F-041:桂歌丸さんが最後まで危惧していた「笑えない笑点」

 

 201872日、落語家の桂歌丸さんがお亡くなりになりました。81歳でした。

 

 歌丸さんは、1966年の放送開始から50年にわたって「笑点」(日本テレビ)に出演し続け、2016522日の放送をもって勇退されています。

 

 勇退後も笑点のことをとても気にかけていらっしゃったそうです。

御逝去後の特集記事をいくつか読みましたが、笑点そのものを気にかけていたというよりは、落語業界全体のことを大切に思っていたことが伝わってきました。

 そんな歌丸さんの言葉から強く滲みでているものは、笑いを育む平和への思い、そして、笑いを殺してしまう戦争への怒りでした。

 

 歌丸さんが最後まで危惧していたのは「笑えない笑点」

戦争によって笑うことができない世の中になってしまうことだったようです。

 

歌丸さんは「特定秘密保護法」や「安保関連法」が次々と強行採決されたときにも、反対の声をあげていました。

 

「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」

「テレビで戦争が見られる時代ですからね。あれを見て若い方がかっこいいと思ったら、えらいことになる」

人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」

朝日新聞デジタル(20151019日)より引用 

 

戦争には笑いがない

 

…歌丸さんがこう語る背景には、空襲により横浜の生家が全焼してしまった悲しくつらい体験があります。さらには、戦中の落語界が当時の体制に半ば強制されるようなかたちで53種の噺を高座にかけないよう自粛し(=忖度)、戦意高揚を煽るような新作落語を次々と発表することで戦争に加担した過ちへの反省があります。

 

情動を伴った体験と情報の記憶により、戦争を忌み嫌うというブリーフシステムが形成されたのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

そもそも落語とは人間の業を笑うものです。

それなのに、戦時下において(19409月)、「時局柄にふさわしくない」として53種の噺が禁じられてしまいました(禁演落語)。

 

話が少し逸れますが、禁演落語が指定された後、高座にかけることを禁じられた噺たちを弔うために、浅草の本法寺に「はなし塚」という塚がつくられたそうです。当時の落語家たちによる洒落っ気のこもったささやかな反抗ですが、「この苦い経験を忘れないように」と今でも落語芸術協会による法要が続けられているそうです。

 

この禁演落語の措置は当時の講談落語協会による自主規制の体裁を取っていましたが、事実上は国からの強制でした。19402月には警視庁が興行取締規則を改正し、落語家・歌手・俳優などすべての芸能関係者が「技芸者之証」を携帯するように義務付けています。

 

政府は、芸人たちの表現を生権力(バイオパワー)によって管理したのです。

生権力とは、「人々の生活の中で、その営みを行うための日常的な関係の中から自然に生みだされる権力」のことで、英語ではBio-powerといいます。

功利主義の原理を確立したイギリスの哲学者 ジェレミ・ベンサム(17481832年)の「パノプティコン」という概念が生権力のもととなっています。

この概念を拡大して、フランスの哲学者 ミシェル・フーコー(19261984年)が著書「監獄の誕生」(1975年出版)で提示した概念が生権力です。

 

巨大な権力により、噺家たちは国が推進する軍隊賛美や債券購入、献金奨励などを物語の中に組み込んだプロパガンダのような新作落語をつくることも強いられました(国策落語)。

たとえば、当時のスローガン「産めよ殖やせよ」をテーマにつくられた「子宝部隊長」という落語では、子どもを産んでいない女性に向けられるこんなひどい台詞が登場します。

 

何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。

国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。

兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。

お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ

 

これは単なる「昔話」ではありません。

 

国境なき記者団が毎年発表する「報道の自由度ランキング」において、今年の日本は67位でした。前年の72位からやや改善したものの、主要国7カ国(G7)では最下位です。

1位はノルウェー、2位はスウェーデン、3位がオランダで、ドイツ(15位)、カナダ(18位)、スペイン(31位)、フランス(33位)、イギリス(40位)、韓国(43位)、アメリカ合衆国(45位)と続きます。

 

繰り返しますが、日本の報道の自由度は67位で、G7では最下位です。

日本において「表現の自由」はすでに失われているということができます。

 

情報が制限されると、私たちのマインドでの情報処理は制限されてしまいます。

RASがコントロールされてしまうことで、権力者にとっての“不都合な真実”がスコトーマに隠されてしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

それは、自由そのものが奪われていることを意味します。

 

 自ら戦争を体験し、業界自体も戦争に加担したという苦い記憶を持つ落語家 桂歌丸さんが心から求めていたものとは平和でした。そして、最後まで危惧していたことは笑いがなくなる世の中になってしまうことでした。

 その鍵となるものが自由といえます。

 

 では、歌丸さんの危惧が現実化しないために、私たちがするべきことは何でしょうか?次世代に伝えるべきことは何でしょうか?

 

 私は、マインド(脳と心)について学び実践することで、まず自らの心の中に小さな平和を見いだすことだと思っています。自ら定めたゴールに向かって生きる過程(=自由)にこそ、本当の喜びがあり、真の平和があります。

 そして、笑みを絶やさない心で同世代や次世代と向き合い、マインドについての知識・スキルとともに、そんな生き様(=自由)自体を広げ伝えることだと信じています。

 

 それはコーチングの祖 ルー・タイス氏から受け継いだメッセージであり、歌丸さんの言葉が突きつける喫緊の課題に対するコーチとしての私の解決策です。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)     

 


監獄の誕生(ミシェル・フーコー)