PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-04:訴え続けたことは「抽象度を上げること」

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

訴え続けたことは「抽象度を上げること」

 

 偉そうに聞こえるかもしれませんが、2007年夏に院長就任を打診されたとき、二つだけ私からも条件をだしました。「お金の話はしない」と「辞職時期は自ら決める」です。

病院管理者が自院の経営状況を知らないなんてありえないと思われるかもしれませんが、この願いは聞き入れられ、事実、私は病院の経済的状況をほとんど知らずにやってきました。

 

 ただし、経営のもう一つの側面については、責任をもって全力を尽くすことをお約束しました。

 

 

 紫式部の書いた「源氏物語」の中に、光源氏と葵の上(あおいのうえ)の間に生まれた子の夕霧(ゆうぎり)を、立派な人に成長するように願った両親が他人に預ける場面があります。

その時の言葉が、「この夕霧をお預け申し上げます。御自分の子と思し召して、夕霧の経営をあげて御一任申し上げます」です。

 

当時から「経営」という言葉には、お金の話とは別に、人間形成という意味があったようです。

その視点で、戦後の日本復興に大きな役割を果たした松下幸之助さんなど名経営者の言動に学ぶと、「経営の本質とは、人間形成(人材育成)である」ということがよく理解できます。

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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

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 「職員の経営をうまくやりたい」「その前に自分自身の経営をしっかりやろう」そんな思いで大量の書籍を読み漁るうちに、ついに認知科学者 苫米地英人博士にたどり着きました。ゴールによりスコトーマが外れ、縁がつながったのです。

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 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

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夢中になって学ぶうちに、人には心(マインド)があるという当たり前の事実を再発見しました。そして、その心(マインド)について学ぶことで、自分自身を経営できるようになり、職員の経営ができるようになると確信するようになりました。

(正確には、職員が自身の心をコントロールした結果として組織がうまく経営できるようになるという意味です。職員を支配、制御するという意味ではありません)

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 私は、師に学ぶ知識やスキルを、守秘義務ギリギリのところで職員に開示し続けました。計300回の勉強会を開催し、210本のマネジメントレターを書きました。年に2回は職員アンケートを実施して、その結果を踏まえたスタッフミーティングを開催しました。ミーティング後はすべての質問に書面で回答。その過程でお互いに論理的思考ができていないことに気づき、ディベートについても学びはじめました。

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さらに抽象度の高い思考に導くため、毎週の朝礼では話題となっているニュースの裏を論理的に考察する取り組みを行い、お互いのスコトーマを外しあう仕組みもつくりました。

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各部門のリーダーに向けては、毎月開催される運営会議後に~45分ほどのレクチャーを行い(計60回)、さらに責任者クラスの20名ほどに関してはパーソナルコーチングセッション(13060分)を実施しました。

 

コミュニケーション不足を痛感していた私は、病院の実質のオーナー(“経営陣”)にお願いし、打ち合わせを毎週行うことにしていただきました。さらに、法人全体のオーナーである理事長にもお願いし、各施設の責任者が参加する会議を毎月開催していただきました。

「この会議は必要なのか?」と何度も苦言をいただきましたが、「ゴールの共有が最重要」という信念の下、開催をお願いし続けました。

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霧島市(鹿児島県)で行っていただいた苫米地博士の御講演や青山龍苫米地式マスターコーチにファシリテーターを務めていただいたPX2には、このような“経営”の集大成としての思いを込めていました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702480.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702640.html

 

 私がずっと訴え続けたのは、「抽象度を上げること」でした。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

第一章の終わり(“無敵”の意味)に書きましたが、抽象度が低いと対立が生じます。争いが起こります。いざこざが続きます。

 

 同じ部門内で対立が生じるのは、抽象度が低く個人の視点のままだからです。

お互いに「○○部門の一人」とみて、その機能・役割に注目すれば、いがみ合うのではなく協力し合うべき存在であることに気づくはずです。

 

 病院内で部門間の争いが起こるのは、部門という抽象度で思考しているからです。

「いろいろな部門が集まった○○病院」という視点でみることができれば、その争いは共通の課題を解決するためのきっかけになります。

 

 法人内でいざこざが続くのは、各組織が利害を中心に考えているからです。

「同じゴールを目指し、それぞれの役割を果たすかけがえのないパートナー」とみることができれば、「どちらが上か下か」というような権力争いは生まれようがありません。

 

 繰り返しますが、私の願いは、みんなで「抽象度を上げること」でした。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-
 「抽象度を上げる」ことについて、苫米地博士はこのように書かれています。「Dr.苫米地の『脳力』の使い方」(徳間書店)より引用します。

 抽象度が上がるということは、自分の行為が何なのかということ以上の抽象的な思考を持つということであって、それを自我というのです。自分の行為の内省的な認識に意味を持たせるためには、このように、1つ上の認識が生まれなければならないのです。


-関連記事(“無敵”の意味)-

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