PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-10:仮説05)権利と義務の関係の理解不足

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説05)権利と義務の関係の理解不足

 

 前回仮説として取り上げた「自由に伴う責任の認識不足」は、権利と義務の本当の関係についての認識不足とも関係しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958864.html 

 多くの人は、権利と義務の関係を、「権利があるから義務がある、義務があるから権利がある」という補完の関係と誤って認識しています。しかしながら、正確には「権利があって初めて義務が発生する」という権利が主、義務が従の関係です。

 

 私の例でいうと、経営は院長の権利であり、義務ではありません。どんな権力(既得権益)であったとしても、ディベートによる論理的な検証を経ずに、一方的にその権利を奪うことは許されません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

私が「人間形成」「人材育成」という経営を断念したことは「権利の放棄」です。経営陣の判断云々の前に、私自身の意志による権利の放棄が先にあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

だから私は、経営の権利を引き継いだ経営陣が人材育成のために何を行おうと、スコトーマを外すために助言することはあっても、非難や妨害をするつもりはありませんでした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 

 「権利が主、義務は従」という正しい関係性の理解は、コーチングにおいてもとても重要なポイントになります。

 

 社会や身近なコミュニティ内に存在するあらゆるマナーやルールに紐づくものは、義務ではなく権利です。それらが権利だとわかれば積極的に守ろうとし、運用しづらければすぐに改めようとするはずです。

一方で、マナーやルールが義務だと思うと何とか抜け道を探そうとするのが、「プッシュ・プッシュバック」や「創造的回避」と表現されるひとの性です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

権利だとしっかり自覚することで、その行動は「want to」になります。権利を行使するにしても放棄するにしても、そこにあるのはゴールに向かうベストな判断です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

反対に、義務だと感じた途端に「have to」になります。その状態では豊かな才能を発揮することはできません。行き過ぎた義務感は、不安・恐怖や罪悪感とともに人を霧の中に閉じ込めてしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

 

 余談ですが、義務教育という言葉も、権利と義務がひっくり返っています。

本来、教育は国民の権利であって、義務ではありません。教育を受ける権利が先にあり、それを満たすために子どもに教育を受けさせる義務が親に生じています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124525.html

 

 「子供たちの豊かな才能を引きだすために、義務教育という言葉は権利教育と言い換えるべきだ」という認知科学者 苫米地博士の主張(クレーム)に、もちろん私も賛成です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

 

<仮説05:権利と義務の関係の理解不足が「have to」を生みだし、エネルギーや創造性を封じ込めてしまう>

 

<トゥイーキング05:「権利が主、義務は従」という関係をしっかり理解し、チームで共有しているゴールに向かって日々をフルに生きる。もちろん100% want toで>

 

    権利があって初めて義務が発生する

    権利だとしっかり自覚することで、その行動は「want to」になる

    権利を行使するにしても放棄するにしても、そこにあるのはゴールに向かうベストな判断

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 もう一つ余談を。医療や福祉においても、権利と義務がひっくり返っています。

例えば、健康は国民の権利であって、義務ではありません。それをひっくり返すような思考は憲法違反といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html