苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

2018/09

Q-054:霧島市(鹿児島)教育講演会<180628> vol.8

 

 2018628日(木)、霧島市(鹿児島県)で開催された姶良地区学校保健会において、教育に関する講演を行わせていただきました。

 当日の講演内容については、Q-047を御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11142259.html

 

 いただいた御意見・御質問に対して回答いたします。

 

 

・スピリチュアルペインの考え方、捉え方が理解するのが難しかったです

 

A:スピリチュアルペインとは、「全人的苦痛(Total Pain)」のひとつで、一般的には「自分の存在と意味の消滅から生じる苦痛(無意味、無価値、虚無、孤独)」や「自分の存在や意味を問うことに伴う苦痛」と定義されています。

 

 「全人的苦痛(Total Pain)」を構成するものは、他にも「身体的苦痛」「心理・精神的苦痛」「社会的苦痛」があり、「スピリチュアルペイン」まで含めた四つの苦がすべて克服できて初めて「健康」とされています。WHO(世界保健機関)の定義では。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 

 私は、「スピリチュアルペイン」の定義も、WHOの「健康」の定義も、正しくないと考えています。そして、そこにコーチングの大きな可能性が眠っているとも。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859828.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

 詳細は「The Power of Mind Ⅰ:第四章(苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ)」、そして「The Power of Mind Ⅰ:第五章(苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ)」で御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124524.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124525.html

 

 スピリチュアルペインへの対処法を、親や教師といった大人はもちろんのこと、思春期の子どもたちにしっかり届けたいと願っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11301259.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11386276.html

 

 

・スマートフォンは使用時間の制限だけでいいのか?

 

A:ポイントは「使用時間の制限を誰が行うのか?」という点だと思います。

 

「使用時間の制限」を親や教師が一方的に行うと、子どもの無意識は必ず抵抗します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

 

その無意識の抵抗まで含め完全に抑え込んでしまおうというのが前世紀の主流の考え方であり、最近とくにスポーツ界で話題になっているパワハラ問題の根底にあるものです。それは恐怖を使った支配であり、その結果従順な奴隷が大量に育成されてしまっています。

なにもスポーツの世界だけに限った話ではなく、残念なことに、身近なチーム・組織でも見聞きすることです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

大人(権力者)が力ずくで抑えるのではなく、子ども(労働者)が自らの自由意志で自身を律することができるように育てることが、教育(社員教育・研修)の真の目的のはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 「止められても成し遂げたい」と思えるようなゴールを設定し、そのゴールを達成した未来から今あるべき自分の姿をイメージできるようになると、自分自身をコントロールすることが自然にできるようになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

ゴール側にコンフォートゾーンが移行し、ホメオスタシスが働くからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 

 繰り返しますが、自分をコントロールする自由(&自己責任)を身につけさせることが教育の目的です。そして、それはコーチングを学び、実践する(させる)ことで実現します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987549.html

 

 

・「心地よい空間」これをどうとらえているか?

 

A:不完全性定理・不確定性原理で明らかになったことは、世の中に絶対はないということです。物事には必ずプラス面とマイナス面があるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

「心地よい空間」を意味するコンフォートゾーン(CZ)にも、その両面があります。CZの中にいるとリラックスでき、IQが高まり、ベストパフォーマンスを発揮できる一方で、もっとIQを高め、限界を超えることを妨げてしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 なぜなら、CZは過去の記憶でつくられるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 コーチングを学び、実践し続けると、未来の記憶でつくられた重要性で目の前の世界を認識するようになります。反対に、自分で思い描いた理想の未来に関係ないものは認識に上がらなくなります(気にならなくなる)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 その未来の記憶をつくる行為がゴール設定です。時間は未来から過去へと流れているといえますが、その時間の流れを生みだすものもゴールです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 ゴールは更新し続けるものです。それに合わせてCZも変化し続けることになります。その“変化”自体をコンフォートゾーン、すなわち「心地よい空間」とすることができれば、人は自然に進化・向上し続けるようになります。

 

 よって、「上向きのベクトル(進化・向上、変革)」を「心地よい空間」とすることをお勧めします。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

トータルペイン(MindsガイドラインセンターHPより淫羊)

MaindsガイドラインセンターHPより引用


F-051:同じ人間なのだから診れるだろう<後編>

 

 病院で当直をしていた時の話です。

(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)

 

 ある夏の日の夜、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。看護師が事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介しました。

しかし、その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。

 

「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」

 

 私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。

 前編(F-049):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994015.html

 中編(F-050):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12167502.html

 

 

「同じ人間なのだから診れるだろう」という母親の言葉は、抽象度を上げて思考することで実現可能となります。前回御紹介したように、肩関節が脱臼してしまった我が家のフェレットに対して、私は肩関節の整復を試みました。もちろん人間に対して行う方法で。

では、ふだんは子どもを診ない内科医の私が子どもの診察を行ってもよいのでしょうか?

 

 

 小児科医に診てもらうことを前提に小児科を受診した患者さんに対して、内科医の私が診察を行うことは許されないでしょう。夜間や地方(医療過疎地)、あるいは災害時などで小児科専門医の診察を受けることができず、かつ早急な対応が必要と思われる場合に、患者さん(小児科の場合はその保護者まで)の同意を得たうえで、診療を行うケースはありえると思います。

しかし、その場合に私がお約束できるのはベストを尽くすことであって、理想的な解決(小児科専門医と同じレベルの診療)ではありません。

 

 

 …201896日未明、観測史上最大の地震(マグニチュード6.7、最大震度7)が北海道を襲いました。地震の後、北海道全域が停電するブラックアウトが発生し、日常生活は大混乱に陥りました。

 そんな状況の中、道内約1100店舗のうち1050店で営業を続けたコンビニがありました。地場コンビニ「セイコーマート」です。

 

 停電時のマニュアルに従い車のバッテリーから電力を供給して営業し、店舗でつくるあたたかい弁当や総菜を提供し続けたそうです。

店員自らも被災者なのに道民を支援し続けたことに対して多くの人々が感謝していた一方で、通常よりも少ない品ぞろえや長い行列の原因となった卓上計算機での会計に対して怒りをぶつけた人たちもいたそうです。

 

 同じ状況のはずなのに、一方は称賛、もう一方は罵倒

 

その違いを生みだすものが、「抽象度の違い」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 罵倒した人たちのマインドからは、災害という特殊な状況への理解や店員さんの頑張りへの共感といったものが抜け落ちました。スコトーマに隠れ、認識できなかったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 その結果、「いつもより品物が少ないのはおかしい」「こんなに待たされるのはイヤだ」という思いが、ストレートに言動となって物理空間に表出されました。認知的不協和を解決するために。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 中にはもともとそのようなスタイルで生きている人がいたのかもしれません。しかし、罵倒した人たちの多くは、通常であれば、そんな思いがあったとしても表には出さないはずです。それが大人の態度であり、社会のマナーだからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 ところが、不安や恐怖などをきっかけに扁桃体が優位になったことで、人間らしさの源である前頭葉(前頭前野)の働きが抑制され、情動が剥き出しになってしまいました。その結果、災害時であるのにも関わらず十分な品ぞろえや迅速な会計という“過剰な要求”をしてしまったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

CDCCenters for Disease Control and Prevention、疾病予防管理センター)は、危機的状況下で「戦うか、逃げるか」という心理状態(「ファイト・オア・フライト」)に陥ったときの人の行動(Negative Behavior)として、下記の四つを取り上げています。

 

Demands for unneeded treatment:不必要な対処(治療)を求める

Reliance on special relationships:特別な関係に依存する

Unreasonable trade and travel restriction:不必要に商業取引と渡航を制限する

MUPSMultiple Unexplained Physical Symptoms):複数の医学的に原因不明な身体症状が現れる

 

今回の話題でいえば、「十分な品ぞろえ」や「迅速な会計」が「Demands for unneeded treatment:不必要な対処(治療)を求める」に相当します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 

 では、今回のシリーズのテーマである「同じ人間だから診れるだろう」に関してはどのようにいえるでしょうか?

 

 私は、正直な話、母親の発言は“過剰な要求”だと感じました。ふだん小児を診ない私があえて診察をすることは、フェレットの脱臼整復を試みたことと同じように危険で無責任な行為に思えたのです。「夜間も小児対応をしてくれる病院を受診する」という選択肢があったのですから。

 この点は、後日、「トリアージ」を取り上げながら考察しなおしたいと思います(ブログ・シリーズ編での投稿を予定しています)。

 

 

 現在の(通常の)医療では、ますます「患者さん一人ひとりにあった医療・介護」が求められています。それは日本の医療を、抽象度を下げる方向へと向かわせます。

 その一方で、夜間や地方(医療過疎地)、そして災害時の医療現場では、抽象度を上げて「大まかな医療」をせざるおえません。

 

 もっと大きな視点で考えた場合も、医療・介護現場での「抽象度を上げる」取り組みは重要です。「団塊の世代」がすべて75才以上になる2025年(平成37年)には、全人口の30%(約3500万人)を高齢者が占める超高齢社会を迎えるからです。いわゆる「2025年問題」です。

さらに、2060年(平成72年)には総人口が9000万人を割り込むまで減少する一方で、65才以上の人口が全人口の約40%を占めると推計されています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584052.html

 

世界で初めて日本が経験することになる少子・超高齢社会に備えて、国の主導で始まったのが地域医療構想です。地域医療構想をテーマとしたある勉強会(講演)の中で、「超高齢化社会に求められる医療のパラダイムシフト」というタイトルで、現在の医療とパラダイムシフト後の未来の医療が記されていました。

それらはすべて「抽象度を上げる」ことを示していました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748974.html

 

 医療を提供する側も受ける側も、不安や恐怖に支配されず(「ファイト・オア・フライト」に陥ることなく)、抽象度を最適にコントロールすることができれば、よりよい医療・介護を実現できるのではないだろうか? そして、世界的課題を解決できるのではないだろうか?

 

 いつもそんなことを考えながら働いています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 その実現のために、これからさらに加速してコーチングの普及・啓発に取り組んでいきたいと思っています。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987351.html

 

 

超高齢化社会に求められる医療のパラダイムシフト


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-07:“議論”の先にあるもの

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

07:“議論”の先にあるもの

 

 ここまで、“議論”とは、「ゴールを共有した集団が、お互いの価値観の違いを使ってスコトーマを外しあい、ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけていくこと」であることを説明しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そのために情動をコントロールする必要があり、「ゴールの共有」「不完全性・不確定性」「スコトーマ」といったものを理解しておく必要があると書きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 今回は、そんな“議論”の先にあるものについて考察いたします。

 じつは、その答えはすでに明かしてあります。

 

 それは「抽象度を上げること」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 

 繰り返しになりますが、スコトーマをはずすためには知識が必要です。まずは知識がスコトーマをはずす大前提となります。その知識は、議論によって効率よく得ることができます。お互いにスコトーマをはずしあうことによって、さらに知識を獲得することができます。

 

 その大量の知識が、ゲシュタルトをつくります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 知識の集合であるゲシュタルトがたくさん集まると、つまり、学習や議論によりもっと大量かつ多様な知識を得ていくと、さらに大きなゲシュタルトを再構築することができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 それが「抽象度が上がる」ことであり、「ひらめき(inspiration)」です。

 

 そうやって抽象度を上げ続けた先には、きっと“無敵”があります。

 一人また一人と“無敵”に到達し、人類のすべてが“無敵”に達したときには真の平和が達成されているはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 

 真の平和に至る大切な縁起として“議論”が存在している

 

 

そのように私は考えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

 では、次回から、“議論”の具体的な方法であるディベートについて説明いたします。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-06:よりより“議論”のための前提条件

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

06:よりより“議論”のための前提条件

 

 前回、議論とは、「情動→論理→社会的情動という進化・向上のきっかけになるもの(=縁起)、すなわち覚りへの階梯である」と書きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

 (繰り返しになりますが)ここでいう「進化・向上」とは、「抽象度を上げる」ことと同じ意味です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 よって、よりよい“議論”のための前提条件とは、抽象度を上げるための前提条件といえます。

 

 よりより“議論”のための前提条件として、私は下記の三つを特に重要視しています。

 

1)     ゴールの共有

2)     不完全性・不確定性の理解

3)     スコトーマの理解

 

それぞれを説明いたします。

 

1)     ゴールの共有

ゴールとは、人生の目的であり、未来をつくりだすものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

よりよい“議論”のためには、「なぜ議論を行っているのか?」という議論自体の目的を全員が理解し、共有している必要があります。

ゴールは常に“現状の外”にありますので、議論の目的は「ゴールを達成するための新たな方法を、スコトーマを外して見つけだすため」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

そもそも「アリバイ作り」や「現状維持」のために行うものは議論ではありません。そんな会議や会合には一切参加する必要はありません。

 

2)     不完全性・不確定性の理解

 「すべては決定的ではなく、不完全(不確定)である」という事実は、すでに証明されています。情報空間(宇宙)においては不完全性定理、物理空間(宇宙)では不確定性原理として。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 「不完全である」という事実は決してネガティブなことではなく、「だから、もっと良くなる可能性がある」という意味であり、「永遠に進化・向上し続けることができる」という希望にもつながります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

 さらに、不完全性を突き詰めていくと、縁起や空仮中といった釈迦哲学の真髄に至ることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 「不完全なのは、必ずスコトーマがあるから」と考えることもできます。

 

3)     スコトーマの理解

 スコトーマとは「心理的盲点」のことです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 スコトーマをうみだすものは、「知識」「重要性」「役割」の三つです。

 よって、「必ずゴールを達成する」という思いをみんなで共有し(重要性の認識)、それぞれの価値観の違いを尊重し(役割の認識)、お互いの知識と経験を持ち寄ること(知識の認識)が、スコトーマをはずす上で重要になります。

 

 そのために議論があるのです。

 

 ちなみに、「スコトーマがある」という事実を知らないことを、釈迦哲学では「無明(むみょう)」と言い表します。それがすべての苦のはじまりであるという教えが十二支縁起(十二因縁)です。

 医療や介護の現場はとくに、無明が苦の源泉となります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045953.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199706.html

 

 


Q-053:霧島市(鹿児島)教育講演会<180628> vol.7

 

 2018628日(木)、霧島市(鹿児島県)で開催された姶良地区学校保健会において、教育に関する講演を行わせていただきました。

 当日の講演内容については、Q-047を御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11142259.html

 

 いただいた御意見・御質問に対して回答いたします。

 

 

・中学生向けのコーチング(have to感の強い生徒たちへの声掛け)を知りたい

 

A:「反抗期」を調べると、「精神発達の過程で成熟に先立ち、他人の指示に抵抗を示したり他人との社会的交渉を退けたりして拒否的態度や行動を示す期間をさす。幼児期に親の指示に反抗したり強情を張ったりする時期を第1反抗期、青年期の初めないしそれに先立ってふさぎ込んだり、また人に逆らって乱暴したりする時期を第2反抗期と呼ぶ」(ブリタニカ国際大百科事典)とあります。

 

 私は「第2反抗期は、大人(親や教師)が生みだす」と考えています。

 

 例えば、まだやりたいことがはっきりとわからない子どもに向かって何かを強制すると、それはhave toを植え付けることになります。Have toを感じると、無意識は抵抗します。それを傍から見ると、反抗している(あるいは、ふさぎ込んでいる)ように感じられます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 この場合に大切なことは、「ゴール設定の大切さとそのやり方を教えてあげ、エフィカシーを高めてあげること」です。それが大人が行うべきサポートです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ゴールを設定した子どもがその実現に向かって行動していくようになると、(その子どもの)コンフォートゾーンはどんどん変化していきます。ゴールは“現状の外”、つまり過去の記憶でつくられた世界を大きく超えたところにあるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 そのとき、まわりの人たち(とくに親や教師)は落ち着かない感じがします。自分のコンフォートゾーンが乱された感じがするからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 その落ち着かない感じ(認知的不協和)を解消するために現状維持を選択してしまうと、無意識はゴールに向かって飛びだした子どもたちを制限(抑制)しようとします。ドリームキラーの誕生です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 「夢みたいなことを言っていないで、現実をみなさい」

 「そんなことをして何の役に立つの」

 「先のことまでちゃんと考えているの」

 「お金はどうするの」

 「先生(お母さん、お父さん)は、あなたが心配で言っているんだよ」

 

 小学生までなら黙って従うかもしれません。しかし、自我が確立しはじめる中学生くらいになると、自分を閉じ込めようとする大人の言葉には激しく抵抗するようになります。それが第2次反抗期です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

 

 

 反対に、こんな言葉をかけてあげたらどうなるでしょうか?

 

 「その夢はきっと叶う。あなたならきっとできる」

 「何の役にたつかわからないけどすごく楽しそう。いいゴールじゃない。応援するよ!」

 「今は先のことが見えなくても、スコトーマが外れて必ず見えてくるよ」

 「お金はなんとかしないといけないけど、一緒に考えていこう」

 「先生(お母さん、お父さん)は、あなたは必ず成功すると信じているよ」

 

 そんな言葉を本心でかけてくれる人に対して、子どもが反抗するでしょうか。

 

 すべてはゴール設定からはじまります。

 そして、ポイントはエフィカシーを高めてあげることです。

 

 このプリンシプルは相手が中学生でも変わりません。いや、むしろ多感な思春期だからこそ、ゴール&エフィカシーがさらに意味を持つといえます。

 

 

・我が子に対するコーチングの方法(を知りたい)

 

A:我が子に対するコーチングは、じつは、とても難しいものです。重要性が高いゆえに、情動優位になりやすいからです。情動優位になると、なかなかスコトーマが外せません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 私は、我が子に接する時には、親としての判断基準(=ブリーフシステム)、大人(社会人)としての判断基準、そして苫米地式コーチとしての判断基準をそれぞれ意識しながら、そのすべてを包摂する抽象度でバランスよく対応するように心がけています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 そのためにつねに縁起の広がりを感じ、空観を忘れないようにしています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 しかし、それでも「うまくいかない」「難しいや」と感じる日々です。

 私にとって子どもたちは、とてもとても大切な存在なのです。

 

 「失敗した~」「やってしまった~」と感じた瞬間に、「私らしくなかった。次は○○している」とセルフトークをするようにしています。

 それと同時に、コーチとしての成長の機会を与えてくれる子どもたちに感謝するようにしています(嫌味ではなく、心から)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9533623.html

 

 

・スライドのプリントした資料がほしかった

 

A:講演中は自由に思考を広げていただきたいので、(視点を固定してしまう可能性のある)スライド資料はあえて準備していません。どうぞ御理解ください。

 

 そのかわりにブログで知識の確認(整理)ができるようにしています。たくさんリンクを張っているのは、知識と知識とをつなげることでより大きなゲシュタルトをつくっていただきたいからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 より大きなゲシュタルトができたときには抽象度が上がっており、理解が深まっています。それはIQがさらに上がった状態であり、人間形成の階層を“ひらめき”とともに上った瞬間といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 これからもぜひ、このブログをフォローしてください。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

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180628 学校保健会講演用(第2次反抗期)


F-050:同じ人間なのだから診れるだろう<中編>

 

 病院で当直をしていた時の話です。

(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)

 

 ある夏の日の夜、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。看護師が事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介しました。

しかし、その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。

 

 「紹介された病院を調べたら遠いので、ここから一番近いそちらで診てください」

 「カロナール(注:一般名アセトアミノフェン、解熱鎮痛剤)を持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」

「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」

「見捨てる気か!」

 

 私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。

 前編(F-049):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994015.html

 

 

そんなことを考えながらやりとりを聞いていると、私自身も「ファイト・オア・フライト」に陥っていることに気がつきました。そして、様々な課題を抱えている医療・介護現場が必要としている知識(&スキル)がはっきりとわかった気がしました。

きっかけは「同じ人間なのだから診れるだろう」という言葉でした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 

 「同じ人間なのだから診れるだろう」という母親の言葉は、抽象度を上げて思考することで実現可能となります。

 

 抽象度とは、情報空間における視点の高さを表すものです。上に行くほど情報量が少なく(抽象的に)なり、下に行くほど情報量が多く(具体的に)なります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 いわゆる専門化というのは、抽象度が下がること(より具体的になること、より詳細になること)です。

 大きな病院に行くと臓器別に診療が行われていますが、ある臓器を別の臓器と区別することは「抽象度を下げる」ことに相当します。「心臓(という臓器)が専門」であっても、まずは大きく内科なのか外科なのかに分かれ、内科はさらに「不整脈」「高血圧」「虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞等)」「心不全」等の専門領域に細分化されていきます。

 

医療の最先端では情報量がどんどん増え、抽象度が下がり続けています。それは医療を含む科学だけに限定される話ではなく、すべての業種・業界に当てはまります。

つまり、世界(宇宙)は、抽象度の下向きにどんどん拡大しているのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 

それに対して、情報量を少なくするのが「抽象度を上げる」ことです。「不整脈」と「高血圧」を同じ「循環器疾患」とみる視点であり、「循環器疾患」と「消化器疾患」を同じ「内臓の病気」とすることです。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292888.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293064.html


仏教では、それを「無分別」と表現します。

 

大人も子どもも人体の構造は同じです。この大きな視点(抽象度の高い視点)でみれば、当然、「大人が診れるのであれば、同じ人間なのだから、子どもも診れる(はず)」といえます。

 

 

例え話として不適切と思われるかもしれませんが、我が家で実際に経験したことをお話しします。

 

以前、我が家ではフェレットを飼っていました。ある日の夜、私が帰宅すると家の空気が凍りついていました。転落したフェレットが前足を引きずるように歩くというのです。

正月休み期間だったため、動物病院はどこも電話がつながりません。今にも泣きだしそうな子どもたちは、とても不安そうにしていました。

 

私はフェレットを“診察”しながら「いけるかも」と思いました。人間でいう肩関節が脱臼している様子で、骨折はなさそうだったからです。妻にフェレットが動かないように手伝ってもらいながら、肩関節脱臼の整復を試みました。もちろん、その方法は人間の肩関節脱臼に対して行うものです。

 

整復を試みた後、肩関節付近の変な盛りあがりはなくなりました。しばらくは前足を引きずっていましたが、翌日には完全に元の歩き方(走り方)に戻っていました。うれしいことに、肩脱臼の整復が成功したようです。

 抽象度を上げて思考することの可能性を、喜ぶ子どもたちと一緒に体感しました。

 

 では、それと同じように、ふだんは子どもを診ることがない内科医の私が子どもの診察を行ってもよいのでしょうか?

 

 (F-051につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 


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I-018:カテゴリ別アーカイブ変更のお知らせ

 

 御要望をいただき、カテゴリ別アーカイブ「質問等回答編」のサブカテゴリを作成しました。

 

 講演会やテーマごとに昇順(古い記事が上)となるようにまとめています。

 ぜひ御確認ください。

 

 

 カテゴリ別アーカイブ

  質問回答編

  http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124531.html

 

   171117 医療研修会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262956.html

 

   180124 教育講演会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262957.html

 

   180315 医療研修会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262958.html

 

   180628 教育研修会QA

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262959.html

 

   Q042-046 リアルとゴール

   http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262962.html

 

 

 このブログは、「『一人ひとりの心の平和』がひろがることでWorldPeaceを実現する」というゴールを目指して、その福音となる苫米地理論やコーチングを皆さまに届けるために存在しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 心の平和を広げる取り組みにぜひ御参加ください。

 

ゴール実現のためのアイデアやアドバイスを心よりお待ちしております。
   コーチングを必要とする人たちへの周知や紹介もよろしくお願いいたします。 

 連絡先(メール):coachfor.m2@gmail.com

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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-追記-

 201884日(土)に開催された一般向け医療講演会(鹿児島県霧島市)のQAに関しても、データをいただきしだい取り組みます。今しばらくお持ちください。


 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-05:よりよい“議論”のためにまず必要なこと

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

05:よりよい“議論”のためにまず必要なこと

 

“議論”とは、「ゴールを共有した集団が、お互いの情報処理の違いによりスコトーマを外しあい、ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけていくこと」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994979.html

 

 では、その議論をよりよいものへとするためにはどうすればよいでしょうか?

 

 

 議論というと、多くの方々は、二人(二つ)または複数の人や集団が、相手の間違いを指摘し、自分の正しさを主張しながら相手を言い負かす(論理空間で打ちのめす)ことをイメージするのではないでしょうか。

 議論の間はお互いに興奮し(ドーパミンやアドレナリンが分泌されています)、時に感情的に叫びながら熱くなっている様を想像しませんか?

 

 しかしながら、このようなイメージは完全に間違ったものです。

 

議論とは、論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点で、論理的に行うものです。

それはまるで情報空間に巨大な構造物をつくっていくような行為です。そのプロセスには一切情動の入る余地はありません。情動が入った瞬間に構造物は崩れていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html


情動とは大脳辺縁系を中心とする原始的な脳の働きであり、情動優位となっている時にはIQが必ず下がっており、判断能力が低下しているからです。「戦うか、逃げるか」といった心理状態に陥ることは、その代表例です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

反対に考えると、よりよい議論のためには、大脳辺縁系ではなく、進化で獲得した前頭前野を十分に使えばよいということになります。

 

 

よりよい“議論”のためにまず必要なこととは、情動をコントロールすること

 

 

ところが、情動をコントロールすること(情動から逃れること)は、決して簡単なことではありません。

 

ブリーフシステムとは、一般には人格や個性と表現されるもので、「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」で形成されています。古い認知科学の用語でいうと内部表現(IRInternal Representation)に相当します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

つまり、自分のブリーフ(=信念、価値観)に基づいて行動するとき、自分では冷静であるつもりであっても、その根底には強い情動が潜んでいるのです。その情動が、そして情動でつくられたブリーフが、巨大なスコトーマ(心理的盲点)を生みだします。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

だからこそ、ゴールを共有した仲間との議論が必要で、情動をコントロールしながら、お互いにスコトーマを外しあうことが重要となるのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

それは覚りの境地にいたるための「空観」や「中観」にも通じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 よりよい“議論”のためには、まずは情動をコントロールすることが必要です。その力は人間形成のプロセスで獲得することができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

それを脳科学的に述べると、情動レベルの大脳辺縁系処理から論理である前頭前野外側部での情報処理に成長し、さらに、社会的情動(あるいは感性)という超論理を可能とする前頭前野内側部での情報処理へと進化していくことといえます。

 

そういう意味では、議論とは、情動→論理→社会的情動という進化・向上のきっかけになるもの(=縁起)、すなわち覚りへの階梯であると表現することもできます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 もちろん、それは抽象度を上げ続け、“無敵”になるということでもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-04:“議論”とは?

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

04:“議論”とは?

 

 それでは、議論の話題に戻ります。

 

先に説明したとおり、辞書的な意味では、議論には「それぞれの考え」と「順を追って言葉で言い表す(=表現する)」が必要です。その上で、「説明する」or「問題とする」or「言い争いをする」ことが議論だといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613827.html

 

 しかし、この考え方は不十分です。

 

もともと「一人一宇宙」である人間がわざわざ議論という場を共有するのは、「そこにゴールがあるから」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

よって、議論とは「共有するゴールを実現するための手段」とするべきです。

「説明する」ことでも、「問題とする」ことでも、「言い争いをする」ことでもありません。

 

ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけることが議論の本質です。

 

ゴールを共有する集団は、スコトーマも共有するリスクが生じます。同じような価値観(ブリーフシステム)を持つほど、同じようにRASが働き、同じようなものを見落としてしまうからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

さらに、臨場感を強く共有するほど仲が良くなっていきますが(=コンフォートゾーンの共有、ラポール)、その一方でスコトーマをますます外しにくくなっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

しかしながら、完全にスコトーマが一致することはありません。それぞれの記憶の違いがブリーフシステムの微妙な違いを生み、RASが少しずれることで、スコトーマにも違いが生じているからです。ブリーフシステムは価値観とすることもできます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

そこで、議論が大きな意味を持つことになります。

 

つまり、“議論”とは、「ゴールを共有した集団が、お互いの情報処理の違いによりスコトーマを外しあい、ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけていくこと」といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


Q-052:霧島市(鹿児島)教育講演会<180628> vol.6

 

 2018628日(木)、霧島市(鹿児島県)で開催された姶良地区学校保健会において、教育に関する講演を行わせていただきました。

 当日の講演内容については、Q-047を御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11142259.html

 

 いただいた御意見・御質問に対して回答いたします。

 

 

・英語が苦手なため、カタカナや英語のところがでると難しく感じました

 

A:「英語が苦手」というセルフイメージ(あるいはブリーフシステム)は、過去の情動を伴った記憶によりつくられています。おそらく、試験の成績が悪く恥ずかしい思いをしたり、先生や親にディスられた経験があるのではないでしょうか。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 それはすべて過去であり、他人の評価です。受け入れるか、受け入れないかは自分で決めることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 その時にポイントになるのが、「この世に絶対はない」という知識です。それを情報空間では不完全性定理、物理空間では不確定性原理といいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 「絶対はない」ということは、「『英語が苦手』という評価を決める基準も絶対的ではない」ということ。英語圏で生まれ育った人と比較すると「苦手」になるでしょうし、英語をまったく知らない子どもたちと比べると「得意」といえるでしょう。

 いずれにせよ、他人との比較は自己評価に一切関係ありません。大切なのは「自分のゴール達成能力の自己評価」、すなわちエフィカシーであり、「ゴール実現に向けて今から何を行うか」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 もし、あなたに「止められてもやりたい何か(=ゴール)」が見つかり、その達成のために英語能力が必要なら、あなたの無意識はほっといても英語上達を実現します。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 「英語が苦手」なのは、今までのあなたに英語が必要なかった(重要ではなかった)からに過ぎず、決して語学学習能力が低いからではありません。ゴールにより必要性が生まれたら(重要になったら)、必ず「英語が得意」になります。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 すべてはゴール次第です。そして、そのゴールを決めるのは自分自身です。

 そのことをぜひ、子どもたちに伝えてあげてください。

 

 

・講演(子供向け)は、対象になる子は限定されますか?

 

A:今までは小学校高学年以上(4年~)の子どもを対象に話をしてきました。それより下の年代を対象にしたことはありませんでしたが、スコトーマなどの人間の認識の不思議を絵などを使ったクイズ形式で感じてもらう取り組みなど面白いかもしれません。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html 

 

私自身の“現状の外”の新たな取り組みとして、喜んで行いたいと思います。ぜひ、講演・講話等について御相談ください。もちろん中・高校生、教職員、一般の方々が対象のものについても気軽にご相談ください。

 連絡先(メール):coachfor.m2@gmail.com

 

 

・不登校の子どもたちへの接し方を思いながら、聞かせていただきました

 

A:夏休みが終わる頃になると、子どもの自殺を予防するための報道が増えます。事実、子どもの自殺は9/1前後が最も多いことがわかっています。

 平成26年度自殺対策白書(抄)

 (過去40年間の厚労省「人口動態調査」の調査票から内閣府が独自集計)

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/__icsFiles/afieldfile/2015/08/07/1360770_01.pdf

 

 学校に行くことがhave toになってしまうと、無意識がいかないでいい理由をクリエイティブに考えだします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

「学校に行きたくない」という思いと現実にギャップがあるほど、心身にまで影響が及ぶようになり、調子を崩しやすくなります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 そして、そのギャップが限界を超えたとき、「行きたくない」は「生きたくない」に変わってしまいます。幸い自殺にまで至らなかったとしても、その思い(have to)が続く限り、心身の不調は継続します。無理やり“矯正”しようとすればするほどその不調は悪化していき、原因不明の身体症状が多発するようになります(MUPSMultiple Unexplained Physical Symptoms)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

 なぜなら「脳と心」「心と体」「脳と体」は同じものだからです。それらは記述する抽象度の違いに過ぎず、生命はすべての抽象度にまたがって存在しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 

 学校に行くのがhave toな子どもたちに対して、「無理に行く必要はない」「休んでもいい」と声をかけてあげることはとても大切なことですが、それだけでは足りません。

 「学校に行かない(行けない)私」というセルフイメージ(=コンフォートゾーン)が強化されてしまうことで、ますます学校に行けなくなるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 「学校に行く」ということをhave toからwant toに変えるものがゴールです。

 ゴールがあり、ゴールを達成するために学校に行くことが必要と無意識が納得したときにはじめて、学校が明るく感じられるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 もっとも「学校に行く」は行為に過ぎず、そのこと自体が目的ではありません。学習するために学校に行くのですから、他に学習する方法があるのであれば必ずしも学校にこだわらなくてもいいはずです。

そういういろいろな可能性をスコトーマを外して見つけるためにも、セルフイメージが不当に下がらないように配慮する(むしろ引き上げてあげる)ことが重要です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「無理に行く必要はない。その代わりにこれから何をしたいか一緒に考えよう」

「休んでもいい。でも、その時間は夢を思い描こう」

 

 時間の流れを教えながら、そんな声掛けをしてあげたいと私は思います。  

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 不登校になってしまう大きな要因として、人間関係の問題があるといいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9188068.html

 

 その場合、鍵になるのはエフィカシーです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 「みんなでコーチングを学び、エフィカシーを高めあう。やりたいことだけをやりたいだけやることをお互いに高く評価し、うまくいったら『君らしい』、うまくいかなかったら『君らしくない』と言ってあげる文化をつくる(ただし、子供には自己責任という概念も同時に教えてあげる)」

「他者のアラ探しや悪口は一生に一度もしない言わない世代を育てる」

 

 そんな世界が実現することを心から願っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 コーチングには、いやコーチングを学ぶ人のマインドには、そんな世界を実現する大きな力が宿っています。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    


 

180628 学校保健会講演用(PM)



F-049:同じ人間なのだから診れるだろう<前編>

 

 病院で当直をしていた時の話です。

(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)

 

 ある夏の日の夜、救急車で運び込まれた患者さんを診察していた時に、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。

 病院は小児科を標榜しておらず、(院内採用薬として)小児用の薬はありません。電話を受けた看護師が一応私に確認に来てくれましたが、私自身も小児の専門的な対応はできませんのでお役にたてないことを伝えました。看護師は事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介して電話を終えました。

 

 その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。

 「紹介された病院を調べたら遠いので、ここから一番近いそちらで診てください」というのです。どうやらその親子は旅行で鹿児島を訪れていたようでした。

 

 「いやいや、近いとか遠いとかではなくて。こちらは小児の対応ができず、薬もないのですよ」と看護師が再度お断りをすると

 

 「カロナール(注:一般名アセトアミノフェン、解熱鎮痛剤)を持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」と母親は食い下がります。

最後には「見捨てる気か!」と叫んでいたようです。

 

 私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。

 

 

 最初に思ったのは、「母親は取り乱している」ということ。

 急な病気やけが等で命の危険を感じると、人は容易に「ファイト・オア・フライト」の状態に陥ります。大切な我が子であればなおさらです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 そこに、例えば「子どもの体調が悪いと私が夫に叱られる」「夫の両親にあとでひどい目にあわされる」などの不安(未来の恐怖の予期)が加わると、さらに正常の思考は奪われていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

 老病死が身近な医療・介護現場は、喜びや楽しみもたくさんありますが、そんな「ファイト・オア・フライト」への対応がいやおうなしに求められる過酷な場でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987351.html

 

 

 次に思ったのが、「母親は自己中心的である」ということ。

 思わず取り乱すほど子どものことが心配なら、助言された病院に迷わず向かうはずです。何か事情があったのかもしれませんが、会話を聞いている限り子どもより自分の都合を優先しているように感じられました。重要度でいうと「私>子ども」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

 背景には「子どもを所有している」という感覚(価値観、ブリーフシステム)があるのかもしれません。子どもの健康より自身の情動を優先していることが、「薬はカロナールを持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」という言葉にあらわれています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 そんな母親にとって、病院は「夜間だろうが、急患対応中だろうが、専門外だろうが、私のために子どもを診るべき」存在です。重要度でいうと「私>子ども>病院」です。そんなブリーフが強固であるほど、それとは違う現状とのギャップからより大きなエネルギーが生まれます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 それはコンフォートゾーン(CZ)を外れた状態からいち早くCZに戻ろうとするホメオスタシスフィードバックともいえますし、自分にとって面倒なこと(have to)を避けようとする創造的回避とみることもできます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

 いずれにせよ、情報処理の結果として、「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」という発言が生まれました。

 

 「今まで○○だったから、これからも△△であるべき(するべき)」という思考は、過去に囚われています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 さらには、その過去(あるいは過去の出来事に対する自分の解釈)を絶対的なものとみなす思考パターンが読み取れます。不完全性に対する理解の欠如であり、仏教でいうと無常がわかっていないといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 それは、過去の体験や情報の記憶によりつくられたブリーフシステムがスコトーマを生み、縁起を見えなくしているともいえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

 そんなことを考えながらやりとりを聞いていると、私自身も「ファイト・オア・フライト」に陥っていることに気がつきました。そして、様々な課題を抱えている医療・介護現場が必要としている知識(&スキル)がはっきりとわかった気がしました。

 

 きっかけは「同じ人間なのだから診れるだろう」という言葉でした。

 

 (F-050につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-03:幻想の共有が共通の“現実”(共同幻想)をつくる

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

03:幻想の共有が共通の“現実”(共同幻想)をつくる

 

 人間は、ある情報空間の中で、情報を共有することができます。人と人の間にもホメオスタシスが働くからです(詳細には「ホメオスタシスが縁起として双方向的に人々をうみだす」)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 ホメオスタシスとは、恒常性維持機能のことです。

人間はストレスとなりうる外界の環境の変化に対して、常に安定した恒常的状態を保とうとする仕組みを持っています。

ホメオスタシスは、生体を生きながらえさせるために、外界とフィードバックして常に自分の情報を更新します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 

 このホメオスタシスが“ある情報空間”とフィードバック関係をもつと、人はその(情報)空間に強い臨場感を感じることができます。臨場感とは、「ある空間に対して、あたかも五感で感じているような感覚」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 

 一つの情報空間にホメオスタシスのフィードバックによって臨場感が高まると、その空間が自分にとっての現実(リアル)になります。目の前の物理宇宙と同じように、本の中の仮想空間や空想でうみだした世界も現実となりえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 その認知科学的事実を方程式化したものが、「I×V=R」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 この「I×V=R」が、人々の間で約束事をうみ、幻想を共有させています。

 ほとんどの人が現実世界だと思っているはずの物理空間も、五感で得た情報でうみだされた、そして物理法則という約束事で保っている、幻想にすぎません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 つまり、すべてが情報空間の中で共有されている幻想にすぎず、物理的現実世界とは共同幻想なのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「幻想と覚醒」(三才ブックス)

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

幻想と覚醒(オーディオブック版)



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