苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

2018/02

PMⅠ:The Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-15突然の院長就任

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

突然の院長就任

 

 禅道場をもつ病院に勤務することになったのは、鹿大リハ科の人事がきっかけでした。いろいろありましたが、先代の院長が目指す医療像には共感していました。

病を抱えながら誰よりも働いていた院長は、20027月に倒れてしまいました。

 

統計的には致死率90%を超える厳しい病状だったのですが、その後奇跡的な回復を遂げ、無事職場に復帰しました。その復帰の日、多くの職員が院長の姿を見ながら泣いていました。院長自身は「敷居が高いと感じた」と苦笑いをされていました。

 

ほとんどの職員は知らなかったはずですが、病状は決して安定しておらず、厳しい状況が続いていました。

絶対苦しかったと思うのですが、院長は飄々(ひょうひょう)と診療を続けられていました。食べられなくなると栄養補助食を手にし、歩けなくなると電動カーを利用し、白衣を着続けました。

 

 そんな院長の姿から大きな学びを得ていましたが、当時の私はどん底にいました。

目の前の宇宙がモノクロの、薄っぺらい、虚構の世界のようにしか感じられず、生きている手ごたえが完全になくなっていました。

 

今思うと、かなり危ない状態でした。

2007年になると体調不良でたびたび休むようになりました。休んだ日は家族と話すこともなく、ただフトンの中で一日中過ごしました。

 

その年の78日は日曜日でした。当直のため医局にいた私のところに院長が来られ、1時間くらい話をしてくださいました。翌日、お礼を言いに行きました。会話を交わしたのは、それが最後となりました。

その翌日の710日、連絡をもらった私が院長室に駆け込むと、そこには白衣を着たままうつぶせに倒れている医師の姿がありました。心肺停止の状態でした。

 

その後、私が院長職を継ぎました。

 

しばらくして(3ヶ月くらいでしょうか)、自分の心身に変化が起こっていることに気がつきました。あんなに気力を失っていたのに、あんなに生きることが苦しかったのに、あんなに世界が色あせて見えていたのに、いつの間にか立ち直りかけていたのです。

 

体はきつかったし、「院長」という言葉に押し潰されそうな感覚もありました。

でも、死んでしまいたいという思いは、もう感じなくなっていました。

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-14両親との絶縁と宇宙再構築の気づき<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

両親との絶縁と宇宙再構築の気づき<ベチロンで考察>

 

仕事の面でパワーを失った理由は明白です。

「医師になる」という不完全なゴールを達成し、「モチベーション(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html)」を失ったからです。職業はゴールにはなりません。その職業で「何をするか」が本当のゴールです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

本当は、「抜苦与楽」という言葉に込められた、最福寺で思い描いた理想の医師像があったはずです。しかし、多忙な上に西洋医学にどっぷりつかった私は、そんなかつてのイメージはすっかり忘れていました。かつての思いは「スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)」に隠れてしまったのです。

 

私は結婚という制度を決して肯定はしていませんが、妻には本当に感謝しています。

妻は私の「エフィカシー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html)」を高めてくれる最高のコーチです。仕事での不調をカバーしてくれたのは妻でした。

 

妻との関係が私を救ってくれた一方で、私を苦しめたのも家族との関係でした。「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」を理解していなかった私は、親との“縁”にとらわれ過ぎていました。

 

「関係が存在を生みだす」という考え方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。

それを仏教では「無常」と表現しますが、この無常を理解していなかったのです。

それは「空観(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html)」を忘れていたともいえます。

 

子供の頃から虐待され、大人になっても苦しめられ続け、私は両親を心底憎んでいました。その憎しみという強い情動が、私を現状の「コンフォートゾーン(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html)」に閉じ込めました。

 

限界まで追い詰められ、「妻と子供たちを守る」という選択をしたことで、私の評価関数(重要性関数)が大きく変わり、「自我(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html)」が変化しました。

 

生まれ変わったというレベルの話ではありません。

RAShttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html)」を通り抜ける情報が変わり、認識できなくなる「スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)」が変化し、本当に目の前の宇宙そのものが変わってしまいました。

 

憎みながらも一方でかけがえのない存在だったはずの両親と縁を切ることは、当時の私にはとてつもない痛みを伴いましたが、マインド(脳と心)での情報処理により宇宙がダイナミックに変化することをリアルに感じる貴重な体験となりました。

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-13両親との絶縁と宇宙再構築の気づき

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

両親との絶縁と宇宙再構築の気づき

 

医師になりあわただしい研修期間を乗り切った私は、だんだんパワーを失っていきました。何かが足りないような気がしていて、その隙間を埋めるように酒を大量に飲むようになりました。

 

プライベートでは、サークルの後輩と結婚し、子宝にも恵まれました。新しい家族の存在は希望となりましたが、昔からの家族が私を絶望の淵へと追いやりました。

 

医師として働くようになると、両親はお金を要求するようになりました。

どんなに説得してもギャンブルと酒に消えていくことはわかっていましたが、私は要求されるままお金を渡し続けました。15才年の離れた、たった一人の弟を守りたかったからです。

 

結婚してからもお金の要求は続きました。

貯金がなくなったことを知ると、私の名前で申し込んだ融資の書類を持ってきて、署名を強いるようになりました。両親が職場に押し掛けたことが数回ありますが、すべて私に借金をさせるためでした。

 

銀行や消費者金融がもう貸してくれなくなると、勤めていた病院の今は亡き先代院長に助けを求め、借りたお金を両親に渡しました。

その間、妻は文句を一切言わず、ずっと支えてくれました。しかし私は、アリ地獄の中でもがいているようで苦しく、妻や子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいの辛い日々を送っていました。死んでしまいたいとも思っていました。

 

 もうこれ以上先へは進めない

 

どうしようもなくなってしまった私は、親からの金の要求を断りました。

しばらく経過した後、両親が勝手に私の名でヤミ金からお金を借りていることを知りました。

 

それを機に、ついに、私は両親と絶縁しました。

 

(つづく)

 

 

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Q-017:霧島市教育講演会(180124 QA vol.3

 

2018124日(水)に霧島市(鹿児島県)で開催された「第12回学校保健研究協議会」にていただいた御質問・御意見に回答いたします(個人が特定される恐れがある場合は表現を変えています)。

 

 

・次のステップは?もしかしたら、自分も何かできる気がします。そのために何をすべき?(まもなく定年)

 

A:ゴール設定です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ゴールは一つではなく、人生のあらゆる領域にバランスよく設定します(設定し続けます)。

人生とは、職業や地位、収入だけで構成されるものではありません。自身の心身の健康はもちろん、家庭や地域、そして趣味といった多様な要素で構成されるものです。これら人生のいろいろな方向性に対して、まんべんなくゴールを設定することが重要で、それをコーチングでは「バランスホイール(balance wheel)」と呼びます。

 ぜひ、いろいろな人生の領域にゴールを設定してみてください。
 セルフコーチングのための知識がまとめられている苫米地英人博士の著書「コンフォートゾーンの作り方」(フォレスト出版)をお勧めします。

 

 

・現在、大人のセルフイメージが低く、それが子どもの自己肯定感の低さにつながっている気がします。子どもたちはもちろん親である大人(自分も含め)のセルフイメージを高めることも必要だと感じました。親、先生方に(自分にも)「大丈夫!! 必ずできる!! 見える!!」と言いたいです。自分にも言ってあげたいと思いました

 

A:セルフイメージ、そして、それをつくりあげるセルフトークのコントロールは、成功することや幸福を実現するためのとても重要な要素です。

セルフイメージは「ブリーフシステム」や「自我」ということもできます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

 ところで、コーチングにて最も重要なものは「エフィカシー」です。エフィカシーとは「ゴール達成能力の自己評価」のことです。時間を考慮すると、未来のセルフイメージといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 エフィカシーや、エフィカシーとゴールの関係性については、苫米地英人博士のYouTube公式チャンネルをご覧ください。通常10万円は下らない博士の講義映像を、なんと無料で視聴できます。お勧めです。

 https://www.youtube.com/watch?v=ZYTXhgDpXU0

 

 ゴールを達成した時に自分が見ているに違いない景色をイメージし、「大丈夫!! 必ずできる!! 見える!!」とセルフトークしながら視聴してください。どんどんエフィカシーが高まっていくことを実感するはずです。自身に起こる変化を楽しんでください!

 

 

・本人のモチベーション次第だと思う

 

 A:モチベーションは原因ではなく、結果です。しっかりとしたゴール設定の結果です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

「モチベーションが高いから成功した」はまわりの評価であって、本人にとっては「あたりまえ」です。

ゴールが正しく設定できると、ゴールに向かうすべてがコンフォートゾーンになり、ゴールを実現するための方法がクリエイティブに見つかります(発見します)。スコトーマがはずれるからです。傍から見るととても頑張っているように思えますが、本人は自然に見つけちゃうのです。

「心から達成したいこと」「止められてもやりたいこと」に向かうことは、生命維持のために呼吸や心拍を続けるのと同じように自然なことです。「本人にとってはあたりまえ」なのに「周囲には頑張っているように見える」状態の、他人の評価がモチベーションです。

 

では、ここで問題です。

なぜ、本人の自己評価と周囲の評価にギャップが生まれるのでしょうか?

 

答えは、「ゴールが“現状の外”に設定されているから」です。

 

「本人のモチベーション次第だと思う」では不十分で、「本人のゴール次第だと思う」がよりよい表現だと思います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

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コンフォートゾーンの作り方



Q-016:霧島市教育講演会(180124 QA vol.2

 

 2018124日(水)に霧島市(鹿児島県)で開催された「第12回学校保健研究協議会」にていただいた御質問・御意見に回答いたします(個人が特定される恐れがある場合は表現を変えています)。

 

 講演後記載していただいたアンケートをいただきました。すみやかに対応してくださった事務局の先生方には、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 

 アンケート冒頭での「内容はわかりやすかったですか?」という問いに対して、10段階の目盛りで評価していただきました。これは医療現場でも疼痛の評価等に使われる方法で、VAS(バス、Visual Analog Scale)と呼ばれます。

当日(180124)の講演評価は2から10まで幅広く分布し、平均では7.07でした。

 

 現実社会では、誰からも同じように最高の評価を得られることはなく、極端に評価が分かれることも少なくはありません。「ものすごくよかった」と思う人がいれば、「全然よくなかった。最悪ッ」と感じる人がいるように。

 

 その「評価が大きく分かれること」の最大の理由が、マインドでの情報処理にあります。

 

 自分自身の認識⇄理解⇄評価⇄判断という情報処理の特徴を知り、それを自由意志でアップデートしていけば、その結果、認識する世界(宇宙)そのものを自在に構築することができるようになります。

 

 講演では、その一つの方法としてコーチングが役にたつことをお伝えしました。

セルフコーチングももちろん有効ですが、コーチのサポートを得られれば、より早く、より強力に情報処理システムを変えていくことができます。

 

 コーチングの存在をぜひ知ってほしい

 しっかり学んで、身近な人たちにhappyをひろげてほしい

 そのためにもまずは自分自身のマインドに向き合い、未来側から自由に生きてほしい

そんなことを願いながら、話をさせていただきました。

 

 

 では、いただいた御意見・御質問に回答いたします。

 

・母として、一人の人間として、目の前のことが開けました。ありがたかった

(前略:後日回答します)先生の話にとても勇気づけられ、励まされました。(中略)希望をもっていきたいと思います

・すべてがよかった

・○○が○○○です。過去にとらわれていて、親も接し方に悩んでいたので、泣きそうでした。未来を信じて前に進みたいです

A:すべては双方向の縁起です(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)。私の思いや学んできた知識が皆さまの良い縁起になったのは間違いないと思いますが、「目の前のことが開けた」のも、「勇気づけられた」ことも、「泣きそうだった(感動した)」こともすべて、皆さん自身のマインド(脳と心)での情報処理の結果です。

 講演ではゴールやエフィカシーの大切さをお伝えしましたが、「前に進みたい」という思い(ゴール:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html)と「前に進むことができる」という確信(エフィカシー:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html)があれば、必ず道は開けていきます。スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)がはずれるからです。

 今まで“出し惜しみ”を続けてきた自分の中に眠る大いなる力を強く信じてください。繰り返しますが、必ず道は開けます。

 

 

・子供たちの心に火をつけるコーチングの話がどの話なのかよく分からなかった。先生方への話だったのか、難しい用語ばかりでした。保護者向けではない気がします

A:この世にアプリオリな「難しい用語」は存在しません。アプリオリとは「経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念」のことです。簡単にいうと、あなたに知識がなかったため「難しい用語」と感じられたということです。

 それは決して悪いことではなく、今まで知らなかった新たな世界の扉が開いたことを意味します。これを機にぜひコーチングや苫米地理論について学び始めてください。このブログは、その学びをサポートするために存在しています。

 

 

・宗教くさい

A:もう一件、同様の御意見をいただきました。ありがとうございます。

私は幼少の頃から真言密教のお寺に通っていました。そこでたくさんの奇跡を目の当たりにしてきました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html

 

 コーチングを受けたクライアントの中には、奇跡としか言いようがない体験をされる方々が少なからずいらっしゃいます。そんな奇跡体験者に必ず共通していることは、「(その実現を)強く信じている」「まったく疑っていない」ということです。

 「信じる者は救われる」という言葉があります。その言葉が事実であることは、すでに認知科学により明らかにされています。その知見をシンプルにまとめたものが、「夢をかなえる方程式 I×VR」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 「I×VR」どおりに“奇跡”を成し遂げた人々にとって、さらにその人たちを見守るコーチにとって、“奇跡”は起こるべくして起こっています。いわば「あたりまえ」です。

 そんな様子がさらにまわりを混乱させます。「宗教くさい」と敬遠するだけならいいのですが、中には誹謗中傷や嫌がらせを始める人もいらっしゃいます。ドリームキラーの暴徒化です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 御意見をいただいた方のブリーフシステムには、「宗教」に対してネガティブな何かが埋め込まれています。何らかの嫌な体験か情報の記憶があるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

それは個人の価値観であり、本質的には自由であるべきことです。ただ、コーチとして一つだけアドバイスさせていただくと、そのブリーフシステムが巨大なスコトーマをうみだし続け、“奇跡”を引き起こす力の覚醒はますます遠ざかっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

そのことを理解した上で、自分自身の生き方を選択してください。

 

なお、宗教については、「The Power of Mind Ⅰ」第六章において取り上げます。

私が院長として働く病院には禅道場があります。その存在は、私にとってはずっと希望でしたが、今では絶望の象徴に変わりました。

ドイツ生まれの理論物理学者 アルベルト・アインシュタイン(18791955年)の下記の言葉の考察と合わせ説明いたしますので、ぜひフォローしてください。

 

宗教なき科学は不具合であり、科学なき宗教は盲目である

Science without religion is lamereligion without science is blind.

By Albert Einstein

 

 

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Albert_Einstein_Head(Wiki)
Wikipediaより引用


F-020:研究はすべてに通じる

 

 私は、鹿児島大学で学んでいた学生時代に、医学部ウインドサーフィン部「FOOL ON BOARD」に所属していました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199964.html

 その創部37周年と創部当初から定年退官までずっと顧問を務めてくださった佐伯武賴先生の著書出版をお祝いする祝賀会に参加しました。

 

 卒後二十年以上経過し、先輩や後輩もいい年齢になっています。もちろん私もです。

当然、佐伯先生も同じく年を重ねられていますが、77歳と思えぬ若さあふれた姿と発せられるエネルギー(気)に驚きました。

 

先生は、1980年に鹿児島大学医学部生化学教授に就任。19992001年の間は医学部長を務められ、2006年に定年退官されました(鹿大名誉教授)。その後20062010年は徳島文理大学教授、20102015年は熊本大学生命資源研究支援センター特任教授を務められています。

さらに、なんと75歳にして、鹿児島大学大学院医歯学総合研究科分子腫瘍学特別研究員になられ、現在も研究を続けられています。

 

祝賀会の前半は、昨年4月に出版された著書「シトリン欠損症 -医者も知らない特異な疾患」(風詠社)の記念講演会でした。「尿素サイクル」や関連する「グルタミン酸」「アセチルCoA」「シトルリン」などの用語を聞きながら、紐づいてでてくる学生時代の楽しく、懐かしい思い出に浸りました。

講演の最後には「研究から見えてきたこと」というテーマで、1)幸運をつかめ、2)積極性、3)独自性、4)研究はすべてに通じる、という話をしてくださいました。

 

講演後の祝賀会で、整形外科医となった後輩が「やっぱり佐伯先生は本物の教授ですね。こんなにすごい人が身近にいてくださってありがたいですね」と感慨深げに話してくれました。

 

私も全く同感で、心が震えるような感覚を感じていました。

最初からあたたかい気に包まれながら講演を聞いていたのですが、最後のスライド(研究から見えてきたこと)のときには感動のあまり泣きそうでした(そして、講演後に号泣しながら花束を渡す先輩女性医師の姿を見てこらえきれなくなりました)。

(先輩や私の)涙の理由は、佐伯先生の生き様そのものに感動したことももちろんですが、いただいた縁に対して大きな感謝の念が湧きあがったからだと思いました。

 

 幼い頃の私は、勉強に対して痛みを感じていました。勉強したいのにできなかったからです。勉強しているところを見つかったときに感じた恐怖は、その後に受けた暴行による痛みの記憶とともに、今も鮮明に覚えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124523.html

 

 PTSDPost Traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害)に苦しみ続けていてもおかしくない状況ですが、幸いなことに完全に克服することができました。認知科学者 苫米地英人博士からマインド(脳と心)の操作、内部表現の書き換え技術を教えていただいたからです。

 

その苫米地博士まで無事にたどり着くことができたのは、多感な青年時代に佐伯先生のような恩師に出会い、全身全霊で学んでいたからです。「知に対する飽くなき好奇心」、「強い意志」と「確信」、「すべてを包み込む優しさ」、そして「情熱」

 

 そんな高い抽象度次元にある智慧を、私はしっかりと受け取っていました。非言語で。

 

「創部40周年のときは僕は80歳だけど、その年も何回かは(ウインドサーフィンで)海にでようかな~」とにこやかに話される先生の姿は青春そのものでした。「そういえばよく『青春時代』を歌っていらっしゃったな~」と思いだしながら、「先生はサミュエル・ウルマンの詩の物理空間への写像のようだ」と思いました。

 

 

YOUTH(青春)

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、

安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。

歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。

悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、

雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の

煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・

人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、

その人は若いのだ。

感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。

そのような人は神のあわれみを乞うしかない。

                        「80歳の年月の高見にて」より

 

 

「研究はすべてに通じる」と語る、いまだ青春真っただ中の恩師の姿に私は誓いました。

 

“不完全”な宇宙を解明し続けるために思考し続けることを。

空(くう)という頂点を目指して抽象度を上げ続けることを。

空と仮を包摂した中観の生き方を広め、社会や人類そのものが進化・向上した先にある真の平和を実現することを。

 

 あらためて佐伯先生には心より感謝申し上げます。

私は、先生から受け継いだ“FOOL ON BOARDスピリット”とともに、これからも苫米地式認定コーチとして、自分の機能・役割を社会に提供していきます。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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180211佐伯武頼先生出版記念講演


PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践
PM-03-12「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~<ベチロンで考察>

 

 リハビリテーション医学を語る立場にはありませんが、キャリアのスタートがリハ科だったことは、私にとってはラッキーでした。その理由には第四章で触れます。

 

ところで、「いい先生」とはどんな先生でしょうか?

なぜ、医療側と患者側で違いがある(と感じた)のでしょうか?

 

どう見ても若葉マークをつけているのが明らかな私が「いい先生」と評価されたのは、「抽象度と関係している」と思っています。「患者さんを、ある臓器ではなく、特定の疾病でもなく、一つの生命現象としてとらえていた」ということだったのではないでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

さらに「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」の視点により、患者さんの職業や家族、未来まで含めて“その人”と捉えていました。

そして、とても大切なことですが、私のその捉え方が、非言語で患者さんやその家族にしっかりと伝わっていたのだと思います。

 

当然ですが、医療者は医学的な知識やスキル、実績を重要視します。

情報量の多い世界、つまり物理空間に近い次元で評価するのですから、研修医の私が「いい先生」であるはずがありません。

つまり、「いい先生」の意味は医療側と患者側で、文字どおり、次元が違うのです。

 

面白いことに、リハ科の後、循環器科→脳外科→リハ科→消化器科(救急)とまわりましたが、急性期病院になるほど患者側と医療側の評価のギャップは縮まりました。

「急性期では物理に近い低い抽象度で濃密に、慢性期になるとより高い抽象度も含めて幅広く対応する必要がある」ということではないでしょうか。

 

西洋医学は西洋哲学がベースになっています。それは「存在が関係を生みだす」という見方であり、「関係が存在を生みだす」という東洋的見方、つまり「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」の哲学とは正反対です。

 

存在を突き詰めていくと、どんどん情報量が増えていきます。抽象度が下がるのです。それを「専門性」と呼びます。

必ずしも「急性期=専門性」とはいえないかもしれませんが、命にかかわる救急の場面ではまず一番重要なところに集中する必要があるという意味で「急性期≒専門性」といえます。

専門性(情報量)を重視する医学教育を受けた者には、患者さんのより高次の情報空間はなかなか認識できません。情報量の多い物理空間についフォーカスしてしまい、高次元の空間が「スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)」に隠れるからです。

 

本をくださった女性には、私は情報空間のスコトーマが外れているように感じられたのでしょう。その感触が「先生ならわかってくださると思って」という言葉にあらわれています。ちなみに、プレゼントしていただいた本のタイトルは「家庭でできる自然療法」でした。

 

超情報場仮説を意識しているかどうかはわかりませんが、より高い抽象度の情報空間まで医療の枠でカバーしようという取り組みも始まっています。

例えば、20081月に順天堂大学医学部附属順天堂医院にて開設された「がん哲学外来」です。提唱者である樋野興夫医師の著書によると、病理医として「がん」を学んできた樋野先生は、多忙な医療現場と患者さんとの間にぽっかりとすき間が空いていることやがんにまつわる様々な悩みがいかに深刻かということに気づき、日本初の「がん哲学外来」を始めることを決意されたそうです。

現状の外へのゴール設定といえます。そして、それはより高い抽象度の空間に向かうものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

今後の医療には、ますます高次の情報空間での対応(情報操作)が求められていくはずです。その実現のために苫米地理論の理解と実践がとても役に立ちます。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践
PMⅠ-03-11:「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~

 

 無事卒業し国試にも合格した私は、鹿児島大学医学部リハビリテーション科に入局しました。研修医の立場で真っ先に夏休みをとったり、学会入会を拒んだりしたことから変わり者とみられていましたが、教授はじめ先輩方や同期に恵まれ充実した研修医生活を送っていました。

 

嫌なことはすぐに忘れる私ですが、今でも思い出すこの頃に本気で嫌だった思い出が、「いい先生」と評価されることでした。

もっとも「いい先生」と言ってくださるのは患者さんばかりで、看護師さんからそのように言われることはほとんどありませんでした(むしろ当時の師長からは「リハセンターの恥」と罵倒されました)。

そのギャップが、さらに私を苦しめました。

 

「『いい先生』と言われるたびになぜ苦しくなるのか?」を考える中で、医療側の「いい先生」と患者側の「いい先生」のニュアンスが違うように感じはじめました。

 

 半年間の初期研修を終え、他科を回る修行の旅にでました。

最初にお世話になったのは鹿児島市内の循環器専門病院です。そこで急性心筋梗塞や不整脈などの入院患者さんを担当させていただきました。

 

数か月後、路面電車が走る大通りに面する某総合病院脳外科に移籍しました。ある日の早朝、病院玄関前を歩いていると「先生~」と叫びながら女性が走りこんできました。突然の出来事に驚き、その女性のターゲットが私であることがわかるとさらに困惑しました。

 

「どうかしましたか?」と声をかけながらのぞき見ると、その女性は循環器病院で受け持った患者さんの娘さんでした。

 

「先生(ハア~、ハア~:息切れ)、お久しぶりです(ハア~)」

「はい」

「私(ハア~、ハア~)、職場に市電(注:路面電車のこと)で通っているんですよ(ハア)」

「はい?」

「今日、先生が見えたんで慌てて降りました(ハア、ハア)」

「は?」

「これ、もらってください(ハア)」

「はい?」

こんなやり取りをしました。    

 

解説すると、私が循環器病院を退職した後某総合病院脳外科に勤務していることを聞いた娘さんは、その後毎日通勤中に電車の中から私を探していたそうなのです。渡したい本があったからです。

そして、ついにその日がやってきました。

 

私を認識すると、慌てて電車を降り猛ダッシュ。病院に入られてしまうとわからなくなるので「何とか玄関でつかまえたい」と必死だったようです。

「いい本なんでぜひ読んでください。先生ならわかってくださると思って」そう話された後、その女性は歩き去っていきました。

 

その後お会いしたことはありませんが、その時のことはよく覚えています。

その経験のおかげで、「いい先生」の意味が理解できたからです。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

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PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-10霊におびえた学生時代<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

霊におびえた学生時代<ベチロンで考察>

 

 風を見たことがありますか?

 

ウインドサーファーは風を見ることができます。

もちろん、海面の色であったり(視覚)、音であったり(聴覚)、肌に当たる感覚であったり(触覚)、天気図によるものだったり(言語情報)するのですが、でも、見ているのです。

 

五感+言語の六つのモーダルチャンネル(情報入力経路)を統合して一つ上の抽象度で築きあげた「ゲシュタルト(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html)」で見ているのです。

自然の中にいて感覚が研ぎ澄まされるだけではなく、この「統合し、さらに大きなゲシュタルトを作る体感」を得られたことは、抽象度の体得を可能とする貴重な財産となりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

さらにエネルギー感も。

目に見えない力で吹き飛ばされた体験は、「情報空間のポテンシャルエネルギーを物理空間で爆発させる」というイメージをはっきりと感じるきっかけとなりました。目に見えない、文字どおり爆発的なパワーを体感したことは、ヒーラーとしてのスキルにも大変役に立っていると思います。

これらの体験もあり、苫米地式の真髄は私の中でリアルになりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

大学時代はリアルにならなくていいものまでリアルになりました。

霊の存在です。

 

「空観、仮観、中観(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html)」を学び、「夢をかなえる方程式:I×V=Rhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html)」を体得した今は、霊とは「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」により自分の心(マインド)が生みだしたものであることを理解しています。

 

霊の恐怖を克服する大きなきっかけとなったのは、苫米地博士の「一生幸福になる 超訳 般若心経」(学研)により長年の疑問が解決したことでした。

 

今は霊を恐れることは全くありません。むしろ食べるくらいですから(笑)。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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超訳般若心経

Q-015:霧島市教育講演会(180124QA vol.1

 

 2018124日(水)に霧島市(鹿児島県)で開催された「第12回学校保健研究協議会」にていただいた御質問・御意見に回答いたします。

 

今回は、講演後の質疑応答でいただいた質問にあらためてお答えします。

まずはH先生(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7030948.html)からの御質問です。

 

Q:今、受験生たちが非常に不安定な気持ちでいると思います。今日の講演内容をふまえて、受験生の心に火をつける漢字の一字とはどんなものでしょうか?

 

A:私は、仏教について40年以上、医学・医療を30年近く、そして苫米地理論やコーチングについて8年以上学んできました。そんな私が学んだすべてを90分の講演に詰め込みました。それをさらに「漢字一文字で」という御依頼…H先生、さすがです。

御質問をいただいたときは現状のコンフォートゾーン(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html)の外に引っ張りだされた感覚がしました。だからだと思いますが、肝心の一文字を答え忘れてしまいました。創造的回避(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.htmlです。

 

講演中は「佐々木希ちゃんの『希』」とお答えした後、「講演タイトルがThe Power of Mindなので『力』です」と言い直しました。じつは最初にひらめいたのは「夢」でした。私は、世間一般で使われる「夢」という言葉のニュアンスが好きではありません。講演の内容を皆さんが間違ったイメージで記憶してしまうことを回避するために、「夢」は却下しました。

あらためて考えましたが、一文字で表現するなら、やはり「希」です(希望の「希」です)。

あえて他の単語を選ぶなら「信」です。「ゴール達成の確信」の「信」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ところで、講演翌日にH先生から質問の背景を教えていただきました。

俳優の武田鉄矢さんがセンター試験直前の受験生に毎年授業をされており、今年で10回目だったそうです。授業では漢字一文字を成り立ちから説明し受験生に贈っており、今年の漢字が「急」だったようです(「贈る言葉」ですね)。

なぜ「急」だったのかは、そのイベントをレポートしていた朝日新聞の記事を読んでもよくわかりませんでしたが、このブログの読者の方から教えていただきました(いつもコメントをありがとうございます)。

武田鉄矢さんが語った「急」の一文字は、「急いだり焦ったりしているのはあなた一人じゃないですよ。皆急いだり焦ったりしていると思えば気が楽になるでしょう」という意味合いだったようです。

試験直前の青年たちにそのような話をされた武田さんの気持ちはよくわかりますが、コーチとしてはその解説はNGです。なぜなら、他人との比較は一切意味がないからです。

 

 

 次に、小学校の校長先生からいただいた質問です。

 

Q:今日は未来というキーワードがたくさんでてきました。未来の予想には「2030年問題」といわれるようなものもあり、今は存在しない仕事が生まれたり、今ある職業がなくなったり「未来は先行き不透明」というような言葉で語られます。子供たちが生きていく未来について、教えていただけることがあればお願いします。

 

A:一般的に用いられる「未来」という言葉は時間軸上の未来であり、「現状の延長線上にある世界」のことです。「このままの続く時間軸上の未来」まで含めて、私たちコーチは「現状(SQStatus Quo、ステイタス・クオ)」と呼んでいます。

時間は「過去から未来へ」ではなく、「未来から過去へ」と流れています。先に未来が存在しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

先に存在する本当の“未来”を創造することができるのは、“現状の外”にゴールを設定することによってのみです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

本当の“未来”とは“現状の外”にあるもの

したがって、“未来”は、必ず「予測不能」であり、常に「先行き不透明」です。

 

だからこそ、子供たちに「自分でゴールを設定し、自らの手で未来をつくりだす」ための知識とスキルを伝授してあげる必要があります。

それは親の、教師の、すべての大人の、未来に対するとても重要な役割であり責任です。

 

 ところで、約30年後の未来については、認知科学者 苫米地英人博士がすでに示されています。「2050年 衝撃の未来予想」(TAC出版)を御参照ください。

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199706.html

 

 

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2050年 衝撃の未来予想

F-019:「Connecting the dotsby スティーブ・ジョブズ

 

 先日、コーチングセッション中に、2005年にスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った講演の話題になりました。

 

 スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs、19552011年)はアメリカ合衆国の実業家で、アップル社の共同創設者の一人です。その言動が社内を混乱させたとして閑職へ追いやられ1985年にアップル社を辞めますが、1996年に業績不振で苦しむアップル社に復帰しました。
 その後、iPodiPhoneiPadといった一連の製品群を軸に、アップル社を「パソコンの会社」から「デジタル家電の企業」へと進化させました。さらには「メディア配信事業」という業界自体をつくりあげました。

 

 そのジョブズが、「私は大学を卒業したことがありません。じつのところ、今日が人生で最も大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から三つの話をさせてください。たったの三つです」と語りはじめ、有名な「Stay hungry, Stay foolish」で締めくくったスピーチは今も語り継がれています(ネットで全文を読むことができます)。

 

 今回は、ジョブズが最初に述べた「Connecting the dots」について取り上げます。

 

 

 You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward.

So, you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

You have to trust in something – your gut, destiny, life, karma, whatever.

This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

 

先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。

何かを信じ続けることだ-直感、運命、人生、カルマ、その他なんでも。

この手法は私を裏切ったことはなく、そして私の人生に大きな違いをもたらしてくれた。

 

 

 コーチングセッション中は、「時間の流れ」という視点でこのスピーチを説明しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 他にも、この短い言葉の中には、「ゴール」、「エフィカシー」、そして「ゲシュタルト」といったコーチングにおいてとても重要な概念が含まれています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ここでは「ゲシュタルト」について、さらに深く掘り下げます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

「ゲシュタルト(Gestalt)」は“形態”を意味するドイツ語で、全体性を持ったまとまりのある構造のことを指します。

 

例えば、「ハシをつくる工○」という言葉を目にしたとき、その「ハシ」が「箸」なのか「橋」なのかは判断ができません。ところが、「○」に入る文字が「場」なら「ハシ」は「箸」だと分かり、「事」なら「ハシ」が「橋」だと分かります。

「ハシをつくる工場」という全体が分かってはじめて、「ハシ」が「箸」だとわかるつまり、「全体が分かることで部分が分かる」のです。

 

人間の心理現象に関しても同様です。

構成主義・要素主義の立場では、「人間の心理現象は要素の総和によるものであり、視覚・聴覚などの刺激には、個々にその感覚や認識などが対応している」と考えます。

例えば、既知のメロディーを認識する過程では、11つの音に対して記憶と対照した認知があり、その総和がメロディーの認識を構成するという感じです。

 

ところが、この説では移調した旋律を同じものと認識できる人間の認知機能を説明できません。

 

ゲシュタルト心理学では、知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元できない全体的な枠組みによって大きく規定されると考えます。

ここで全体的な枠組みにあたるものが「ゲシュタルト」と呼ばれます。

 

このようなことが明らかにされたのはつい最近、1980年代半ばにポストモダニズムが登場して以降のことです。

アイザック・ニュートンが古典力学を確立した17世紀から1980年代半ばまで、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードでした。いわゆる構造主義の考え方です。

 

つい最近までのおよそ300年もの間、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードであったため、たいていの方々は今でも「部分が全体をつくる」「部分を順に見ていけば全体が分かる」「部分を順に追っていけば答えが分かる」という考え方にとらわれています。

医療・介護の現場においても、いまだにこの古い考え方にとらわれたままの医療従事者が、驚くほどたくさん存在しています。

 

しかし、実際は違うのです。

全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しており、全体が分かることで部分が分かるのです。

この全体と部分との双方向の関係が「ゲシュタルト」です。そして、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」といいます。

 

 私が「生きる意味を確信すること」や「死を想うこと」が重要だと考える背景には、この理論があります。

 

私たちは自分自身の死をしっかり見据え、その意味を知り、死が近づきやがて一体となることそのものが“生”であると認識した上で、目の前の一瞬を鮮やかに生きる必要があります。

 

そんな生き方そのものが幸福となります。

それはスピリチュアルペインを克服した先にある真の幸福です。スピリチュアルペインに関しては、「The Power of Mind Ⅰ」第四章で詳しく解説いたします。

 

 

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward.

So, you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

 

先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。

 

 

connect the dots(点をつなぐ)」とは、ひと回り大きなゲシュタルトで物事をとらえることです。それは、ひとつ上の抽象度で物事をとらえることと同意です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

ジョブズはその重要性を、そしてその達成を信じ切ることの大切さを、若い世代に伝えたかったのだと思います。

それはスピリチュアルペインを克服する鍵となるものであり、人を真の幸福に導くものであるからです。

 

私が医療・福祉、そして教育といった“いのちの現場”にコーチングを届けたいと願うのも同じ理由からです。

 

私は、「医療」「福祉」「教育」といったゲシュタルトをはるかに越えた抽象度で、「点をつなぐこと」を熱望しており、そして、「点をつなぐこと」ができると確信しています。

その実現のために、このブログも100% want toで書いています。

 

Stay hungry ! Stay foolish!!

By Steven Paul “Steve” Jobs

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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)
Wikipedia より引用

PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-09霊におびえた学生時代

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

霊におびえた学生時代

 

 医学部生となった私は、青春を謳歌していました。

 

学費を稼ぐために働く必要がありましたが、学業とファイナンスの両立に目途が立った大学二年の春にウインドサーフィン部に入部しました。

大好きな海の上を自由に滑走することができるウインドサーフィンに、ただただ夢中になりました。風と一体となる感覚が最高で、「自分は大きな存在の一部である」と全身で理解することができました。

 

さらに鹿児島には桜島があります。

噴煙を上げる雄大な桜島のエネルギーを感じる機会は少なくありませんが、海上にいるときの噴火(鹿児島では「爆発」と表現します)で吹き飛ばされてしまうこともありました。

「空振」という、火口での急激な気圧変化により生じる衝撃波を、セール(帆)で受けてしまい飛ばされるのです。

 

 学業にバイト、そしてウインドサーフィンと忙しい生活でしたが、定期的に最福寺にも通っていました。幼児の頃から暗唱していた般若心経について詳しく学び始めたのもこの頃です。

 

そうして真言密教を学ぶうちに、私にある変化が起こりました。

霊が怖くなったのです。

 

高校時代までは夜中に墓参りに行っても平気でしたが、大学時代には完全に霊を恐れるようになりました。はっきりとその存在を感じるようになり、しかも、人への影響がわかるようになりました。

 

サークルの夏合宿中、深夜、霊がでるというトンネルにみんなで行ったことがあります。

嫌がるのに無理やり車に乗せられた私は気を失いそうでした。いまだにサークルの後輩女性に「怖がる先輩が一番怖かった」と笑われています。

 

 あの頃は、「真言密教を知ってしまった私は、将来、医療の現場で悪霊と闘うことになる」と真剣に考えていました。

 

(つづく)

 

 

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