PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題
PMⅠ-06-18:仮説13-1)宗教の限界 -前編-
この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。
告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html
“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html
仮説13-1)宗教の限界 -前編-
強く反対されることを想定し、PX2導入のための準備はかなり入念に行いました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html
理事長や各施設の責任者が集まる会議の場でPX2についての説明(ケース&プランの提示)をしているとき、ちょっとおもしろいことがありました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html
ひととおり説明を終えて意見を求めると、理事長が真っ先に口を開き、「それは宗教じゃないのか? 宗教はちょっと嫌だな~」と発言されました。最初は、禅宗以外の宗教は認めないという趣旨だと思いましたが、どうも宗教自体を否定しているようでした。
「禅道場を建て、毎朝禅を組む当人が宗教を否定するってどういうこと?」と心の中で軽くツッコミながら(笑)、PX2は宗教ではなく認知科学の結晶であることを説明しなおしました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11386276.html
最後には賛同していただき、理事長の決済で正式に法人へのPX2導入が決まりました。
会議終了後も「僕は宗教は嫌でね~」と語る理事長と談笑しながら、私はこの章の冒頭で紹介したアインシュタイン博士の言葉について考えていました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13398543.html
宗教なき科学は不具合であり、科学なき宗教は盲目である
Science without religion is lame、religion without science is blind.
以前の私は「禅道場を持つことが21世紀の医療の象徴になる」と信じていました。医療を科学的な側面と宗教的な側面の両方から探求し続け、いつか統合してみたいと思っていました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html
私が医師を志すきっかけとなった「加持でがんが消せる理由」を明らかにするためにも。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7031387.html
認知科学者 苫米地英人博士に学ぶことでそれまでの宇宙に抽象度という軸が加わった現在の私は、医療の本質は「内部表現の書き換え」であることを確信しています。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html
すべての階層にまたがって同時に存在している生命(現象)とは情報(処理)であり、その情報(内部表現)を書き換えることにより心身の変化を引き起こせるからです。そして、それは、宗教の本質も「内部表現の書き換え」であることを示唆しています。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html
つまり、医療と宗教のLUBとして、ひとつ上の抽象度に「内部表現の書き換え」があるということ。LUB(Least Upper Bound)は最小上界と訳される概念で、最小公倍数のようなものです。
その「内部表現の書き換え」のことを、状況によりコーチングといったり、ヒーリングと呼んだりします。気功や加持など宗教をベースとする技法も全部「内部表現の書き換え」です。
そのように考えると、アインシュタイン博士の言葉には間違いがあることがわかります。21世紀に生きる私たちは、まず宗教というゲシュタルトを越えなければならないのです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
「内部表現の書き換え」のことを認知科学者 苫米地英人博士は「場の移動」とも表現されます。それを理論化したものが超情報場仮説です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html
もちろんそれは宗教とは全く異なるものです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html
-関連記事:Q-064~認知的不協和と頭痛(ヒーリングとコーチングの関係)-
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292583.html
アルベルト・アインシュタイン博士
コメント