ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-10:「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わった一例 -後編-

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

 前編はこちら

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18684416.html

 

 じつはこの事例も、S-02-06と同じクライアントの実体験をもとにしています(プライバシー保護のため変更を加えてあります)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18339924.html

 

専門職Bが退職した関連会社は、かなりの期間、その穴埋めができなかったそうです。その間は本社の4名の常勤専門職が日替わりで業務を代行したとのこと。

 

本社が困った時、専門職Bは「契約にない」ことを盾にサポートを断りました。その数カ月後、「契約にない」はずの自己都合退職をした専門職Bの穴埋めを、病み上がりの者を含む本社の4人が行いました。「契約にない」のに。

そして、専門職Bの一方的な退職は、会社の判断により、「ルール違反」から「ルール違反ではない」に変わりました。

 

私はこの話を伺ったとき、多忙にもかかわらず専門職Bの穴埋めを懸命に行っている本社社員を想像し、やりきれない思いに包まれました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

何かがおかしい

何かが足りない

 

「なぜおかしいのか?」「何が足りないのか?」それを考えていく過程で「マナー」や「ルール」のさらに上(先)にあるものが見えてきました。

それは「川崎国」や少年法に関する報道を見聞きするたびに感じたものでもあります。

 

次回、その“上(先)”に迫ります。

 

最後にアルバート・アインシュタインの言葉を紹介します。アインシュタインも同じようなものを感じていたのかもしれません。

 

 

わたしが戦争に反対するのは、直観的な感情による。

わたしは人間を殺すことがたまらなくいやなのだ。

わたしのそうした姿勢は論理的なものではなく、

あらゆる残虐行為と憎悪に対する直観的な反発によるものだ。

 

アルバート・アインシュタイン                

 

 

 (S-02-11につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html