Q-066:認知的不協和の状態にあり頭痛が続いています。適切なアファメーション、ビジュアライゼーションはどうすればよいでしょうか? Vol.3;宇宙の構造と生命(現象)の関係
認知科学者 苫米地英人博士の読者の方から御質問をいただきました。セルフヒーリング&セルフコーチングのコツをイメージしながら、しっかりとまとめてみました。
シリーズ(計八本)でお届けします。
Vol.1 はじめに(目次):
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Vol.3;宇宙の構造と生命(現象)の関係
前回(Q-065)、「『すべては決定的ではない』という事実は、西洋哲学(医学)から東洋哲学(医学)へのパラダイムの転換を求めている」と書きました。そして、「そのパラダイムシフトの鍵となるものは医療現場にすでに広がりつつあり、『超高齢化社会』における医療の重要なポイントである」とも。
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…その“鍵”とは「抽象度」です。
抽象度とは、情報空間における視点の高さを表すもので、分析哲学の中の存在論における「Levels of Abstraction」という概念の日本語訳です(日本語訳の際に「抽象度」と造語されたのは苫米地博士)。
「抽象度が上がる」ほど具体的な情報は減り、より抽象的になっていきます(ただし、上位に上るほど潜在的な情報量は多くなる)。反対に「抽象度が下がる」ほど情報量が増え、より具体的となっていきます。
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情報空間とは、「人が認識する世界のすべて」です。
私たちは五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)および言語という六つの情報入力経路(=モーダルチャンネル …これも苫米地博士の造語)により得られた情報を処理して、「世界」を認識しています。
私たちにとって目の前の世界とは、どこまでいっても情報だけで構築されている「情報空間」です。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html
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その「情報空間」のうち、五感ではっきりと感じられる世界のことを特別に「物理空間」と呼びます。物理空間には物理法則という共通のルールが存在します。それは「制約」や「秩序」と言い表すこともできます。さらには「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」と考えることもできます。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html
つまり、「物理空間(という情報空間の一部)を底面として、抽象度という軸上に階層性をもって広がっている情報空間」が宇宙の構造なのです。抽象度が上がるほど情報量が減っていくのですから、宇宙は四角錐のような構造とイメージできます。
(物理空間が四角の平面であるという意味ではありません)
生命(現象)は、情報空間と(情報空間の底面である)物理空間に、同時かつ連続的に存在しているものです。情報が物理空間に写像としてあらわれた瞬間が「生」であり、物理空間に存在し得なくなった瞬間が「死」といえます。
しっかりイメージしていただくために、PMⅠ-01-16(超情報場仮説-6)でも御紹介した認知科学者 苫米地博士の著書(「人間は『心が折れる』からこそ価値がある」PHP)から再度引用いたします。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html
引用開始
…言葉で表現しようとすると、「何となく、レストランとわかる」としかいえませんが、「超情報場」でレストランを認識しているからこそ、物理空間における「レストラン」の存在を認識できるのではないかと考えたのです。
抽象度の次元を上げていけばいくほど、圧倒的に情報処理が効率化されます。抽象度の高い次元から抽象度の低い次元を見れば、多くの一見ランダムに見える情報を整合的に判断できます。
たとえば、私たちは平面に描かれたイラストを見ただけでも、それが何かを判断できます。三次元の世界を知っていて圧倒的に多くの情報量を持っているので、二次元のイラストを見ても何であるか想像がつきます。
我々は三次元の「ボール」を知っていますから、平面の丸い形を見ても、「ボールではないか」と立体物をイメージできます。しかし、もし二次元しか知らない人がいたとしたら、平面の丸い形から、とてもではありませんが立体のボールは想像できないのではないでしょうか。
同じように、次元の高い「超情報場」で「レストラン」という認識ができあがっている人間だからこそ、物理空間の多種多様なレストランを見て、「ああ、これはレストランだ」と認識できるのではないかと理論化されるのです
引用終わり
この引用文中の例えを利用すると、生命(現象)という「三次元のボール」が、イメージ上二次元の平面で表される「物理空間(という情報空間の底面)」を通過することが、「生老病死(人生)」であるといえます
平面上をボールが上から下に向かって通過する(横切る)様子をイメージしてください。
平面に「三次元のボール」の下端が触れた瞬間が「生命の誕生」
↓
通過するたびにだんだん大きくなることが「成長」
↓
半分を過ぎだんだんと小さくなることが「老化(老衰)」
(その過程であらわれる変化が病)
↓
「三次元のボール」の上端が平面から離れた瞬間が「死」
…です。
引用文のレストランの例と同じように、「次元の高い『超情報場』で『生老病死(人生)』という認識ができあがっている人間だからこそ、物理空間の多種多様な生き様や死に様を見て、『ああ、これは人生だ』と認識できるのではないかと理論化できる」ことになります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html
(Q-067につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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