F-051:同じ人間なのだから診れるだろう<後編>

 

 病院で当直をしていた時の話です。

(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)

 

 ある夏の日の夜、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。看護師が事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介しました。

しかし、その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。

 

「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」

 

 私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。

 前編(F-049):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994015.html

 中編(F-050):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12167502.html

 

 

「同じ人間なのだから診れるだろう」という母親の言葉は、抽象度を上げて思考することで実現可能となります。前回御紹介したように、肩関節が脱臼してしまった我が家のフェレットに対して、私は肩関節の整復を試みました。もちろん人間に対して行う方法で。

では、ふだんは子どもを診ない内科医の私が子どもの診察を行ってもよいのでしょうか?

 

 

 小児科医に診てもらうことを前提に小児科を受診した患者さんに対して、内科医の私が診察を行うことは許されないでしょう。夜間や地方(医療過疎地)、あるいは災害時などで小児科専門医の診察を受けることができず、かつ早急な対応が必要と思われる場合に、患者さん(小児科の場合はその保護者まで)の同意を得たうえで、診療を行うケースはありえると思います。

しかし、その場合に私がお約束できるのはベストを尽くすことであって、理想的な解決(小児科専門医と同じレベルの診療)ではありません。

 

 

 …201896日未明、観測史上最大の地震(マグニチュード6.7、最大震度7)が北海道を襲いました。地震の後、北海道全域が停電するブラックアウトが発生し、日常生活は大混乱に陥りました。

 そんな状況の中、道内約1100店舗のうち1050店で営業を続けたコンビニがありました。地場コンビニ「セイコーマート」です。

 

 停電時のマニュアルに従い車のバッテリーから電力を供給して営業し、店舗でつくるあたたかい弁当や総菜を提供し続けたそうです。

店員自らも被災者なのに道民を支援し続けたことに対して多くの人々が感謝していた一方で、通常よりも少ない品ぞろえや長い行列の原因となった卓上計算機での会計に対して怒りをぶつけた人たちもいたそうです。

 

 同じ状況のはずなのに、一方は称賛、もう一方は罵倒

 

その違いを生みだすものが、「抽象度の違い」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 罵倒した人たちのマインドからは、災害という特殊な状況への理解や店員さんの頑張りへの共感といったものが抜け落ちました。スコトーマに隠れ、認識できなかったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 その結果、「いつもより品物が少ないのはおかしい」「こんなに待たされるのはイヤだ」という思いが、ストレートに言動となって物理空間に表出されました。認知的不協和を解決するために。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 中にはもともとそのようなスタイルで生きている人がいたのかもしれません。しかし、罵倒した人たちの多くは、通常であれば、そんな思いがあったとしても表には出さないはずです。それが大人の態度であり、社会のマナーだからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 ところが、不安や恐怖などをきっかけに扁桃体が優位になったことで、人間らしさの源である前頭葉(前頭前野)の働きが抑制され、情動が剥き出しになってしまいました。その結果、災害時であるのにも関わらず十分な品ぞろえや迅速な会計という“過剰な要求”をしてしまったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

CDCCenters for Disease Control and Prevention、疾病予防管理センター)は、危機的状況下で「戦うか、逃げるか」という心理状態(「ファイト・オア・フライト」)に陥ったときの人の行動(Negative Behavior)として、下記の四つを取り上げています。

 

Demands for unneeded treatment:不必要な対処(治療)を求める

Reliance on special relationships:特別な関係に依存する

Unreasonable trade and travel restriction:不必要に商業取引と渡航を制限する

MUPSMultiple Unexplained Physical Symptoms):複数の医学的に原因不明な身体症状が現れる

 

今回の話題でいえば、「十分な品ぞろえ」や「迅速な会計」が「Demands for unneeded treatment:不必要な対処(治療)を求める」に相当します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 

 では、今回のシリーズのテーマである「同じ人間だから診れるだろう」に関してはどのようにいえるでしょうか?

 

 私は、正直な話、母親の発言は“過剰な要求”だと感じました。ふだん小児を診ない私があえて診察をすることは、フェレットの脱臼整復を試みたことと同じように危険で無責任な行為に思えたのです。「夜間も小児対応をしてくれる病院を受診する」という選択肢があったのですから。

 この点は、後日、「トリアージ」を取り上げながら考察しなおしたいと思います(ブログ・シリーズ編での投稿を予定しています)。

 

 

 現在の(通常の)医療では、ますます「患者さん一人ひとりにあった医療・介護」が求められています。それは日本の医療を、抽象度を下げる方向へと向かわせます。

 その一方で、夜間や地方(医療過疎地)、そして災害時の医療現場では、抽象度を上げて「大まかな医療」をせざるおえません。

 

 もっと大きな視点で考えた場合も、医療・介護現場での「抽象度を上げる」取り組みは重要です。「団塊の世代」がすべて75才以上になる2025年(平成37年)には、全人口の30%(約3500万人)を高齢者が占める超高齢社会を迎えるからです。いわゆる「2025年問題」です。

さらに、2060年(平成72年)には総人口が9000万人を割り込むまで減少する一方で、65才以上の人口が全人口の約40%を占めると推計されています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584052.html

 

世界で初めて日本が経験することになる少子・超高齢社会に備えて、国の主導で始まったのが地域医療構想です。地域医療構想をテーマとしたある勉強会(講演)の中で、「超高齢化社会に求められる医療のパラダイムシフト」というタイトルで、現在の医療とパラダイムシフト後の未来の医療が記されていました。

それらはすべて「抽象度を上げる」ことを示していました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748974.html

 

 医療を提供する側も受ける側も、不安や恐怖に支配されず(「ファイト・オア・フライト」に陥ることなく)、抽象度を最適にコントロールすることができれば、よりよい医療・介護を実現できるのではないだろうか? そして、世界的課題を解決できるのではないだろうか?

 

 いつもそんなことを考えながら働いています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 その実現のために、これからさらに加速してコーチングの普及・啓発に取り組んでいきたいと思っています。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987351.html

 

 

超高齢化社会に求められる医療のパラダイムシフト