PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題
PMⅠ-06-13:仮説08)はびこる差別意識
この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。
告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html
“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html
仮説08)はびこる差別意識
私たち人間の情報処理は、基本的には現状維持を是としています。
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情報空間にも働くホメオスタシス(恒常性維持機能)が、過去の記憶でできあがった“自分”というイメージを強力に維持しようとします。
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“自分”というイメージは、過去の記憶によりつくられたブリーフシステムであり、「関係によって浮かびあがってくるネットワーク(=自我)」ともいえます。
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いずれにせよ、“自分”は無意識下で現状維持を強く求めています。その現状維持という欲求は思考停止につながります。思考が停止してしまうと、ますます現状が強力に維持されます。その先に破滅が待っているのは明らかです。
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…病院の未来に強い危機感を感じていたのは私だけではありませんでした。法人内で唯一の機能・役割を担っていたベテラン職員は、ちょっとしたいざこざがきっかけで職場を追い出されることになりました。
地域医療や業界に大きな禍根を残すことになる突然の情動的排除を目の当たりにし、私は重たい眩暈を感じました。それでもなんとかケースやプランを考察していると、経営陣の思考の根底にあるものに触れた気がしました。差別意識です。
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…各施設の代表者を前にかつて理事長が語った言葉に、私は危うさを感じたことがあります。「職員は全員家族である」というものです。
「職員は全員家族である」と聞くと、ポジティブに感じる方が多いのではないかと思います。しかし、受け取り方によっては、それは危険な思想となります。
受け取る側が釈迦哲学で理解すれば大丈夫です。
しかし、儒教的に誤って解釈してしまうと問題が生じます。その誤った解釈により、儒教的な「アプリオリ、かつ、絶対的な違い」、すなわち「差別」が強化されてしまうことになるからです。
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法人の職員が取り組んでいた禅は中国から伝わり、鎌倉時代に日本国内に広がりました。そのオリジンはインドの釈迦を祖とする哲学ですが、中国で儒教・道教と強く結びついた後に日本に伝わりました。よって、釈迦オリジナルの哲学は“中国化”されています。
「この世に絶対(アプリオリなもの)はない」や「この世は心が作っている」という釈迦哲学のプリンシプルに対して、儒教のプリンシプルは「仁義の道を実践し、上下秩序を弁別する」です。「この世には初めから違い(=差別)がある」「その違い(差別)に従え」というのが儒教システムの根幹であり、その正体は「無分別」を是とする仏説(釈迦哲学)とは決して相いれない差別思想です。
支配者や既得権益は、この論理(差別思想)を使ってシステムを強化してきました。
人類の進化途上において、かつての社会は「権力を持つ者」がそれ以外の「下々の人々」を支配し搾取するという構造でした。
「下々の人々にはそもそも権利はなく、それは支配者から一方的に与えられている」という理不尽なその構造は、“社会的洗脳”により民衆の潜在意識に植えつけられました。儒教的な「御恩と奉公」という言葉がそのいい例です。
長い闘争の歴史を経て、人類はより進化した構造を手に入れました。
そこでは権利は「アプリオリ(先験的)に、等しく、生じているもの」。「生来の違いなどなく、すべては(本質は)同じである」という思想は、2600年前に釈迦の縁起が示唆していたものでもあり、仏語でいう「無分別」です。
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「あるものと別のものを分け隔てない」というその考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」。「犬」と「猫」を同じ「動物」とみる視点であり、「動物」と「植物」を同じ「生物」と理解できる力です。
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「アプリオリ(先験的)に等しく生じているお互いの権利」を活用するために(そして、守りぬくために)、契約の概念とともに様々なルールが情報空間に生まれました。
例えば、簡単には解雇できないこともその一例で、それが現代の(本来あるべき)社会の姿です。「だまし討ち」など論外で、労働基準法はもちろん、憲法で保障された国民の権利そのものを侵害しています(日本国憲法第3章第27条)。
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しかしながら、釈迦やイエスといった人類を代表する天才たちは、はるか昔から、その契約やルールであらわされる論理空間さえも超越していました。それが、釈迦のいう「縁起(大乗でいう空観)」であり、イエスのいう「神の無償の愛」です。
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いつか人類は、抽象度を上げた結果として、オリジナルの釈迦やイエスが体感した世界に到達するはずです。ところが、地球規模でも、日本国内でも、そして身近なコミュニティにおいても、抽象度を上げるヒルクライミングとは真逆の方向の退化(劣化)が、すさまじい勢いで進んでいます。
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例えば、「アメリカファースト」や「都民ファースト」というのは、「アメリカとそれ以外」「都民とそれ以外」とに分別し、利害関係の中で対立を生みだす考え方です。それは「無分別」とは正反対で、抽象度が下がっています。日本国民を「私たち」と「こんな人たち」に分けて、「私たちは、こんな人たちに負けるわけにいかない」と発言するのも同じです。
いずれも空観がしっかりと維持されていれば問題はないはずですが、空(くう)が抜けていれば(つまり、儒教などアプリオリを前提とする思想であれば)とても危険です。
その対立を生む(空を欠いた)思考の根底には、分別を是とする差別思想がはびこっています。
繰り返しますが、分別が許されるのは「空観」がしっかりと維持されている場合だけです。「空」であることを十分に分かった上で、機能・役割により仮としての違いを見出すことは「区別」です。それは「差別」とは本質的に異なります。
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リーダーはその違いをしっかりと理解した上で必要に応じて区別を行いますが、差別は絶対に行いません。リーダーのマインドは常に無分別です。
<仮説08:人類の進化とは真逆の抽象度を下げる思想が跋扈し、対立を生みだしている。それは身近なコミュニティでも、国家単位でもおこっている>
<トゥイーキング08:空仮中に立ちかえり差別と区別の違いを理解する。その上で無分別を実践する>
□ 「あるものと別のものを分け隔てない」という考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」
□ しかし、現代社会はそれとは真逆の方向に動いている。対立を生む社会の根底にあるものは差別意識。私たちはその事実に気づき、無分別に取り組まなければならない
□ そのために縁起の理解や、空観・仮観・中観の実践が重要
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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