PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題
PMⅠ-06-03:抗不安薬を常用する医師の叫びで気づいた「FOG」
この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。
告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html
“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html
抗不安薬を常用する医師の叫びで気づいた「FOG」
日本の南の一地方都市のさらに過疎地に立つ病院です。
看護師や介護士といった職員を集めるのは大変で、もちろん医師についても思いどおりにはいきませんでした。院長の逝去後早急に求人を行いましたが、集まったのはユニークな医師ばかりでした。
(「あなたが一番ユニークだ」とよく言われました w)
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例えば、一年中薄い術衣で過ごす内科医師は、医局の空調を夏は最低、冬は最高温度に設定する人でした。時間にルーズで、書類は書かずにため込んでしまいます。
すぐに怒るうえに人のせいにするので、スタッフとの間によく摩擦が生じていました。
鹿児島では珍しい大雪が降った日、その医師は無断欠勤をしました。
翌日、その医師に「なぜ連絡をせずに休んだのですか?」と質問すると、「ちゃんと病院に行こうとした。ところが道路が渋滞していて40分で10mしか進まなかった。先で何が起きているか僕にはわからない。だから家に帰ったんだ」という答えが返ってきました。
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予想もしない答えにあっけにとられていると、さらにたたみかけるようにまくしたて、「僕は霧の中でもがいているようで苦しいんだ。苦しくてたまらないんだ。僕がこんなに苦しいのはおまえのせいだ!」と罵倒されました。
確かにその医師は辛そうな表情を見せることがあり、抗不安薬を常用していました。
…当時は私も苦しんでいました。
院長就任後モチベーション云々は考えなくなりましたが、黒く重たい霧の中でもがいているようで、光が見えず、生きている確かな手ごたえは感じていませんでした。
「自分を包むこの霧は、一体どこから生じているのだろうか?」 …そんな思いを抱きながら黙々と働いていました。
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マインドについて学ぶようになったある日、“私”という存在が「恐怖(Fear)」「義務感(Obligation)」「罪悪感(Guilty)」によってがんじがらめに束縛され、目の前のすべてが「have to」になっていることに気がつきました。
その三つが私の「want to」を「have to」に変え、霧(FOG)を生みだしていたのです(ダジャレのようですけど)。
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そして、そのすべてが心の中の情報(処理)にすぎないことを理解したときに、幼少の頃から親しんでいたはずなのにすっかり忘れていた概念 -すべては空(くう)である- を体感しました。
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その瞬間、まわりの黒い霧は晴れ、クリアな光に包まれた気がしました。
前回御紹介した森林療法など、何事もやり始めは「want to」ですが、いつの間にかルーティン化し、当初の目的(ゴール)を見失い、だんだんと「have to」化していきます。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html
「~だと怒られる」や「逆らうと解雇される」という不安・恐怖、「~しなければならない」という義務感、「~すると(しなければ)迷惑をかけてしまう」という罪悪感が、さらにその「have to」化を加速し、人を霧の中に閉じ込めていきます。
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それは「ファイト・オア・フライト」の発動であり、ダークサイドへの転落のはじまりです。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html
当時の私は、そのループにはまっていました。
後に認知科学者 苫米地博士と出会い、コーチングを学びながらゴールを再設定し、それを達成した未来をはっきりと感じ確信するようになったことで、ようやくこのループを抜けだすことができました。
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そして、「すべては空であり、自らの心(マインド)がつくりだしたものである」と納得することができました。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html
残念ながら冒頭の医師が退職した後のことでしたので、その医師に直接伝えることはできませんでした。そのかわりに「ともに働く仲間に伝えたい」という思いが芽生え、いつしか希望へと変わっていきました。
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そしてその希望は、ゴールとして結実し、私の生きる力へと変わっていきました。
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(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
認知科学者 苫米地英人博士の著書「『感情』の解剖図鑑 仕事もプライベートも充実させる、心の操り方」(誠文堂新光社)より引用します。
【罪悪感】
「罪」と「悪」は別物です。罪は法律が決めますが、悪は法では裁かれません。何をもって罪悪とするかは国によっても人によっても違い、結局、罪悪を決めるのは自分自身です。
罪悪のレベルは、個人のブリーフシステムによって決まっています。非常に強固な信念によって、「それを超えることをやってはいけない」と歯止めがかかるので、人間は、自分が本当に罪悪だと思っていることはやりません。つまり、罪悪感を持つということは本質的にはあり得ないのです。自分で決めた罪悪のラインを超えるのは、「罪悪だと知りながら、それをしなければ命の危険があった」など、よほどの事情があるときだけです。
私たちが罪悪感だと思っているものは、たいていは自己嫌悪、怒り、後悔などを、罪悪感という言葉でごまかしているだけだといえます。たとえば、浮気をしてしまったときに感じるのは、罪悪感ではなく後悔です。浮気をした時点では、本人は「してもいい」と思っていたはずですが、それを認めたくなくて、「罪悪感」という言葉を使っているだけなのです。
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