苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

2018/06

Q-041:霧島市(鹿児島)医療講演会<180315> vol.11finale

 

 2018315日に、霧島市(鹿児島県)の病院で講演を行わせていただきました。事前にいただいていたテーマは「スピリチュアルペイン」です。

 講演後書いていただいた御意見・御質問への回答は、今回が最終回です。

 

 

・本日は自分を振り返ることになってよかったのですが、医療者として患者の痛みを緩和する時に相手の意識、認識レベルが様々で難しいと思われます。対患者に対して臨床の中でどのように使うのかがやや不明瞭です

 

A:最初に「抽象度」について御確認ください。

「抽象度(ちゅうしょうど)」はまだまだ一般には認知されていませんが、今年のセンター試験の問題文中に登場するなど、徐々に理解が広がっている大切な概念です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 抽象度を念頭に考察すると、理論とその応用(実践方法)の関係がとてもクリアになります。

 

理論は、高い抽象度(次元)に存在している、とてもシンプルなものです。

例えば、アインシュタイン博士の特殊相対性理論より導きだされたE=mc2E:Energym:massc:constant…speed of light)のようなものです。

 

 そのシンプルな理論を現実の生活で用いる場合、抽象度が低くなる(情報量が多くなる)結果、様々な方法やバリエーションが生まれることになります。

 

例えば、御指摘の「医療者として患者の痛みを緩和する時」は、その患者さんの状況(年齢、病状、心理状態、家族構成など)に合わせて柔軟に対応することになります。同じ患者さんであっても、診察毎にその方法は変わる可能性があります。

私たちが存在する(と感じている)物理空間は、一番情報量の多い抽象度次元であり、情報宇宙の底面といえるものであるからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

 

 釈迦は相手に合わせて対応を大きく変えたそうです。それを対機説法といいますが、相手の状況(知識、理解、抽象度など)によっては、質問に対する回答さえ変えていきます。

 

 今回の講演会で皆さんにお話しさせていただいたのは、コーチングについての抽象度の高い知識であり、とてもシンプルな理論(プリンシプル)の一部です。

 

 私もまだその深遠な世界を学んでいる段階ですが、その学びの先には情報処理システムとしての人間の理解があり、宇宙の解明があります。

そのさらに先には、自分の目の前に広がる宇宙を未来側から再構築していく力の覚醒が待っているはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 講演中の体験をぜひ思いだしてください。認識が一瞬で変化することを何度も体験されたはずです。認識が一瞬で変わったということは、目の前の世界が一瞬で変わったということと同義です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 目の前の世界はもちろん、人生そのものも一瞬で変えることができます。

 それがコーチングの力であり、もともとすべての人が持つ「The Power of Mind」です。

 

 その力をひとたび手にすれば、「対患者に対して臨床の中でどのように使うのか」は自由自在に、その場でうみだせるはずです。

 

Invent on the way

by Lou Tice

 

 

「霧島市(鹿児島)医療講演会<180315> QA」完

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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180315 医療講演会



F-038:「若いうちはやりたいこと なんでもできるのさ ♪」前編

 

 2018516日に、昭和を代表する歌手 西城秀樹さんが亡くなられました。63歳という若さでした。

 

 「ヒデキ」と聞くと、私が思いだすのは「YOUNG MAN」です。さわやかに歌いながら踊る姿をよくまねたものです。

 

 当時の記憶を思いだしながら、「YOUNG MAN」の歌詞を読みあげてみました。すると、サビの部分に少し気になるところがありました。

 

 

 素晴らしい YMCA YMCA

 憂鬱など吹き飛ばして 君も元気だせよ

 素晴らしい YMCA YMCA 

 若いうちはやりたいこと なんでもできるのさ

 

 

 「若いうちはやりたいこと なんでもできるのさ」とありますが、今の若者たちは「なんでもできる」という言葉を素直に受け入れるのでしょうか?

 

 

 内閣府が公表している「子ども・若者白書」(平成26年度版)によると、日本の若者は諸外国と比べて、自己を肯定的に捉えている者の割合が低く、自分に誇りを持っている者の割合も低いことが明らかになっています(図表2)。

 

内閣府平成26年度版子ども・若者白書 図表2

内閣府HP

平成26年度版 子ども・若者白書より引用


 さらに深刻なのは「自らの将来に対するイメージ」です。

 自分の将来に希望を持っている割合(図表12)は6割強、40歳になったときに幸せになっていると思う割合(図表13)は7割弱で、いずれも諸外国の中で日本が最も低いことが明らかにされています。年代が高くなるほど、その傾向は顕著となります。

 

内閣府平成26年度版子ども・若者白書 図表12

内閣府平成26年度版子ども・若者白書 図表13

内閣府HP

平成26年度版 子ども・若者白書より引用


 これが現代の日本の子どもや若者の実感です。

 

 「若いうちはやりたいこと なんでもできるのさ」と高らかに歌う曲が大ヒットしたことを考えると、当時(1979年)においても「やりたいことがなんでもできる」ということは、決してあたりまえではなかったことが伺い知れます。

 

 おそらくそれは、親や教師などの大人が、あるいは既得権益が、ドリームキラーとなってしまうからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 ドリームキラーは、「現状肯定」「現状維持」という人間の情報処理のメカニズムが生みだすものであり、「出る杭は打たれる」等古くから知られている人間(社会)の特性です。

ちなみに、西洋文化においても「Envy is the companion of honor(嫉妬は栄誉の伴侶)」「Tall trees catch much wind(大木は風に折られる)」など、同様の意味を持つことわざがあります。

 

 そんな風潮や“憂鬱”を“吹き飛ばす”ために、西城秀樹さんは「YOUNG MAN」を歌い、当時の若者は熱狂したのだと思います。「やりたいこと」を思い描く自由と能力があることを信じ、「ドリームキラーに対して屈するな!」と心の中で叫びながら。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ところが、現代は「やりたいこと」を自由に思い描くことが困難となり、その能力さえも信じきれない時代になってしまいました。

 

 かつて「YOUNG MAN」を歌い踊った世代は、今、社会の中心的な役割を果たしています。あの当時の「ドリームキラーに立ち向かう気持ち」や「やりたいことを“現状の外”に思い描くワクワク感」を思いだし、次世代の若者たちに伝えてあげるべきではないでしょうか。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 西城秀樹さんの訃報を知り、そんなことを考えました。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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-追記-

 ところで、YMCAって何のことか御存知ですか?

 

 …Wikipediaには衝撃の事実が記されています。

 

 「YMCA」は「Young Men’s Christian Association」のことで、キリスト教青年会による若者(主に男性)のための宿泊施設を指しているそうです。

 ユースホステルのようなドミトリー(相部屋)の部屋もあるため「ゲイの巣窟」とされ、「YMCA」はゲイを指すスラングでもあるとのこと。

 

 なんと、「YMCA」のオリジナル楽曲をリリース(1978年)したアメリカ合衆国のディスコグループ ヴィレッジ・ピープル(Village People)自体が、ゲイをコンセプトにメンバーが集められていたそうです。

YMCA」はゲイを題材にした「ゲイソング」であり、歌詞の中には様々なキーワードが隠されているということです。

 

 

 素晴らしい YMCA YMCA 

 若いうちはやりたいこと なんでもできるのさ

 

 

 YMCA」を「性の多様性」「性のアイデンティティ」を訴える先駆的な歌と捉えると、また印象が変わってきませんか?

 

 印象が変わるのは、「IImageImagination)」が変化したからであり、新たな知識が加わることでゲシュタルトが再構築されたからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 すべてが情報であり、その情報処理により世界(宇宙)がどんどん書き換わっていくということが理解できると、「やりたいこと なんでもできるのさ ♪」という歌詞は紛れもない事実であることが実感できます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 



PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-16そもそも教育とは?-7-1)(人間形成に作用する)すべての精神的影響

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-7-1)(人間形成に作用する)すべての精神的影響

 

 「5)望ましい方向へと変化させること」で、ある中・高一貫校での進路指導主任の話を取り上げました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672774.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817603.html

 

「進路指導前は薬学部志望だった生徒に対して、『君の成績なら合格できるから医学部を受験しなさい』とアドバイスをし、見事に合格させました」という発言の根底に差別があることを問題点として取り上げましたが、皆さまの中には「なぜ差別があると断言できるのか?」と疑問に思った方もいらっしゃるかと思います。

 

じつは、他に根拠があります。「分をわきまえろ問題」です。

 

 その進路指導の先生は保護者に対してこのようにも発言したそうです。「褒めて育てるという親もいますが、子供が勘違いをするのでやめてください。中には分をわきまえず、『何にでもなれる』みたいな幻想を抱く子がいます。しっかりと現実を見れる子に育てるためにも、いいかげんなことを言うことはやめてください。そのために、まずは親が分をわきまえてください」と。

 

 「分をわきまえる」とは、「自分の身の程や分際を承知して、出過ぎたまねをしない」という意味です。

 

コーチとしてこの言葉を聞くと、「現状のコンフォートゾーンに閉じこもって、無限の可能性や豊かな才能を発揮する未来を諦めろ」と言っているように聞こえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

「身の程」とは一体何でしょうか?

 

「分際」とは誰が決めるというのでしょうか?

 

 この思想の背景には儒教的な差別思想があります。そして、教育者がこんな言葉を吐いたという事実には、とても大きな問題が潜んでいます。ディベートでいう「クリティーク(KritikK戦略)」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

「肯定側の推進する論理の背景もしくは前提にある哲学、思想、世界観、利用される用語などが望ましくないものであれば、肯定側のケースやプランの有効性にかかわらず、現実の世界では、肯定側のプランが採択されてはならないという議論」がクリティーク(K戦略)です。

 

つまりK戦略の基本とは「相手の前提となっている価値判断そのものを疑う」ということですが、今回のケースでいえば「『分をわきまえろ』と発言する教師の判断・行動の根底にある考え方(思想、哲学、世界観、ブリーフシステム等)が“おかしい”から、いずれにせよ、その進路指導はよくない」というのが私のK戦略的意見です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-15そもそも教育とは?-6-3)人間形成

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-6-3)人間形成

 

苫米地博士は、この「欲求階層説」について、「人間の欲求が、最も抽象度の低い物理空間(脳幹レベルの欲求)から、しだいに抽象度の高い情報空間(前頭葉レベルの欲求)へと段階的に上がっていくことを説明したものだ」とコメントされています。

 

つまり、これが「人間形成」の階梯であり、その本質は「抽象度を上げること」であるということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

「生理的欲求」や「安全の欲求」は、自らの生存に関わる本能、脳幹的欲求に基づく物理空間の欲求です。食欲を例に考えると、十分な食料を得ることが難しく、食べるものに常に困っていた原始時代の人類は、それがなんであれ食べ物があるだけで幸せを感じたはずです。

現代でも貧困や飢餓に苦しむ発展途上国の人々は、食べ物が手に入るということに少なからず幸せを感じるでしょう。

 

そうした生存に関わる欲求が満たされると、次第に欲求の対象が物理空間から情報空間に移行していきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

欲求が満たされた状態を「幸せ」と呼ぶとすれば、幸せの抽象度が上がっていくのです。食べ物に関していうと、「単にお腹が満たされて栄養が摂れればいい」という欲求から「おいしいものが食べたい」という欲求に変わっていきます。

さらに抽象度が上がると「自分一人がおいしいものを食べたい」から「家族と一緒においしいものを食べたい」に変わり、やがて「日本国民がおいしいものを」、「アジアが」、「世界が」と広がっていくはずです。

 

「世界から飢えをなくしたい」という思いからもっと抽象度が上がると、「この世界すべてを平和にしたい。全人類がよりよく生きられるようにしたい」という思いに変わっていきます。それが「抽象度が上がる」ということです。

 

抽象度を上げて生きる

 

じつは、マズローは晩年に「欲求階層説」で唱えた五段階に、さらにもう一つ上の「自己超越の階層(Self-transcendence)」があると付け加えました。

 

「自己実現の欲求」を満たして、個人としての同一性(アイデンティティー)が完成すると、さらには個を超越したもの(例えば、他者や共同体、人類、生態系、宇宙など)との一体感、同一性を確立することを目指す、というのです。

 

マズローは自己超越のレベルに達している人(Transcenders)の特徴として、「統合された意識を持つ」「落ち着いていて、瞑想的な認知をする」「他者の不幸に罪悪感を抱く」「謙虚である」「他視点的な思考ができる」などを挙げています(Wikipediaより)。

そうしたイメージは「抽象度の高い思考ができる人」と見事なまでに重なります。

 

マズローは人の欲求を分析することで、幸せになる生き方を発見しました。それが「自己実現」を目指す生き方です。そして晩年に、さらに幸せになる究極の生き方に到達しました。それが「自己超越」に到る生き方です。

 

その本質は、マズローのいう超越とは、「抽象度を上げること」であり、“無敵”になることです。そしてそれが「人間形成」の本質です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

(つづく)

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 

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Q-040:霧島市(鹿児島)医療講演会<180315> vol.10

 

 2018315日に、霧島市(鹿児島県)の病院で講演を行わせていただきました。事前にいただいていたテーマは「スピリチュアルペイン」です。

 講演後書いていただいた御意見・御質問に回答いたします。

 

 

・自分の気持ちを「やらねばならない」から「やってみよう」と変えていきたい

 

A2018531日に働き方改革関連法案が採決されました(衆院本会議)。いわゆる残業代ゼロ法案“こと「高度プロフェッショナル制度」を含む一括法案です。「高度プロフェッショナル制度」とは、「年収1075万円以上の一部専門職を対象に労働時間の規制から除外し、残業や休日労働に対して割増賃金が一切支払われない」というものです。

 

 「自分には関係ない」と思っている方は要注意です。

「実際は年収要件にトリックが存在し、誰にでも適用可能な“定額働かせ放題”を目的にしている」という報道があります。一説によると、労働者の搾取を正当化して使用者(会社側)だけが得をする仕組みになっているそうです。

 

 これから社会はますます生きづらくなっていくのでしょうか?

 

 医療・介護業界においては、すでに労働力不足(従事者不足)が危機的レベルに達しており、今後ますます高齢者が増える状況への対応が不可能になると予測されています。

社会全体はもちろんのこと、医療・介護業界はとくに、どんどん「have to化(~ねばならない化)」していくはずです。

 

 次世代のためにも、そのようなシステムとしてのエラーを改善していく取り組みは重要です。

しかしながら、私が最も重視しているのは、自分自身の自由意志で「have to」を「want to」に変えていくことです。

 

 私は、自身の体験から、経営者が職員のマインドについてまったく関心を持たないことは犯罪的行為であると思っています。まるで機械やロボットのように職員を扱い、用が済めば(または邪魔になれば)切り捨てるそんなひどい経営者が率いる組織は決して繁栄しないでしょう。

 

 しかし、もっと危険なのはマインドについての学習を重ね、認知科学や心理学の研究の成果を経営者自身の煩悩を満たすことに使う人たちです。それは経営のゴールの抽象度が低い状態といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 その場合、老獪な経営陣は職員の充実感や達成感、成長欲求といったものを巧妙に利用します。やりがいを搾取するのです。

 

 よって、単純に「want toか? have toか?」ということだけではなく、「それは本当に自分の意志なのか?」「過去の記憶によりそう思わされているのではないのか?」ということについて徹底的に検討し続ける必要があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 思考し続け、ゴールを更新し続けるということです。

 

 

・自己肯定感を高める方法(がもっと知りたい)

 

A:自己肯定感が高まるほど、夢は実現しやすくなります。ゴールを達成したイメージの臨場感が高まるからです。

現実とは、「IImageImagination)」と「VVividness)」により生みだされるものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 「やればできる」という言葉をよく耳にします。皆さまの多くが同意してくださると思いますが、「やればできる」と発言する人は、結局は行動に移さず、何かをやり遂げることはありません。

 

 「やればできる」という仮定自体が、「やっていない現状」を肯定しているからです。

 

 その場合、ホメオスタシスは「やっていない現状」を強力に維持するように働きます。そのため、一瞬「やろう!」と決意したとしても、すぐに無意識が「やらなくていい理由」を見つけてしまいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

 大切なことは「すでにやっている(達成している)」というイメージをコンフォートゾーンにすることであり、その先に新たなゴールを設定することです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ゴール設定により「I」を生みだした後、アファメーション等によりそれをコンフォートゾーンとすると、ホメオスタシスがゴール達成に向けて働き始めます。その過程で自然と行動ができるようになり、「V」が高まっていきます。

 受験勉強で例えると、頑張って勉強したから「V」が高まるのではなく、ゴール設定の結果として自然に勉強しているうちに成績が上がり「V」が高まっていくという感じです。

 

 エフィカシーとは「ゴール達成能力の自己評価」ですが、それは単なる思い込みや暗示で高めるものではなく、ゴールに向かうホメオスタシス活動の積み重ねによって自ずと高まるものです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 「自己肯定感を高める方法」についても、はじまりはゴールであるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

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F-037:「もうおねがい ゆるしてください」 ~心の傷はやがて脳の傷になってしまうという科学的事実~

 

 201866日にとても痛ましい事件が報道されました。以下、NHKのニュースサイトより引用します。

 

 引用開始

東京 目黒区で5歳の女の子が死亡し、父親が暴行を加えたとして逮捕・起訴された事件。自宅の捜索で見つかったノートには、女の子が鉛筆で書いた書き込みが見つかりました。

 

警視庁によりますと、死亡した船戸結愛ちゃん(当時5才)は、しつけと称して、毎日午前4時ごろに自分で起きて体重を測ったり、ひらがなを書く練習をしたりすることを命じられていました。

 自宅の捜索で見つかったノートには、結愛ちゃんが鉛筆で書いた書き込みが見つかりました。

 この中では

「もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりはもっともっと あしたはできるようにするから 

もうおねがいゆるしてください おねがいします 

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちしてきたこと なおします
あそぶってあほみたいだから ぜったいぜったいやらないから やくそくします」

などと書かれていました。 

 

結愛ちゃんは父親に「太っている」と指摘されたことから、食事は1食につきスープ1杯か、おわんに半分のご飯とみそ汁などしか与えられず、ノートには自分で測った体重を毎日、書き記していたということです。

 引用終了

 

 警視庁捜査1課によると、両親は今年の1月下旬頃から結愛ちゃんに十分な食事を与えずに栄養失調状態に陥らせ、2月下旬頃には結愛ちゃんが衰弱して嘔吐するなどしたにもかかわらず、虐待の発覚を恐れて病院を受診させることをせずに放置したということです。

3月2日に、低栄養状態などで起きた肺炎による敗血症で、まだ5才の結愛ちゃんは死亡してしまいました。

 

 1960年代のアメリカで「虐待」という概念を医学的な観点から広めたのが、米国コロラド大学小児科教授 ヘンリー・ケンプ氏です。「被虐待児症候群(The Battered Child Syndrome)」という論文がきっかけで身体的な虐待への関心が一気に高まりました。

 

 その後、フェミニズム運動の高まりとともに性的虐待にも注目が集まるようになり、昨今のセクハラ被害を告発する「#MeToo」運動や被害の撲滅を訴える「Time’s Up」運動へとつながっています。

 

 1980年代になると児童虐待をより生態学的な観点からとらえるようになり、「チャイルド・マルトリートメント(Child Maltreatment)」という表現が使われるようになりました。

 Maltreatmentは「悪い」という意味のmal +「扱い」を表すtreatmentで、日本語では「不適切な養育」と訳されます。

 

 マルトリートメントは虐待とほぼ同義ですが、子どもの心と体の健全な成長や発達を阻む養育をすべて含んだ呼称です。子どもに対する大人の不適切な関わり全般を意味する広い概念といえます。

 大人の側に加害の意図や自覚がなくても、あるいは子どもに被害の痕跡がなくても、行為そのものが不適切であれば、それはマルトリートメントとされます。「しつけ」と称される大人の行為の多くがマルトリートメントに入るはずです。

 

 日本小児科学会のHPに公表されている「子ども虐待診療手引き」中の「27.マルトリートメント症候群の長期予後」には、マルトリートメントが認知面・情緒面の発達に及ぼす影響は、心理的なもののみならず、発達している最中の脳自体の機能や精神構造に永続的なダメージを与えてしまうことが明らかになったと記載されています。

それは脳内で生じた分子レベルの神経生物学的な反応の結果、神経の発達に不可逆な影響を与えてしまうことから起こります。

 日本小児科学会HP「子どもの虐待診療手引き」:http://www.jpeds.or.jp/modules/guidelines/index.php?content_id=25

 

 つまり、マルトリートメントが心の傷をつくり、その心の傷がやがて脳の傷となってしまうのです。

 

 福井大学子どものこころの発達研究センター 友田明美教授の著書「子どもの脳を傷つける親たち」(NHK出版新書)によると、

 

 ・子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の後頭葉にある視覚野の一部で、単語の認知や夢を見ることに関係する「舌状回(ぜつじょうかい)」の容積が平均6%小さくなる

 ・厳格な体罰を経験した子どもは、前頭前野の中で感情や思考をコントロールし、行動制御力に関わる「(右)前頭前野内側部」の容積が平均19.1%、「(左)前頭前野背外側部」が14.5%小さくなる

 ・厳格な体罰を経験した子どもは、集中力や意思決定、共感などに関係する「右前帯状回(たいじょうかい)」が16.9%減少する(この部分の損傷は、気分障害や素行不良につながることが明らかになっています)

 ・性的なマルトリートメントを受けた子どもは、左半球の視覚野の容積が8%減少する。中でも顔の認知に関わる「紡錘状回(ぼうすいじょうかい)」は平均18%小さくなる

 ・より多くの種類のマルトリートメントを一度に受けると、海馬や扁桃体などにまで深刻な影響が及ぶことが明らかになっている

 

 など、小児期のマルトリートメント経験によって神経回路全体に構造的な変化がでてくることが詳細にまとめられています。

 

 繰り返しますが、マルトリートメントはまず心の傷をつくり、その心の傷はやがて脳の傷となってしまいます。

 それは現代の医学研究が明らかにしつつある科学的事実です。

 

 

 ところで、なぜ心の傷は脳の傷となってしまうのでしょうか?

 

 答えは、「心と脳は抽象度が違うだけで、そもそも同じものであるから」です。

 

 

 心と脳は同じものです。同じものを抽象度の違う次元で表現したものです。情報空間では心、物理空間では脳というように。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 「すべてが情報であり、最も抽象度の低い次元を物理という」「高い抽象度次元での情報が物理空間に写像としてあらわれる(あらわれようとする)」ということが超情報場仮説から導きだされることであり、最新の科学研究がどんどん明らかにしていることです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 21世紀は、「すべてが情報である」という事実をベースに、子育てや教育、医学・医療、そして人生そのものをとらえなおすべき時代であるといえます。

 

 冒頭で紹介した5才の少女を死に至らしめたのは、低栄養状態などで起きた肺炎による敗血症ではなく、「もうおねがい ゆるしてください」という言葉で表出された心の傷そのものです。

 

 

 世の中からマルトリートメントをなくしている!

マルトリートメントという概念さえない未来を実現している!

そのために、マインド(脳と心)について学び、実践するコーチングを広げている!!

 

そんなイメージが、少女の理不尽な死を知ったときに湧き上がってきました。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

子どもの脳を傷つける親たち



PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-14そもそも教育とは?-6-2)人間形成

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-6-2)人間形成

 

教師と生徒との関係や医療・福祉従事者と患者さんとの関係を良好なものにするために、「いかにこの尊重欲求を満たすことができるか」が鍵となります。

もちろん、家庭や職場などでの人間関係すべてにおいても。

 

そして何より重要なのは、自分自身との関係においてです。

 

つまり、「いかに自分の無限の価値を感じ、自身を誇りに思うことができるか」が、その人の人生を決めてしまうといえます。

 

私は、「人が幸せに生きるために大切なものは何か?」という視点で、いろいろな生き様や死に様を見守ってきました。

今、確信していることは「エフィカシー」という概念の重要性です。

 

間違いなく「エフィカシー(自分のゴール達成能力に対する自己評価)」が「良い人生の秘訣」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 

ここまでの四つの欲求は足りないものを満たすという意味で「欠乏欲求」と呼ばれています。それに対して五番目の自己実現の欲求は「成長欲求」と呼ばれます。

 

五番目の「自己実現の欲求」とは、自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を追求する欲求です。

 

コーチ兼医師の私にとって理想的な医療の姿とは、「患者さんの自己実現をサポートすること」です。もはや医療という言葉は相応しくないかもしれませんが、この階層での働きかけができる仕組みをなんとしても創りたいと思っています。

 

以上が、マズローの「欲求階層説」です。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

自己実現理論(Wikiより引用)

欲求階層説(自己実現理論)

Wikipediaより引用

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-13そもそも教育とは?-6-1)人間形成

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-6-1)人間形成

 

 「人間形成」とは一体どのようなことをいうのでしょうか?

 

 心理学者 アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow、1908~1970年)の有名な「欲求階層説」を例に考えてみましょう。

 

マズローは、「人間は自己実現に向けて絶えず成長する生き物である」と仮定し、人間の欲求を五段階の階層で理論化しました。それが「欲求階層(段階)説」で、「自己実現理論」とも呼ばれています。

それによると、人間の欲求は五段階のピラミッドのようになっており、下位の段階の欲求が満たされるとより高次の欲求を目指すと説明されています。

 

その欲求とは下位より、1.生理的欲求(Physiological needs)、2.安全の欲求(Safety needs)、3.所属と愛の欲求(Social needs/Love and belonging)、4.承認(尊重)の欲求(Esteem)、5.自己実現の欲求(Self-actualization)です。

 

一番下の階層である「生理的欲求」は、生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的欲求です。人間以外の動物はこのレベルを超えることはないと考えられています。

逆に、人間にとってはこの欲求しか見られないことは一般的ではなく、通常の健康な人間は次の安全の欲求が出現すると考えられています。

 

「安全の欲求」とは、安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求です。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども含まれます。

「衣食足りて礼節を知る」という管子の言葉は、この欲求を満たすことの大切さを語った言葉です。医療・福祉を含む社会保障の役割は、この階層の欲求を満たしてあげることです。

反対にいうと、医療・福祉に救いを求める患者さんは、これらのベーシックな欲求さえ満たされていない辛い状況にあるといえます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124524.html

 

三層目の「所属と愛の欲求」とは、「集団に属したい」「他者から愛されたい」という欲求です。不適応や社会的不安、うつ状態になる原因の最たるものとされています。

医療の話でいうと、二層目の「安全の欲求」までが(とりあえず)満たされた患者さんは、自然とこのレベルを求めることになります。医療・福祉に携わる者はそのことをわかった上で、日々の言動をコントロールする必要があります。

 

四層目の「承認(尊重)の欲求」とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求です。尊重のレベルには二つあり、低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができます。

マズローは、この低い尊重レベルにとどまり続けることは危険だとしています。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされます。

コーチングでいう「エフィカシー」です。これらの欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

教師と生徒との関係や医療・福祉従事者と患者さんとの関係を良好なものにするために、「いかにこの尊重欲求を満たすことができるか」が鍵となります。

 

もちろん、家庭や職場などでの人間関係すべてにおいても。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

Abraham Maslow(Wikiより引用)

Abraham Harold Maslow

Wikipediaより引用

 


Q-039:霧島市(鹿児島)医療講演会<180315> vol.9

 

 2018315日に、霧島市(鹿児島県)の病院で講演を行わせていただきました。事前にいただいていたテーマは「スピリチュアルペイン」です。

 講演後書いていただいた御意見・御質問に回答いたします。

 

 

・ターミナルケアでのコーチング 実践できるような訓練(をもっと知りたい)

 

 A:すでに医療の現場にコーチングを導入しようとする取り組みは行われています。ネットで「コーチング メディカル」と検索するといろいろな団体や人物がヒットします。

 

 日本医師会の生涯教育on-line(日医e-ラーニング)にも、全23講座のひとつとして「医師のためのメディカルサポートコーチング」というテーマがあります。

 コーチングは、これから医療や介護の現場にどんどん広がっていくはずです。

 

「夜と霧」を書いた精神科医 ヴィクトール・E・フランクルが指摘していたように、目的、希望、志、夢といったものは、健康や生そのものに大きく関係します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

 希望や夢は、時間の流れを知ったうえでゴールをしっかりと設定し、その達成を確信し続けることから生まれるものです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 F-026で御紹介したように、お金(年収)だけで「人生の満足度(life evaluation)」や「感情面での幸福度(emotional well-being)」が決まるわけではありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 幸福な人生を送り、満足な最期を迎えるためには、「自分の存在と意味」や「生きる意味(=死ぬ意味)」を自分自身で見つけだし、確信することが欠かせません。そのための強力なサポートが当たり前のように医療や介護の現場でなされている未来を現実化したいと願っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

・モチベーションに関する内容が難しかった

 

 A:おそらく、今までの「モチベーション」という概念(あるいはゲシュタルト)そのものが揺さぶられたからだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 ちなみに、モチベーションをネットで検索すると、「1)動機づけ、2)物事を行うための、動機や意欲になるもの。刺激、熱意。」とあります(大辞林 第三版)。

 

 このことからもわかるように、一般的には、モチベーションは「何かを行うときのもとになるもの(あるもの)」としてとらえられています。確かに、世間には「モチベーションをしっかり高めてから取り組む状況」や「とにかくモチベーションを高めないことには続けられないこと」があります。モチベーションこそが成功の秘訣であり、いかに“やる気スイッチ”を入れることができるかを謳う方法論もあります。

 

 しかし、これらの考え方にはスコトーマに隠れている重要な事実があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 それは「モチベーションが意識に上がるときは、そこにhave to(~ねばならない)が忍び込んでいる」ということです。

 

 我が家の子どもたちは放っておくと一日中ゲームをしています。朝から晩まですごい集中力を維持しながら、ず~~~っとゲームをし続けます。

 その間、子どもたちの心には「頑張っている」という感覚や意欲・熱意という言葉で表現されるようなエネルギッシュなものはないはずです。

 「やりたいからやっているだけ」というのが正直な感想であり、ゲームをしていることはごく自然な(あたりまえの)状態のはずです。

 

それは100% want to(~したい)だから可能となるホメオスタシス活動です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 

 21世紀の社会には、もう一般的なモチベーションの概念は必要ありません。

 ゴールさえしっかり設定することができれば、モチベーションは後から自然に生まれてきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 「モチベーションは、行動の原因ではなく、ゴール設定の結果であること」をしっかりと認識し、大切な人たちに伝えてあげてください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 

・トリックアートなどとてもわかりやすかったです。エフィカシーについて少しむずかしかったのでブログを拝見します

 

 A:ありがとうございます。講演ではトリックアートを用いることが多いのですが、それは楽しんでほしいという気持ちと驚くことでしっかりと記憶に刻んでほしいという思いがあるからです。さらに、「自分自身のマインド(脳と心)の無限の可能性を感じてほしい」と強く願っています。

講演中はたくさん笑っていただきました。皆さんに楽しんでいただき、とてもうれしく思います。

 

 エフィカシーは、コーチングにおいてとても重要な概念です。ゴールと合わせてツートップといってもいいくらいの知識です。

 このブログのフリーテーマでもたくさん取り上げていますので、ぜひ確認してください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124530.html

 

 

・人生を明るくするコーチング(がもっと知りたい)

 

 A:コーチングを受けると人生が明るくなります。ハッピーになるからです。

 

 ハッピーになるのは、「心からやりたいゴール」に向かって生きるようになるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ゴールを設定でき、その達成を確信することができるようになると、目の前の世界すべてがゴールを達成するための重要な縁起として感じられるようになります。ゴール達成に関係ないものはスコトーマに隠れ認識できなくなり(気にならなくなり)、ゴールと関係あるものだけがRASを通過し認識にあがるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

 まずはコーチングについて、そしてマインド(脳と心)について学んでください。

 私が学んでいることは、このブログでアウトプットし続けます(守秘義務の範囲で)。ぜひフォローしてください。

 

そして、いつか本物のコーチにコーチングを受けてください。

人生がさらに明るくなることをお約束します。

苫米地式コーチング公式サイト(コーチ検索):http://tomabechicoaching.jp/search

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

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F-036:縁起と宇宙と教育や学習の関係 ~「何もないところからレンブラントを発見」の補足説明~

 

 ブログ記事(フリーテーマ)の「何もないところからレンブラントを発見は正しい?」に関して、何件か御意見・御質問をいただきました。ありがとうございます。

 (コメントは公開していませんので、ぜひ気軽にご利用ください。メールでもどうぞ)

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672202.html

 

 ブログ記事では、

・一昔前の西洋哲学では「存在が関係を生みだす」と考えていた

・東洋哲学では「関係が存在を生みだす」と考える =縁起の思想

・物理学においても(不確定性原理)、数学や哲学においても(不完全性定理)、「関係が存在を生みだす」という縁起の思想が正しいことが証明された

 ・よって、「何もないところからレンブラントを発見」という美術商のコメントは正しい

と書きました。 

 

今回は、その「↓」や「よって」に当たる部分を詳しく解説したいと思います。

 

 

 まずは時系列でポイントを整理してみましょう。

 

(1)  レンブラントが28歳の頃(1634年頃)に「若い紳士の肖像画」を制作した

(2)  イギリスの貴族が6代にわたって保有した

(3)  2016年末にロンドンで競売にかけられ、137000ポンド(約2000万円)で落札された

(4)  落札した美術商がレンブラントの作品だと見抜き、専門家に鑑定を依頼した

(5)  数十人の専門家が鑑定や分析を行い、レンブラントの作品として認定された

 

 物理空間では、1634年以降、「絵」はずっと存在していました(1)

ただし、イギリスの貴族が保有している間は「作者不詳の若い紳士の肖像画」としての存在でした(2)。ひょっとしたら最初は「レンブラントの描いた若い紳士の肖像画」として存在していたのかもしれませんが、6代かけて保管されるうちにレンブラントが書いたという事実は忘れ去られ、「作者不詳」となっていました。

それが競売により「137000ポンドの絵」となり(3)、さらに「おそらくレンブラントの未発見の絵」に変わり(4)、鑑定の結果「正式なレンブラントの絵」となったのです(5)

 

では、その絵は、(1)「レンブラントの描いた若い紳士の肖像画」(2)「作者不詳の肖像画」→(3)137000ポンドの絵」→(4)「おそらくレンブラントの未発見の絵」→(5)「正式なレンブラントの絵」と解釈が変わっていく過程で存在として変化したでしょうか?

 

もちろん、その本質はまったく変わっていません。物理的な劣化があるにせよ、「絵」はずっと同じ絵のままです。

 

ただし、認識(観測)した人の知識と解釈により、つまりマインド(脳と心)の働きにより、存在としてのなんらかの重要な変化があったわけです。まさに「縁起」です。

 

この「観測者(認識主体)の知識、知能が上がれば上がるほど観測(認識)される宇宙は『たいしたことがある』ものになるという可能性」が、釈迦が語った「縁起」の示唆するところです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

目の前の世界(宇宙)は、観測者(認識主体)と目の前の事象の双方向の縁起により存在するそれが私たちが生きる宇宙の理です。

 

そして、観測者(認識主体)の知識・知能が上がれば上がるほど観測(認識)される宇宙が「たいしたことがある」ものに変わる可能性があるということが、教育や学習が重要な理由であるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124525.html

 

 「レンブラントの描いた若い紳士の肖像画」(1)は、この美術商の観測(認識)により(そして数多くの鑑定家の観測により)、レンブラントの絵として新たに「何もないところから“発見”」されたのです。

 

 観測者の知識と知能により、新たに何かが生みだされる

 

私がマインド(脳と心)について学ぶことが重要だと考える理由はここにあります。

人間のマインド(脳と心)が宇宙を創りだしています。そして、人間のマインドの変化により宇宙がどんどん変化(進化)していきます。

私たち一人ひとりのマインド(脳と心)には、それほどの大きなパワーが秘められています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

人間一人ひとりの認知のない宇宙は存在しません。

「物理宇宙は情報宇宙のひとつの抽象度に過ぎない」ということは、現代分析哲学で、そして現代物理学で明らかになった事実です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

ということは、「一人ひとりの(一瞬の)価値と全宇宙の価値は全く同じである」といえます。人間の価値にそもそも順位はなく、差別は存在しえないということです。

 

 その真理を学び(教育)、理解(学習)する人が増えるたびに、世界は確実に平和に近づいていきます。私たち人類は“無敵”へと進化していきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 それが縁起と宇宙と教育や学習の関係です。

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854056.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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レンブラント「自画像」(1640年) from Wiki

レンブラント「自画像」(1640年)

Wikipediaより引用

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-12そもそも教育とは?-5-3)望ましい方向へと変化させること

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-5-3)望ましい方向へと変化させること

 

 前回、複数の関係者から教えていただいた中・高一貫校での話を紹介しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 

この話には、もう一つ気になる点があります。

「誰のための学部変更だったのか?」という点です。

 

進路指導主任の振る舞いを見て、「医学部に合格させたこの学校はすごい」「私たち教師はすごい」と言いたくて無理やり進路を変更させたのではないかと感じた親が少なくないようでした。

 

もちろん、縁起は双方向性ですので、結果的に学校にとって好ましい方向に話が進むことを否定しているのではありません。しかし、「学校のため」という意識が少しでも入ると、生徒を(無意識下で)利用してしまう危険が生じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 本物のコーチはクライアントの利益しか考えません。自身の利益はゼロです。コーチングセッション中はもちろん、コーチとクライアントの関係が継続する限り相手の利益だけを考えているのがコーチです。

だからこそ、クライアントを“現状の外”に導くことができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

もしコーチ自身の利害が生じてしまえば、必ずコーチングに影響していきます。利害関係がなかったとしても、相手のゴールの世界(コンフォートゾーン)にコミットしてしまえば、コーチ自身のコンフォートゾーンを超えようとするクライアントに対して、無意識下でネガティブフィードバックを仕掛けてしまう危険があります。

私の父が「勉強なんかするな」と怒ったように。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 差別意識を克服するには空観など釈迦哲学が有効ですが、それも含めて苫米地理論を学びコーチとしての素養を身につけていくことが、これからの教育者や親に求められているといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-11そもそも教育とは?-5-2)望ましい方向へと変化させること

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-5-2)望ましい方向へと変化させること

 

 複数の関係者から教えていただいた、ある中・高一貫校での話を紹介いたします。

 

その学校では、前年に地元の国立大学医学部の合格者がでたということでした。

進路指導主任の先生は、新年度の保護者への説明会の際にこのように話したそうです。「進路指導前は薬学部志望だった生徒に対して、『君の成績なら合格できるから医学部を受験しなさい』とアドバイスをし、見事に合格させました」と。

 

 現状の外の世界、つまり本人にとってスコトーマになっているものを認識できるようにサポートすることは、教師や親の大切な役割です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

その意味で薬学部を医学部に変えさせたというのは決して悪いことではないはずです。

しかし、私はこの発言に大きな問題を感じます。その言葉に「薬剤師より医師の方が偉い」といった差別的な思想を感じるからです。

 

 コーチングとの関連でいうと、職業選択はゴールとはなりません。薬剤師になることそのものはゴールではなくゴール達成の手段であり、「薬剤師になって何をしたいのか?」がゴールです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

生徒のゴールが薬剤師になることでしか達成できないのであれば、進路を無理やり医学部に変えてしまうことは決していいことではありません。そこが抜け落ちているのであれば進路指導は間違ったものである上に、生徒の潜在意識に差別を植え付けることにもなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 私自身は、生い立ちもあり、自分をエリートだと認識したことは一度もありません。ヒエラルキーの存在を前提に医療・介護現場で働いたことは一切ありません。
 しかし、「エリートのくせに」や「どうせ医者だから」といった逆差別的な扱いを(多くは陰で)されるたびに、医療・福祉に携わる方々の無意識下に根深くはびこる差別意識を感じてきました。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124523.html

 

「薬剤師より医師の方が偉い」「薬学部より医学部の方がすごい」と刷り込まれてしまった生徒が、将来医師になったときに差別的な立ち振る舞いをしないか心配です。

 

(つづく)

 

 

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