんどん実行していきました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 そのプロセスは子どもにとってだけではなく、親にとってもとても意味あるものでした。「不安・恐怖(Fear)」「義務感(Obligation)」「罪悪感(Guilty)」といったwant tohave toに変える情動をコントロールする原動力となったからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

 おかげで、親も子もファイト・オア・フライトに陥ることなく、ベストを尽くせました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 我が子の経験は下記ブログ記事で取り上げています。私たち親子にとっての大切な思い出です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8040944.html

 

 「過去を振り向かず、未来を見て前に進んでいく」 

 

ぜひ子どもの未来を100%信じてあげてください。そして、エフィカシーを思いっきり高めてあげてください。それが親の最大の役割だと思っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 

 では、先程の問題の答えです。

 

ゴールは人生のあらゆる領域に幅広く設定していきます。コーチングを実践するとすべてがゴール実現に向かって動きだします。仕事がうまくいき、子育ても順調で、ますます健康で元気いっぱいになっていくという感じです。

では、なぜそんなこと(すべてがうまくいく)ができるのでしょうか?

 

 答えは「すべて自分のマインド(脳と心)での情報処理に由るから」です。

 

そのマインドのコントロールにコーチングはとても有効です。ぜひ「我が子育て」「我が心育て」に取り入れてください。

 

Q-095につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

「目の前にいる(ある)のは大切な縁。おかげでもっと心豊かに生きれるということをどうか忘れないでください」

 

 たとえ“悪縁”であっても、そこから必ず学ぶことができます。ゴールがある限り。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 

-関連記事-

The Power of Mind Ⅰ」第五章(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13077001.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-04ケース別考察 -4

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

04:ケース別考察 -4

 

皆さんはマナーやルールとは何か不思議に思ったことはありませんか?

まずは、いろいろなケースで考察してみましょう。

 01http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17707498.html

 02http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17857553.html

 03http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17976928.html

 

 

case 9

所有する畑を荒らしていたイノシシを捕獲。食用に自宅で解体した

 

これは「マナー違反ではない」かつ「ルール違反ではない」です。シカやクマを解体する場合もルール違反ではありません。

 

ところが、解体した動物が牛・馬・豚・羊・ヤギのいずれかであった場合は「ルール違反」になります。屠畜(とちく)場法違反です。

屠畜場法は食肉の安全を確保するための法律です。食用となる動物が適切に処理されることを目的として、屠畜場以外の場所で、食用目的で牛・馬・豚・羊・ヤギを屠殺(とさつ)・解体することを禁止しています。

 

イノシシ・シカ・クマは狩猟の対象となる動物であり、「屠畜場での解体が困難」という理由で対象から外れているのだそうです。

 

ちなみに、ニワトリは「食鳥処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律」により、指定場所での処理が定められています。ただし、屠畜場法と違って、規制は「不特定または多数へ提供する場合」に限られています。

家庭で家族にふるまうためにニワトリを解体する場合は「ルール違反ではない」のでご安心ください(笑)。

 

 

case10

大学時代のサークル仲間と久々に再開。二人で食事をしているうちに自分の気持ちに気がつき告白した。すると相手から「私もずっと好きだった。結婚してほしい」とまさかの逆プロポーズを受けた。早速、結婚を約束したことを同じサークル仲間に報告したら、お祝いのメッセージとともにたくさんのプレゼントが届いた。

ところが、後日、結婚を約束したはずの相手から「エイプリルフールの冗談だと思っていた。結婚話はジョークであることをすぐに周知してほしい」と連絡がきた

 

結婚の約束が確かに41日の出来事だったとしても、「結婚してほしい」と言われ喜んでいた側が精神的ショックを受けたのなら「ルール違反」を問われます。不法行為(民法709条)に基づく損害(慰謝料)賠償責任を負う可能性が考えられるそうです。

 

さらに、もしも発信者が上場しているベンチャー企業の有名社長で、相手が芸能人など著名人であった場合は、金融商品取引法158条の「風説の流布」にあたる可能性があります。株価に影響を与えようとしてデマ情報を流したと判断されたなら、10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金に処せられます。かなり重い「ルール違反」です。

 

サークル仲間がどう判断するかにより、逆プロポーズ側が「マナー違反」になる場合もあれば、結婚を真に受け発信した方が「マナー違反」となる場合もあります(あるいは、両方とも「マナー違反」、ともに「マナー違反ではない」と思われる場合も)。

 

事実とは異なる話を信じて送ったプレゼントに関しては、民事上の不当利得の返還請求が可能なようです。同情され「マナー違反ではない」と判断されたとしても、もしもプレゼントを返さなかったら「ルール違反」となります。

ただし、プレゼントを購入した段階での損害賠償請求は難しいようです。「法は人の好意まで保護しないから」だそうです。



どうですか?

「マナー」や「ルール」がどんなものであるのかイメージできましたか?

 

なんかよくわかりませんよね(苦笑)。

少なくとも「マナー」や「ルール」は“絶対的なもの”ではなさそうです。不完全性が働くのですから当たり前ですが。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

次回は「マナー」や「ルール」について、これまで考察してきたことをまとめ、それぞれの定義を確認します。

 

 (S-02-05につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 


F-091:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.3

 

201961日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。

 

「バラ色ダンディ」(東京MX、同63日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。

 

博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。

 Vol.1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722318.html

 Vol.2http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17868025.html

 

 

 …Vol.1F-089)は無人運転と自動運転の違いについてまとめました。

 

その中で「今までトラブルが起こらなかったのは、『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転だから」と書きました。

そして、「無人運転に対しての自動運転とは、『複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する』という自律的なもの」であると。

 

 それらを人のマインドでの情報処理に置き換えると、AIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方が浮かび上がります。

 

 

前回(F-090)は、「『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転」をコーチの視点で考察しました。

人の生き方に置き換えると、「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分で考えることなしに)生きる単調な人生」という感じ。

もちろんそれは「奴隷の人生」です。

 

では、自動運転はどうでしょうか?

 

 

無人運転に対しての自動運転とは、「複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する」という自律的なもの。

 

それをコーチの視点で人の生き方に置き換えると「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分でも考え修正しながら)生きる単調な人生」といえます。

 

例えば、自動車では搭載されたカメラやレーダーでまわりの状況を随時確認しながら、自身の状態を自律的に判断し最適化することで自動運転を実現します。

しかし、それはあくまで決められたゴールに向かうプロセスでの自律的判断であり最適化。すべてゴール設定が他によりなされた後の話です。

 

将来はゴール(目的地)自体をAIが自律的判断で決めてくれる時代が来るのかもしれません。例えば、その時の気分にふさわしい場所に運んでくれたり、体の不調を診断して適切な病院に送り届けてくれたりなど。

 

しかし、それらも過去にあらかじめプログラムされている情報内か、あるいはその延長線上での判断であり、すべて現状の中といえます。ゴールが現状の中にあればスコトーマが大きく外れることはありません。
 (そもそも現状の中のものをゴールとはいいません) 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 もっとも、自動運転はそれでかまいません。反対にゴール(目的地)を勝手に決められたら、そちらの方が困ってしまうでしょう。想像してみてください。急いで空港に行きたいのに、「たまには図書館にでも行きませんか?」とか「今日こそは歯医者に行きましょう!」と提案してくる自動運転車を(笑)。

 

 

繰り返しますが、AIの自律的判断はゴール設定後のプロセス最適化でかまいません。

誰かが入力したゴールに向かって(あるいは前提条件の範囲内で)、途中の状況変化をセルフチェックしながら最適化を図ります。

 

ですが、人は違います。

 

 私たちにはマインド(脳と心)があります。そのマインドで自らの目的地を、すなわちゴールを決めることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そして、ゴールを自ら決める必要があります。自由に生きるために。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

 もし、ゴールを“自分”で決めなければ、生きるエネルギーをうみだすことはできず、創造性を発揮することもできません。モチベーションがwant to(建設的動機)の場合とhave to(強制的動機)の場合の生産性の差は756倍です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ゴールを“自分”で決めない(決められない)と、自身の潜在能力を封印し、可能性を閉ざすことになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 

自分の限界とは、自分のイマジネーションの限界のことである

 

 

 これはコーチングの祖 ルー・タイス氏の言葉です。

 苫米地博士はこの言葉を下記のように言い換えていらっしゃいます。

 

 

人間の限界はイマジネーションの限界がつくる

イマジネーションによって人は限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得していく

 

 

 私たち人類は長い歴史の中で何度もイマジネーションの限界を打ち破ってきました。絶望的な苦難を新たなイマジネーションで克服してきました。

 

 AIが身近になった現代は、その驚くような演算処理能力を使って、ますますイマジネーションを現実化しやすくなっているといえます。

 ポイントは「自由自在なイマジネーション」!

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 さあ、今すぐゴールを設定してみましょう。もちろん“現状の外”に!

 ワクワクしながらイマジネーションの限界を超えていきましょう!

 

 ゴール設定でイマジネーションの限界を超え続ける

 それがAIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方であるはずです。

 

F-092につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_342433.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248557.html

 

 

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