ブログ・シリーズ編
S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~
S-02-05:マナーとルールの定義
「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。
ただし、その3つには明確な違いがありそうです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html
このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。
告知(I-030):
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html
S-02-00(目次):
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html
前回まで身近な話題で「マナー」と「ルール」について考察しました。
01:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17707498.html
02:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17857553.html
03:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17976928.html
04:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18095809.html
…その中で見えてきたポイントは、
〇 「マナー」も「ルール」も絶対的なものではなく、状況で解釈が変わりうる
〇 「マナー違反」は直接的には罰せられないが、「ルール違反」は罰せられることがある
〇 他人が嫌がれば「マナー違反」になる可能性がある
〇 「ルール」は言語により規定されている。それが法律の場合、その判断は裁判所で行われる
〇 「ルール」は“現実”に沿ってつくられている(変更されうる)
…などでした。
では、改めて「マナー」と「ルール」について、その概念を確認してみましょう。
Wikipediaには、「マナーとは、行儀・作法のことを指す」とあり、その概要には「マナーの様式は多くの場合、堅苦しく感じられるが、その形は社会の中で人間が気持ちよく生活していくための知恵である。マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって形式が異なる。また、個人間でも価値観や捉え方による差異がある。…『他者を気遣う』という気持ちを所作として形式化し、わかりやすくしたものが形式としてのマナーである」と記載されています。
つまり、マナーとは「他者を気遣う」気持ちの表れであり、各個人が自身の価値観により判断し、行動する“自主規制”のことのようです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html
次は「ルール」ですが、Wikiで「ルール」を調べると「規則」に飛びます。
「規則」は「人の従うべき準則であり、主に文章によって規定されたものをいう。なお、規則に定められたものを原則(げんそく)、または本則(ほんそく)とも呼ばれ、規則に規定されていない事項については例外と称される。個別の名称にはさまざまなものがあり、規則のほかに規程、規定、規約、基準などがある。また、ある物事と別の物事の間に一定の関係が見られるとき、その関係を規則あるいは法則と言う」とあります。
マナーに対してルールの方は、視点が「自分」から「他者との関係性」や「社会」といったものにまで広がっています。よって、ルールとは釈迦哲学でいえば縁起の視点で作られるものであり、より高い抽象度での(社会的)判断を求めるものといえそうです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html
シンプルにまとめると、
「他者を気遣う」気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」
言語により具体化し、かつ、“自主”を取り除いた社会全体で共有する“規制”が「ルール」
…という感じでしょうか。
「ルール」の場合、違反に対して他者(あるいは社会)による罰が生じえます。
(S-02-06につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-関連記事-
シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html
コメント