F-057:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか? <中編>

 

 前回(F-056)は、「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発言に麻生太郎財務相が「いいことを言う」と同調されたことについて、「国民をだまそうとしていない」という理由で肯定的に評価いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076011.html

 

 

 コーチとしてよく相談されることがあります。

 

「なかなか“現状の外”にゴールが設定できない」「そもそも“現状の外”というのがわからない」というものです。

 

その感覚はとてもよくわかります。私は、「現状の外を認識できていない」としっかり認識していること自体が素晴らしいと思います。

 

人は自分にとって重要なものだけを認識し、それを世界だと信じ込んでいます。その重要性は過去の記憶によりつくられたものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

よって、「自分が正しいと思っていたことをすべて否定すると、現状の外側がすっと見えてくる」ことになります。

 

試しに、自分が信じて疑わないものを疑ってみてください。

例えば、

 

 「コーチングは本当に効果があるのだろうか?」

 

「(愛おしくて仕方がないパートナー等について)本当に愛おしいのだろうか?」

(あるいは、「愛は冷めてしまったのだろうか?」)

 

「地球は本当に温暖化しているのだろうか?」

 

 

私たちが認識する世の中のすべてに情動が張り付いています。世界を情動や“自分”から切り離して評価・判断しなおすために、ディベートが大変役にたちます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

ブログシリーズ編>「S-01:よりよい議論のために」では、現代ディベート論理であるトゥールミンロジックを御紹介しています。それは“現状の外”を認識し、新たな可能世界の扉を開くための大いなる力となるものです。

ディベート初心者の方にとっては難解に感じられるかと思いますが、ぜひ繰り返しお読みください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

 それでは前回の続きに入ります。厚労省を抑える財務省のトップ、そして副総理としての立場をふまえた上で考察を続けることで浮かび上がる解決するべき課題(=ケース)についてまとめます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 私が感じたケースとは、1)健康が目的化している(さらには国民の義務になっている)、2) 「不摂生が理由で病気」の本質を見誤っている、3) お金のモノサシが入り込んだうえに、健康そのものより(お金のモノサシが)重要とみなされている、4)国の義務を放棄し、国民の権利をないがしろにする憲法違反となっている、の4つです。

 以下、説明いたします。

 

 

1)    健康が目的化している(さらには国民の義務になっている)

 

そもそもWHOの「健康」の定義自体に無理があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859828.html

 

コーチングとの関連でいうと、健康は数あるゴールの中で大切な一領域(バランスホイールを構成するひとつのカテゴリー)ではありますが、ゴールそのものではありません。そこを間違えると「健康のためなら死んでもいい」というアメリカンジョークのような生き方に陥ってしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

苫米地式で考える「健康」については、下記のブログ記事を御参照ください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859896.html

 

 

2)    「不摂生が理由で病気」の本質を見誤っている

 

 健康の定義同様、病に関する認識も間違っているといえます。麻生財務相の発言からは、病気の主因を不摂生と考えていることと不摂生は個人のだらしなさが原因と認識している思考パターン(ブリーフシステム)が読み取れます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 最近の医学研究をふまえると、病気=不摂生とは言い切れません。例えば2型糖尿病は、「贅沢病」でも「不摂生病」でもなく、むしろ「ストレス病」や「長時間労働病」「貧困病」だという指摘がなされています。

 

例えば、ドイツの研究機関の調査では、「強いストレスにさらされている人は、そうでない人と比較すると2型糖尿病を発症するリスクは45%も上昇する」と報告されています。

 

全日本民主医療機関連合会(民医連)が2018619日に行った記者発表によると、「HbA1c値が1年後に7%以上(不良)になる頻度は、週労働時間35時間未満の労働者と比べて60時間以上の労働者は2.92倍にのぼる」と指摘されており、さらに「糖尿病網膜症の発症が大卒を1とした場合、中卒だと1.92」「糖尿病腎症の発症は正規労働者を1とすると、非正規では2.83」と発表されています。

「全日本民医連が記者発表 『長時間労働が健康を阻害』 -若年2型糖尿病調査から-」:https://www.min-iren.gr.jp/?p=35327

 

富裕層にくらべて貧困層ほど糖尿病発症リスクが高いことは、アメリカやイギリスの研究でも明らかになっています。例えば、アメリカでは約14%の家庭が食料不安の状況にあります。食料不安のある家庭の糖尿病リスクは、食料不安のない家庭の2.5倍に上るそうです。

 

したがって、2型糖尿病に代表される生活習慣病の改善は、労働環境の改善や経済格差の是正といった国の政治力にかかっているといえます。

 

「不摂生は個人のだらしなさが原因」なのかについては、後編でプラン(解決策)とともに取りあげます。

 

 

3)    お金のモノサシが入り込んだうえに、健康そのものより重要とみなされている

 

「お金は重要ではない」とか、「お金のことを考えてはいけない」などと主張したいのではありません。お金は間違いなく重要なものです。ただし、それは「ゴールを達成するための道具として」です。お金自体が目的化すると、健康が目的化するのと同様に人生を見失い、満足度や幸福度が下がることが判明しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 健康やお金は、あくまでもゴールを達成するための道具であり、手段です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 お金のために健康をないがしろにした結果ゴール達成ができなくなることが本末転倒であるのと同じように、国家レベルにおいても国の財政のために国民の健康をないがしろにすることは本末転倒の大問題です。それではとてもプロとはいえません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8582928.html

 

なぜなら、それは立憲民主主義国家の根幹を揺らがす愚行ともいえるからです。次に説明します。

 

 

4)    国の義務を放棄し、国民の権利をないがしろにする憲法違反となっている

 

 日本の医療は、主権者である日本国民のためにあります。より詳しく述べると、国民一人ひとりの基本的人権(医療・福祉の場合は生存権)の保障のためにあるといえます。

 

 つまり、日本国民には健康に暮らす権利があり、日本国には国民の健康を実現する義務があります。それは日本国憲法第三章第二十五条に明記されています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584289.html

 

 「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発想は、国民の権利をないがしろにした上に、堂々と国の義務を放棄しています。よって、その発想は憲法違反といえます。

 

 

 以上、この中編ではケース(問題、課題)についてまとめました。次回は、プラン(解決策)を提示したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

(後編につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

日本国憲法第25条