ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-13:マナー、ルール、モラルと理想的な生き方の関係は?

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

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 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

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 S-02-00(目次):

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わたしが戦争に反対するのは、直観的な感情による。

わたしは人間を殺すことがたまらなくいやなのだ。

わたしのそうした姿勢は論理的なものではなく、

あらゆる残虐行為と憎悪に対する直観的な反発によるものだ。

 

アルバート・アインシュタイン                

 

 

アインシュタインのこの言葉には、「人類全体が論理のさらに先(抽象度でいえばさらに上)にまで到達できる進化をとげてほしい」という強い願いが込められています。

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前頭前野内側部を活性化させながら抽象度をさらに上げていき、「社会的情動(感性)」の次元で生きる(生きようとする)

 

それがアインシュタインが願った21世紀の人類にふさわしい生き方です。

 

 

今回のテーマでいうと、「マナー」とは大脳辺縁系のコントロールであり、それは「情動(感情)」の次元にあります。「ルール」は前頭前野背外側部のコントロールで、それは「論理」の次元にあります。

 

では、前頭前野内側部のコントロールであり、「社会的情動(感性)」の次元を表わす言葉とは何でしょうか?

 

 

私はその言葉、すなわち“超論理空間”にアクセスした状態を表現する言葉が「モラル」だと考えています。

 

「モラル」とは倫理観や良識のことです。それは状況により変化する「マナー」や「ルール」よりも不変的な価値観を含んでいます。抽象度が高い概念だからです。

 

 

「モラル」は、「道徳・道義的な」「教訓」などを意味する言葉が語源です。現実社会や実生活に対する態度や気持ちのありようをいい、法的根拠による強制力はもちません。

 

それは、人間相互の関係性において、「よりよい世界を実現するために共有するべき智慧」を表わしています。

 

不完全性定理をもちろん理解した上でも、「モラル」とは絶対的に守るべき(守られるべき)ものといえます。そのうえで「マナー」や「ルール」をダイナミックに運用する社会が理想的なのではないでしょうか。

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社会が「モラル」(のみ)をそのエネルギーの源にできるようなシステムを構築している

 

それが苫米地式認定コーチとしての私のゴールのひとつです。そのような社会構造上のシステム構築は、一人ひとりのマインドでの情報処理システムのアップデートからはじまります。

 

では、最後に問題です。

 

「モラル」はみんなで遵守するという前提で、理想的な生き方は次のうちどれでしょうか?

 

A:マナー違反もルール違反もしない

B:マナー違反はすることがあるが、ルール違反はしない

C:マナー違反はしないが、ルール違反はすることがある

D:マナー違反もルール違反もすることがある

 

 

いかがでしょうか?

おそらく多くの方が「A」と回答したはずです。

 

結果的に「A」となるのがbetterだと、もちろん、私も思います。

 

しかし、意識状態(あるいは人生に臨む態度)としての理想的な生き方は「D」です。

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次回以降、その理由についてまとめます。

 

 (S-02-14につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

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シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html