PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-27自由を求める人に必要な「自己責任」の意味

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

自由を求める人に必要な「自己責任」の意味

 

自由を追求する人は、「抽象度を上げる」必要があります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

本質的には同じことなのですが、もうひとつ必要なことがあります。

それは「自ら戒める」ことです。

 

PM-05-19の人形の例えでいうと、いつまでもポーズを決めることができる人形は、潜在的にはかなり自由に関節は動くのですが、あえて制限を加えることで思い通りの姿勢を保つことが可能となっています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400928.html

 

この「制限」を自分の意志で行うことが、“自ら戒める”ということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

西洋的な価値観には、神との契約の概念がベースにあります。

「戒」は神との契約上守らなければならないことで、もし破れば神に罰せられる(あるいは救済されない)と考えます。

 

それに対して、本来の仏教では「戒」は自分自身で自分に課すものです。

自分が心から望むゴールの達成のために必要な「戒」を、自分自身の意志で設定し、自分の意志で守っていくのです。もし破った場合に罰するのも自分自身だけです。

それが「自己責任」ということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

動物の調教では“アメとムチ”が使われます。望ましい行動に対してはエサを与え、望ましくない行動には痛みを与えることで、行動を矯正していきます。

 

前時代的組織においては、人間に対しても、この報酬と懲罰による矯正が行われています。

これを他者にされてしまうことを許せば、人は他者の支配下に入ってしまいます。「have to」を仕掛けられ潜在的能力を十分に発揮することができなくなった人は、奴隷として生き続けることになります。

 

自分で、自分自身をゴールの実現に向かって矯正するのであれば、それは「自戒」であり「自律」です。釈迦が最後に説いたとされる「自帰依自灯明」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

自戒や自律の場合、懲罰はもはや必要ありません。報酬だけでコントロールできます。

認知科学では、プライミングといわれる報酬系のメカニズムがすでに解明されています。そして、ドーパミンを自分でコントロールすることで強力にモチベーションを上げていく方法もコーチングとして確立しています。
 (注:「モチベーションを上げる」という発想には注意が必要です)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

私たちはすでに他人に支配されることなく、思いどおりに自分自身を導く生き方ができます。真の自由を手に入れることができるのです。

そんな生き方を広げ、伝えていくことが真の教育です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)