F-050:同じ人間なのだから診れるだろう<中編>

 

 病院で当直をしていた時の話です。

(実際に経験した話をベースにしていますが、個人情報保護の観点から一部アレンジしています)

 

 ある夏の日の夜、未就学児の母親から電話がかかってきました。診察の相談です。看護師が事情を説明し、夜間も小児対応をしてくれる病院を紹介しました。

しかし、その数分後、再び同じ母親から電話がかかってきました。

 

 「紹介された病院を調べたら遠いので、ここから一番近いそちらで診てください」

 「カロナール(注:一般名アセトアミノフェン、解熱鎮痛剤)を持っているから、正確な診断さえしてもらえればいい」

「いつもは近くの内科で診てもらっている。同じ人間なのだから診れるだろう」

「見捨てる気か!」

 

 私は別の患者さんの救急対応をしながら、その母親と看護師のやり取りを聞いていました。その間に考えたことをまとめます。

 前編(F-049):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994015.html

 

 

そんなことを考えながらやりとりを聞いていると、私自身も「ファイト・オア・フライト」に陥っていることに気がつきました。そして、様々な課題を抱えている医療・介護現場が必要としている知識(&スキル)がはっきりとわかった気がしました。

きっかけは「同じ人間なのだから診れるだろう」という言葉でした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 

 「同じ人間なのだから診れるだろう」という母親の言葉は、抽象度を上げて思考することで実現可能となります。

 

 抽象度とは、情報空間における視点の高さを表すものです。上に行くほど情報量が少なく(抽象的に)なり、下に行くほど情報量が多く(具体的に)なります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 いわゆる専門化というのは、抽象度が下がること(より具体的になること、より詳細になること)です。

 大きな病院に行くと臓器別に診療が行われていますが、ある臓器を別の臓器と区別することは「抽象度を下げる」ことに相当します。「心臓(という臓器)が専門」であっても、まずは大きく内科なのか外科なのかに分かれ、内科はさらに「不整脈」「高血圧」「虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞等)」「心不全」等の専門領域に細分化されていきます。

 

医療の最先端では情報量がどんどん増え、抽象度が下がり続けています。それは医療を含む科学だけに限定される話ではなく、すべての業種・業界に当てはまります。

つまり、世界(宇宙)は、抽象度の下向きにどんどん拡大しているのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 

それに対して、情報量を少なくするのが「抽象度を上げる」ことです。「不整脈」と「高血圧」を同じ「循環器疾患」とみる視点であり、「循環器疾患」と「消化器疾患」を同じ「内臓の病気」とすることです。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292888.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293064.html


仏教では、それを「無分別」と表現します。

 

大人も子どもも人体の構造は同じです。この大きな視点(抽象度の高い視点)でみれば、当然、「大人が診れるのであれば、同じ人間なのだから、子どもも診れる(はず)」といえます。

 

 

例え話として不適切と思われるかもしれませんが、我が家で実際に経験したことをお話しします。

 

以前、我が家ではフェレットを飼っていました。ある日の夜、私が帰宅すると家の空気が凍りついていました。転落したフェレットが前足を引きずるように歩くというのです。

正月休み期間だったため、動物病院はどこも電話がつながりません。今にも泣きだしそうな子どもたちは、とても不安そうにしていました。

 

私はフェレットを“診察”しながら「いけるかも」と思いました。人間でいう肩関節が脱臼している様子で、骨折はなさそうだったからです。妻にフェレットが動かないように手伝ってもらいながら、肩関節脱臼の整復を試みました。もちろん、その方法は人間の肩関節脱臼に対して行うものです。

 

整復を試みた後、肩関節付近の変な盛りあがりはなくなりました。しばらくは前足を引きずっていましたが、翌日には完全に元の歩き方(走り方)に戻っていました。うれしいことに、肩脱臼の整復が成功したようです。

 抽象度を上げて思考することの可能性を、喜ぶ子どもたちと一緒に体感しました。

 

 では、それと同じように、ふだんは子どもを診ることがない内科医の私が子どもの診察を行ってもよいのでしょうか?

 

 (F-051につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 


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