PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-26監督がチームを去ったことは正しい選択だったのか? -後編-

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

監督がチームを去ったことは正しい選択だったのか? -後編-

 

能力を最大限に発揮するためには、モチベーションのコントロールが重要です。

(正確には、「ゴール設定の結果としてモチベーションがコントロールされている」です)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

want to(~したい)」で働く人は自分の能力を発揮し、「have to(~ねばならない)」で働く人は自身の能力を限定してしまいます。

チームは人間の集まりですので、チームの潜在能力を発揮するかどうかもまったく同じで、チーム内のムードが「want toか? have toか?」に左右されます。

 

もちろんリーダーには、チームのモチベーションをコントロールする責任があります。しかし、強制的にコントロールするのでは「have to」を仕掛けることになります。

 

リーダーがやるべきことは、モチベーションをコントロールする必要性を理解させ、その方法を教え、自ら行ってみせて、そして「私たちはできる」という確信をもって見守ることです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

いつまでたっても「have to」を「want to」に変えることができず、チームに悪影響を与え続ける人たちは、たとえどんなに“優秀”でもチームから除外するべきです。

中国の故事にも「政をなすの要はただ人を得るに在り」(貞観政要)や「一利を興すは一害を除くに若かず」(十八史略)などがあり、「have to(で生きる人)」を排除する重要性に言及しています。

 

メジャーリーグでは人事権はGMにあり、監督にはありません。フランコナ監督は、説明しても理解できない抽象度の低い選手達は追い出したかったはずです。

 

「現状のままでは雰囲気が悪い。ダメな奴らを追い出したいがその権限はない。かといって、監督の権力で強制的に更生させたとしても、結局はいつかチームの勢いを奪ってしまう」

 

そんなジレンマの中、自分のモチベーションも「have to」になってしまい、能力が発揮できなくなってしまうことを予見したのだと思います。関わる全員にとって「lose-lose」となってしまう未来を見てしまったのだと思います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

すべては縁により起こっており、双方向の関係性です。そして、すべては不完全であり、絶対はあり得ません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

すべては空(くう)であり、仮(け)として存在しています。

仮として存在することができるのは、果たすべき役割・機能があるからです。その役割を果たせないならば、機能を発揮することができないのならば、空なるがゆえに存在する理由がありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

だから私は、フランコナ監督の退任は正しいと思っています。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)