ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-08:少年法が問いかけるもの

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

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私たちはルールの本来の目的を忘れることがあってはなりません。

「ルールの本来の目的を忘れること」の一例として、「ルールを守りさえすればいい」という考え方があげられます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18455955.html

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

 

 

ここである事件について考えてみましょう。2015220日に川崎市の河川敷で中学1年生が殺害された事件です。

逮捕された少年たちは、テロ組織「IS(イスラム国)」になぞらえ、自らのチームを「川崎国」と名乗っていたそうです。地元で中高生を見つけるとこのように凄んでいたといいます。「俺らは法律関係ない。自分達のルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きたまま首を切るよ」

 

この少年たちは「ルール」を勘違いしていました。

 

社会の中で生きる以上、つまり他人との関係の中に存在している以上、私たちは何らかの「マナー」や「ルール」を守らなければなりません。社会に迷惑をかけながら「自分達のルールで動く」ことは許されません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

現に、この少年たちは、「自分達のルール」で人を殺したことにより逮捕されました。

 

未成年者の犯罪については少年法が適用されます。

「少年法では未成年者には成人同様の刑事処分を下すのではなく、原則として家庭裁判所により保護更生のための処置を下すことを規定する」とされており、家庭裁判所の判断により検察に逆送し刑事裁判に付さしめることもできますが、その場合においても不定期刑や量刑の緩和など様々な配慮が規定されています。

 

未成年者の犯罪に対してこのような配慮がなされるのは、「未成年者の人格の可塑性に着目しているため」とされています。可塑性(かそせい)とは、「固体に外力を加えて変形させ、力を取り去ってももとに戻らない性質」のことですが(デジタル大辞泉)、この場合は「脳の神経回路網はその活動に応じて構造と機能を変化させる性質をもつ」という「脳可塑性(brain plasticity)」のことです(最新 心理学事典)。

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つまり、13才の少年の命を奪った少年たちは、「少年法」というルールにより逮捕・拘束されると同時に、未来の可能性を根拠に「少年法」によって守られていたのです。

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他者を気遣う気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」

言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた“規制”が「ルール」

「マナー」も「ルール」もシステム(社会)を成り立たせるために存在している

「ルール」は煩悩をコントロールして自分中心を克服するきっかけとなりえる

 

 

再度、考えてみましょう。

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

そして、人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 (S-02-09につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

川崎市中1男子生徒殺害事件をきっかけに少年法改正議論が盛り上がりました。例えば、その頃可決された18才以上に選挙権を与える法案と絡めて、「選挙権をもてばもう大人であり、少年法で保護すべき対象ではない」という主張(クレーム)が強まりました。

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 皆さんはどのように考えますか?

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html