F-090:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.2
2019年6月1日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。
「バラ色ダンディ」(東京MX、同6月3日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。
博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。
Vol.1:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722318.html
…前回(F-089)は無人運転と自動運転の違いについてまとめました。
その中で「今までトラブルが起こらなかったのは、『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転だから」と書きました。
そして、「無人運転に対しての自動運転とは、『複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する』という自律的なもの」であると。
それらを人のマインドでの情報処理に置き換えると、AI(Artificial Intelligence)時代にふさわしい生き方が浮かびあがります。
…「『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転」をコーチの視点で言い換えると、「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分で考えることなしに)生きる単調な人生」という感じになります。
シンプルに表現すれば「奴隷の人生」
厳しくいえば、ほとんどすべての人が奴隷として生きています。「自分」は他人(特に親や教師)に強く影響を受けた過去の記憶で構築されているからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html
(発達心理学の研究により、親の影響が圧倒的に大きいことが明らかになっています。以下、「最も強く影響を与えた他人」の意味で「親」を用います。皆さんは「親」を自身に一番強い影響を与えた人に置き換えてお読みください)
親など身近な他人の影響下で「自分」の重要度が決まり、その重要度がフィルターとして働くことで目の前の世界が決まります(認識する世界が限定される)。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html
つまり、親が好んだものを好み、親が嫌うものを嫌い、親と同じように生きるということ。
例えば、親がジャイアンツファンだったら、子もジャイアンツファンになるようなもの。
「いや、親はジャイアンツだが、私はホークスだ」という人も「野球好き」というブリーフは受け継いでいます。
「親は野球だが、私はサッカーです」という人も同様です。スポーツの重要度が高いことそのものが親の影響です。野球とサッカーの違いは、一つ下の抽象度での小さな相違にすぎません。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html
「蛙の子は蛙」「瓜の蔓に茄子はならぬ」「この親にしてこの子あり」などのことわざが示すとおり、親のブリーフシステムを受け継ぐというのは昔から知られていた人の特性です。
英語圏でも「Like hen, like chicken(ひよこは親鶏に似る)」「Nits will be lice(シラミの卵はシラミになる)」といった表現があるようです。
きっと皆さんのまわりにも二世弁護士や代々医者の家系といった人たちがいることでしょう。親の職業を引き継ぐケースは決して珍しいことではありません。
ちなみに日本の国会議員は世襲が多く、米国(連邦議会)の5%程に対して自民党は40%超。安倍政権では60%を超えています(自民党出身閣僚)。
もちろん、「親の影響を受けたらいけない」「親の職業を継ぐのはよくない」と言いたいのではありません。そうではなく、「モチベーションがhave toのままであれば、潜在能力を十分には発揮できない」ことを危惧しているのです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html
モチベーションがhave toなのは「他人に与えられた過去の延長線上にある目標」に向かって生きている(生かされている)から。つまり、本物のゴールを“自分”で設定していないからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
無人運転の「シーサイドライン」が1989年の運行開始以来ずっと大きな事故を起こさなかったように、「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分で考えることなしに)生きる単調な人生」をうまく全うできれば、大きな問題(苦痛)は生じないのかもしれません。
しかしながら、それは難しいでしょう。人にはマインド(脳と心)があるのだから。
「自分」に疑問を持ってしまった瞬間にスコトーマが外れ明らかになる痛みのことを「スピリチュアルペイン」と呼びます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html
…次回は自動運転について考察します。
(F-091につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
麻生太郎副総理兼金融担当相の言動が再び注目を集めました。
金融庁 金融審議会の市場ワーキンググループ報告書内の「30年間で約2000万円が必要」という主張(クレーム)は、厚生労働省が繰り返し示した事実(データ)をもとに専門家によって審議されできあがったものです(根拠、ワラント)。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html
それは「政府の政策スタンス」の論拠(バッキング)となるもの。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12504855.html
なのに「政府の政策スタンスと異なっている」から「受け取らない」としたことは、祖父 吉田茂元総理大臣から受け継いだブリーフシステムなのでしょうか?
(あるいは「ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた手口」に学んだのかもしれません)
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html
横浜(金沢)シーサイドライン
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