Q-060:「気軽」という言葉の奥底に潜むもの

 

 先日(20181024日)、認知科学者 苫米地英人博士のtwitter上で興味深いやりとりがありました。博士が返答された文章中の「気軽と無礼の違い」について考えているうちに、「気軽」という言葉の奥底に潜む恐ろしいものが見えた気がしました。さらには“声”まで聞こえてきました(笑)。

 今回は、そのことについてまとめます。

 

 まずは博士のtwitterから引用します(時系列で表示。青文字は博士橙はフォロワー)。

 

 

なんかまた匿名@が増えてる。プロフィールにあるように非実名@は自動的にブロック。内容は関係ない。誰かがリツィートして来たものも自動的に匿名のツィートはブロックしてるので、本人が私に@してない場合もブロックされるので、気を悪くしないように。

 

誤解を恐れず乱暴に言えば、実名を明かせない人に時間かける程暇ではないので。非実名ツィートは大体が言葉とかも乱暴で、時間取るのに値しないものが多いのもある。ただ、内容から判断するのはフェアでないので、私宛ての匿名@は自動的にブロック。というかなんで私に@したいのかな。面識さえないのに

 

ツイッターってそういうところがいいと思う。知らない人と気軽にone to one で繋がれる。匿名とか関係なく

 

気軽と、無礼、無作法の差が分からない子供はこちらに来ないように

 

戦争と差別をなくす。と仰っておられる先生が子供を差別されていては

 

未成年に参政権がないのと同じ。知識や自己責任を含むあらゆる根拠。差別とは根本的に違う。もしも本気で言ってるなら、あなたのような無知、無責任が差別を助長する。

 

 私はまず、「フォロワーが気軽と感じているのは、『自分のことだけしか考えていないから』ではないだろうか?」と考えました。

 

 「私は相手のことを知らない」ために「相手の立場に立って考えることから解放されている」と無意識が理解し、「相手も私のことを知らない」がゆえに「発言に伴う責任を問われない」と(無意識が)判断しているのだと思いました。

 

 そんな社会性から逃避した「気軽」は、freedomという意味で、確かに自由かもしれません。

しかし、相手の存在がスコトーマに隠れているがゆえに、必ず「無礼」に行き着きます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

そのようなことを考えていると、博士が差別という言葉を使ったフォロワーに対して「あなたのような無知、無責任が差別を助長する」という厳しい表現を用いられたのには、重大な理由があるような気がしてきました。

 

 

 freedomとは、「束縛や拘束がなく、義務を免除された状態」のことです。それに対してlibertyは、「選択や行動・発言の権利が保障された状態」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

いずれにせよ、その根底には束縛や制約が存在することが前提となっています。Freedomlibertyも「(束縛や制約を前提に)この範囲であなたの権利を認めますよ」ということです。

「自由」の反対に「束縛」、「権利」の反対に「義務」があるといった思考のさらに深いところには、「支配者と奴隷」「ルールを作る側と従う側」という構図が見え隠れします。

そこにあるのは差別です。

 

 フォロワーが使った「気軽」という言葉に、博士は差別の存在を感じ取られたのでしょう。そして、そのことに気づいてもらいたかったのだと思います。自らスコトーマを外して。

だからこそ、「差別」という言葉に厳しく反応されたのではないでしょうか。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

もちろん、フォロワー自身も(本人は気がついていないかもしれませんが)差別される側です。「自由がない君は、このままでは苦しむよ」という博士のあたたかいメッセージも感じ取れます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 

西洋的なfreedomlibertyに対して、仏教に由来する日本語本来の「自由」とは、「自らを由(よ)りどころとし、他のものを由りどころとせずにあれ」という釈迦の言葉に由来するものです。それは「思考や行動の判断基準をほかの何者でもない、自らに置きなさい」ということですから、「無知」や「無責任」のままであれば「差別を助長する」ことに確実につながります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987549.html

 

以上のようなことを考えていたら、突然、“声”が聞こえました。

 

 

大志を抱いて学べ!

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

学びながら人格を形成し、自分の意志で社会に貢献してごらん!

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

そんな責任ある人生に100% want toで挑むとき、君は差別を克服することができ、ゴール達成のための道具として自由を使いこなせるようになるぜ!

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10543825.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10543909.html

 

 

それはまるで、目の前で苫米地博士のコーチングを受けているような感覚でした。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 


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