苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

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ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-09:「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わった一例 -前編-

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

「ルール」を守ることはなによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 

では、次のケースで考えてみましょう。

 

case12:自分の都合で契約を一方的に破棄した専門職Bの場合>

あるグループ会社があります。その中核的な組織は様々な専門職で構成されています。その中でも特に重要なある専門職は全国的に不足しているため、なかなか人員確保ができません。そこでその組織では、本社勤務の4名に加え、同じ敷地内にある関連会社に勤務する形でさらに専門職B1年契約(更新)で雇っています。

ある時、本社勤務の専門職の一人が入院することになり、業務内容にゆとりのある専門職Bにその間の応援をお願いすることになりました。

ところが、専門職Bはこれを拒みます。「本社の手伝いは契約にない」という理由で。

専門職の配置をグループ全体で考えていた本部は、契約内容の見直しを行うことにしました。しかし、専門職Bとの契約更新期限までに準備が間に合わなかったため、次の年に持ち越すことになりました。

ところが、専門職Bは新たな契約期間中にもかかわらず、一方的に退職を申し出て、その1カ月後には姿を見せなくなりました。契約破棄による一方的な退職の翌月、専門職Bがライバル会社で働いていることが判明しました

 

このケースは「マナー違反」でしょうか? それとも「ルール違反」でしょうか?

 

 

このケースでは「ルール違反」かどうかは微妙です。

 

まず、本社で欠員がでたときに「本社の手伝いは契約にない」という理由で応援を断った事例ですが、専門職Bの立場で考えるとこれは正当な主張(クレーム)だといえます。もし強要されたなら“契約違反”を訴えることが可能なはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

困っている側からみるとやり切れないでしょうが、契約内容に改善の余地があることが問題の本質であり、怒りを専門職Bにぶつけることは“八つ当たり”です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html

 

では、専門職Bが新たな労働契約期間中に転職したことはどうなのでしょうか?

 

 

労働契約解除が労働者からの申し出によるものを「自己都合退職」といいます。他の退職の形態には「定年退職」「会社都合退職」がありますが、中途退職のほとんどは自己都合退職です。

 

今回のケースは「6カ月以上の期間をもって報酬を定めた雇用契約」に相当するので、民法第627条第3項により3カ月後に退職が成立します。期間の定めのある労働契約については、民法第628条により「原則として契約期間の満了まで退職することはできない」はずです。労働者が一方的に退職した場合には、損害賠償請求の対象になります。

 

よって、このケースでの専門職Bの退職は、退職を一方的に申し出た時点では「ルール違反」であり、損害賠償の対象です。

 

しかし、この関連会社は、この一方的な退職を受け入れました。その瞬間、双方が合意したとみなされ、「ルール違反」ではなくなります。それを「合意退職」といいます。

 

よって、このケースでは「ルール違反」かどうかは微妙といえます。

 

 (S-02-10につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

F-096:私はイヤなことは心の中で握りつぶす vol.3

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 …これは戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した女優 高峰秀子さん(1924~2010年)の言葉です。前々回(F-094)はこの言葉をコーチの視点で読み解き、前回(F-095)は関連するワーク(ラベリング)を御紹介しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18340552.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456250.html

 

 今回は、そのワーク(ラベリング)の実践例を紹介した後、さらに踏み込んで「私はイヤなことを心の中で握りつぶす」という言葉を考察します。

 

 

 …先日、妻と買い物している際に、かつて“だまし討ち”された病院の職員に会いました。しかもその職員は、私を誹謗中傷するだけで調停の主旨とは全く関係のない(むしろ申し立て理由を自ら否定する)“証拠”を書いた一人です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

 私はその職員のことを医療人として高く評価し、人としてもとても信頼していました。だからだと思いますが、裁判所に提出された“証拠”を目にしたときには激しい怒りを感じました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

その怒りが、痛い記憶とともに、一気に吹きだしたのです。それまでの楽しかった“場”は、一瞬で修羅場に変わりました。私の中で。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 その時に行ったのがラベリングです。

 まずは噴出した「D」を切り離しました。「私らしくない」「コーチらしくない」とセルフトークしながら。

 次に「T」か「Nil」かを判別し、「T」と判断した後さらに分析していきました。具体的には、「The Power of Mind Ⅰ」第六章で行ったように仮説を立てて、トゥイーキングを行いました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124527.html

 

 そして、ゴールが生みだす未来からの時間の流れを感じながら、心の中でイヤなことを握りつぶしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 ところで、イヤなことを握りつぶす“私”とは誰のことでしょうか?

 

 …もちろん、それは「ゴールを達成した私」のことです。その「私」は、抽象度でいえば、より高い次元にいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 イヤなことの正体は何でしょうか?

 

 …「イヤなこと」の「イヤ」はすべて「D」。情動であり、心の迷いです。「イヤなこと」の「こと」が「Nil」ならば無視すればいいですし、「T」ならば解決策を考えるいい機会となります。ゴール実現にますます近づいていくことを楽しむことさえできます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 (握りつぶすのが)心の中でなのはなぜでしょうか?

 

 …情報空間の方が書き換えやすいからです。宇宙は多次元の階層構造で、その底面が物理空間です(物理空間も情報空間の一部です)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 

すべては双方向の縁起ですが、より高い抽象度次元に因があり、低い次元で果としてあらわれています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

だから、情報量のより少ない高次の抽象度空間の方が書き換えやすく、かつ、より大きな変化を(物理空間など低次の抽象度空間で)起こしやすいのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 では、握りつぶすためのエネルギーはどこから生じるのでしょうか?

 

 …答えは抽象度の差です。抽象度が高くなるほど大きくなるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)が、「握りつぶす」力の源です。つまり、ゴールの抽象度が上がるほど、強力に握りつぶすことができるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045827.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 

 

 エネルギーは、時間軸でいえば未来に、抽象度でいえば高次の抽象度空間に存在しています。そのエネルギーにアクセスする方法がゴール設定。

だから、「Goal comes 1st.」(by Lou Tice)なのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8583393.html

 

 皆さんはすでに大きなエネルギーと創造力を潜在的に持っています。それらを引き出すものがコーチングです。

 

 

 …先程、「そして、ゴールが生みだす未来からの時間の流れを感じながら、心の中でイヤなことを握りつぶしました」と書きました。

 

私が握りつぶした「イヤなこと」とは、じつは、その場にいた元同僚のことではありません。“だまし討ち”という痛い記憶やそれに紐づく経営陣の悪意でもありません。

 

握りつぶした本当の「イヤなこと」について、次回、新たなワークとともに記します。

 

(F-097につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 認知科学者 苫米地博士の新刊「超悟り入門」(徳間書店、2019年6月28日発売)に、今回御紹介したラベリングが「止観瞑想(しかんめいそう)」として記されています。

今回と次回の2回に分けて引用します。

 

止観瞑想

 …この煩悩を上手に扱うのに適しているのが「止観瞑想」です。止観の止とは煩悩を止めることを意味しています。煩悩を一時的に止めて自分の思考や感覚を観るのが止観瞑想になります。

 では、煩悩を一時的に止めるにはどうすればいいでしょうか?

 それは、ラベリングです。瞑想中に湧き出てきた情動にラベルを貼っていく作業を繰り返すのです。

 例えば、「お腹が減ってきたな」といった感情がふと湧いてきたら、「空腹」とラベリングします。「眠くなってきたぞ」と思ってきたら「睡眠」といった感じです。

 そして「空腹」とはなにか、「睡眠」とはなにかを思考していくのです。

 「空腹とは食欲から発せられるものであり、その源は大脳辺縁系にあるといわれている。これに従って食べていかなければ人は死んでしまう。しかし、人は水さえ飲んでいれば一週間ぐらい断食しても死ぬことはない。かえって健康になるといわれる。ということは、いま感じているこの空腹は従う必要がそれほどない可能性が十分にある。少なくとも緊急性は低い。ならば、この空腹はなにゆえ発生したのであろうか? 瞑想を邪魔する感覚なのか?」などなど、思考を深めていく作業を行っていくのです。

 

 

超悟り入門




Q-098:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか? <中編>

 

 

Q:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか?

 

A:同様の質問をたくさんいただいています。子育て中の親に限らず、管理職やリーダーのポジションにいる人にとっても、「モチベーション」が切実なテーマだからだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ところで、Q-011で「人にhave toを仕掛けないためにはどうすればいいでしょうか?」という質問に回答いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681096.html

 

 そこでは4つのポイントを挙げました。その4つとは、

 

1)     まずは自身が自由意志でゴールを設定し、want toで生きること

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

2)     何がhave toを生みだすかを知り、それら(have toをうみだすもの)を人を支配する目的で使わないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

3)     不完全性定理や不確定性原理から導きだされる真実「この世に“絶対”はない」を忘れないこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

4)     ゴールを重ねていくこと

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 です。  

 

 

その4点をふまえた上で、今回は「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」と「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」という二点についてまとめてみたいと思います。

前編:「子どもにhave toを押し付けてしまうのはなぜか?」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456079.html

 

 

 次に「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」です。

 

 「子どものwant toを大切にし続ける」ために大切なのは、親の価値観を絶対に押し付けないことだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672735.html

 

 「私は子どもの意志を尊重している」「子どもに価値観を押し付けることはない」と自信がある方ほど、じつは、注意が必要です。その過信がhave toを生みだし、(生みだしたhave toを)ますますスコトーマに隠します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 そもそも日本人が使う「家族」や「子育て」という言葉自体に、すでにhave toが潜んでいるのかもしれません。

 

 

 ちょうどこの原稿を仕上げている頃(2019722日)に、吉本興業の岡本昭彦社長が所属芸人の闇営業問題に関する会見を開きました。その会見は反社会的勢力が参加するパーティーに出席しギャラをもらっていた(しかも虚偽の報告をした)として解雇された芸人側の告発会見を受けてのもので、闇営業騒動後初めての会社側の公式会見でした。

 

 その会見については様々なメディアで取り上げられていますが、私がとても気になったのは「俺には全員をクビにする力がある」という自身の発言について、「冗談といいますか、和ませるといいますか」「家族というか身内というか、いいかげんにせえよと」「父親が息子に“勘当や”というつもりだった」と釈明したことです。

 

 家族、身内、父親、息子

 

これらの言葉を釈迦哲学で理解していれば問題はありません。しかし、儒教的に誤って解釈しているのならば大変危険です。その誤った解釈により、儒教的な「アプリオリ、かつ、絶対的な違い」、すなわち「差別」が強化されてしまうことになるからです。

 

日本の文化の多くは中国や朝鮮から伝わりました。例えば仏教でいうと、そのオリジンはインドの釈迦を祖とする哲学ですが、中国で儒教・道教と強く結びついた後に日本に伝来しています。よって、釈迦オリジナルの哲学は“中国化”されているといえます。

 

「この世に絶対(アプリオリなもの)はない」や「この世は心が作っている」という釈迦哲学のプリンシプルに対して、儒教のプリンシプルは「仁義の道を実践し、上下秩序を弁別する」です。「この世には初めから違い(=差別)がある」「その違い(差別)に従え」というのが儒教システムの根幹であり、その正体は「無分別」を是とする仏説(釈迦哲学)とは決して相いれない差別思想です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

支配者や既得権益、今回のテーマでいうと父親は、この論理(差別思想)を使ってシステムを強化してきました。

 

人類の進化途上において、かつての社会は「権力を持つ者」(「父親」)がそれ以外の「下々の人々」(「家族」)を支配し搾取するという構造でした。

「下々の人々(子ども)にはそもそも権利はなく、それは支配者(父親)から一方的に与えられている」という理不尽なその構造は、“社会的洗脳”により民衆(家族)の潜在意識に植えつけられました。儒教的な「御恩と奉公」という言葉や吉本社長会見での「家族」の使われ方がそのいい例です。

 

長い闘争の歴史を経て、人類はより進化した構造を手に入れました。

そこでは権利は「アプリオリ(先験的)に、等しく、生じているもの」。「生来の違いなどなく、すべては(本質は)同じである」という思想は、2600年前に釈迦の縁起が示唆していたものでもあり、仏語でいう「無分別」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

「あるものと別のものを分け隔てない」というその考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」です。それは、「犬」と「猫」を同じ「動物」とみる視点であり、「動物」と「植物」を同じ「生物」と理解できる力といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

その「無分別」の対極にある分別という概念の根底には、差別思想があります。

もしも「空観(くうがん)」がしっかりと維持されているのであれば、分別は許されます。「空(くう)」であることを十分に分かった上で、機能・役割により仮としての違いを見出すことは「区別」です。それは「差別」とは本質的に異なります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

親はその違いをしっかりと理解し、次世代にちゃんと伝えなければなりません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 

 

 じつは、「無分別」を教え伝えること自体が、「子どものwant toを大切にし続けるためにはどうすればいいか?」という質問への回答になります。

 

Q-099につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記―

「アプリオリ(先験的)に等しく生じているお互いの権利」を活用するために(そして、守りぬくために)、契約の概念とともに様々なルールが情報空間に生まれました。

例えば、簡単には解雇できないこともその一例で、それが現代の(本来あるべき)社会の姿です。「だまし討ち」など論外で、労働基準法はもちろん、憲法で保障された国民の権利そのものを侵害しています(日本国憲法第3章第27条)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

 現在、マナーやルール、モラルを通して自由を考察するシリーズ(シリーズ編第2弾)を連載中です。どうぞ御確認ください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_368012.html

 

 

-関連記事-

The Power of Mind Ⅰ」第五章(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13077001.html

 

ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-08:少年法が問いかけるもの

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

私たちはルールの本来の目的を忘れることがあってはなりません。

「ルールの本来の目的を忘れること」の一例として、「ルールを守りさえすればいい」という考え方があげられます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18455955.html

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

 

 

ここである事件について考えてみましょう。2015220日に川崎市の河川敷で中学1年生が殺害された事件です。

逮捕された少年たちは、テロ組織「IS(イスラム国)」になぞらえ、自らのチームを「川崎国」と名乗っていたそうです。地元で中高生を見つけるとこのように凄んでいたといいます。「俺らは法律関係ない。自分達のルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きたまま首を切るよ」

 

この少年たちは「ルール」を勘違いしていました。

 

社会の中で生きる以上、つまり他人との関係の中に存在している以上、私たちは何らかの「マナー」や「ルール」を守らなければなりません。社会に迷惑をかけながら「自分達のルールで動く」ことは許されません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

現に、この少年たちは、「自分達のルール」で人を殺したことにより逮捕されました。

 

未成年者の犯罪については少年法が適用されます。

「少年法では未成年者には成人同様の刑事処分を下すのではなく、原則として家庭裁判所により保護更生のための処置を下すことを規定する」とされており、家庭裁判所の判断により検察に逆送し刑事裁判に付さしめることもできますが、その場合においても不定期刑や量刑の緩和など様々な配慮が規定されています。

 

未成年者の犯罪に対してこのような配慮がなされるのは、「未成年者の人格の可塑性に着目しているため」とされています。可塑性(かそせい)とは、「固体に外力を加えて変形させ、力を取り去ってももとに戻らない性質」のことですが(デジタル大辞泉)、この場合は「脳の神経回路網はその活動に応じて構造と機能を変化させる性質をもつ」という「脳可塑性(brain plasticity)」のことです(最新 心理学事典)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9367702.html

 

つまり、13才の少年の命を奪った少年たちは、「少年法」というルールにより逮捕・拘束されると同時に、未来の可能性を根拠に「少年法」によって守られていたのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

 

他者を気遣う気持ちの表れであり、“自主規制”であるものが「マナー」

言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた“規制”が「ルール」

「マナー」も「ルール」もシステム(社会)を成り立たせるために存在している

「ルール」は煩悩をコントロールして自分中心を克服するきっかけとなりえる

 

 

再度、考えてみましょう。

 

「ルール」を守ることは、なによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

そして、人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 (S-02-09につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

川崎市中1男子生徒殺害事件をきっかけに少年法改正議論が盛り上がりました。例えば、その頃可決された18才以上に選挙権を与える法案と絡めて、「選挙権をもてばもう大人であり、少年法で保護すべき対象ではない」という主張(クレーム)が強まりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

 皆さんはどのように考えますか?

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

F-095:私はイヤなことは心の中で握りつぶす vol.2(ワーク付き)

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 これは戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した女優 高峰秀子さん(19242010年)の言葉です。前回(F-094)はこの言葉をコーチの視点で読み解きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18340552.html

 

 ところで、認知科学者 苫米地英人博士が「エモーションコントロール」を解説されている動画を紹介しましたが、ご覧になられたでしょうか?

 苫米地英人You Tube公式チャンネル

 https://www.youtube.com/watch?v=73T7i1M6-JQ

 

 博士が動画内で解説されている「モノクロにして」「小さくして」「ゴミ箱にポイッ」を、まとめて「握りつぶす」としているのが高峰秀子方式です。なかなか豪快ですよね(笑)。

 

 いずれにせよ、「イヤなこと」という触ったり動かしたりできないはずの抽象的な(物理空間には実在しない)イメージに、「ゴミ箱にポイッ」や「握りつぶす」といった操作を加えることは、心だけではなく身体にもとても大きな変化を引き起こします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 

 それは、前頭葉の発達した人間が、高い抽象度次元から(情報空間の)底面である物理空間にまで連続的に存在していることの証でもあります。心と体はそもそも同じものなのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248940.html

 

 さらには、自身の身体だけではなく、なんと目の前の世界そのものが心(マインド)によって生みだされています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823843.html

 

 まさにI×V=R

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

 先日(201979日)、朝日新聞デジタルで「患者がストレスにさらされると、乳がんが悪化する」という記事が配信されました。

 岡山大学の神谷厚範教授(細胞生理学)が、国立がん研究センターで手術を受けた乳がん患者29人のがん組織を調べたところ、がん組織内の交感神経の密度が高い人は再発しやすいことがわかりました。

さらに、マウスに人の乳がん組織を移植し、乳がん組織内の交感神経を刺激し続けたところ、60日後、(刺激しないマウスと比べ)がん面積は2倍近く大きくなり、転移数も多くなったそうです。一方、遺伝子治療で交感神経の活性化を止めると、60日経ってもがんの大きさはほとんど変わらず、転移もみられませんでした。

 

 このように、ストレスが病気の発症や進行に悪影響を及ぼすことや脳や遺伝子に傷をつけることは、科学的検証によりどんどん明らかにされています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11822808.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523096.html

 

 当然ですが、その反対に、(特に情報空間での)ストレス対策が健康に寄与することもわかってきています。その一例として、山形大学医学部看護科 櫻田香教授らの研究を御紹介します(ヘルスプレス、2019613日配信記事より)。

 

一般住民を対象とした「山形県コホート研究:Yamagata Study」に参加し、健康診断を受けた40歳以上の男女17152名を5.4年間追跡した調査により、1)日頃「ほとんど笑わない」層は全死亡率と心血管疾患の発症率が有意に高い、2)「月1回未満」しか笑わない人は「週1回以上」笑う人に対して死亡率が約2倍高まる、3)「週1回未満~月1回以上」笑う人は「週1回以上」笑う人に対して心血管疾患の発症リスクが約1.6倍高まる などが明らかになりました。

まさに「笑う門には福来る」。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268334.html

 

 情報空間への働きかけにより病を治療するという方法は、じつは、すでに医療現場で実用化されています。その一つがイメージを用いてがんを治療するという「サイモントン療法」です。

 

 もともとは放射線科医師だった米国のカール・サイモントン博士(19422009年)は、同じような症状の患者さんに同じ治療を行っても回復する人と悪化する人に分かれることを疑問に思い、研究を始めました。その結果、患者さんの精神面が治療結果に大きな影響を与えることに気づき、がん患者さんの精神面をサポートする治療を編みだしました。それが「サイモントン療法」です。

 この治療の最初の患者さんは頚部進行がんを患った60代の男性でした。放射線治療と並行して、毎日3回、6週間にわたるイメージ療法を指導。その内容とは「白血球ががん細胞を攻撃するイメージを思い浮かべる」というものでした。

 

 「そんな簡単なことで効果があるのか?」と疑問を感じる方も多いと思いますが、実際、人のイメージの力は絶大です。「諦めると坂道を下るようにどんどん悪くなる」ことや「必ずよくなると確信していると結構よくなる(悪化しない)」ということを、きっと多くの医療・福祉関係者が実感しているはずです。もちろんビジネスの現場においても。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_342433.html

 

 そんなイメージの力をフルに使って自身を望む方向に導くのに、言語がとても役に立ちます。言葉にだしながら、鮮明なイメージを感じ、そしてそこに感情をのせていくのです(word/picture/emotion)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7701939.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859111.html

 

 

私はイヤなことは心の中で握りつぶす

 

 

 ではここで、「イヤなことを心の中で握りつぶす」ための準備となるワークを御紹介します。苫米地博士の読者の方にはおなじみの「目の前のすべてにラベルを貼る」というワーク(ラベリング)です。

 

 私たちは重要なこと(モノ)のみを認識しており、重要性の低いこと(モノ)は認識していません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 その重要度を「ゴールから考えたとき、どれくらい重要か」という尺度に統一することが、このワーク(ラベリング)の目的です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

Work

認識したものすべてに「T(ティー)」「Nil(ニル)」「D(ディー)」のどれかを張りつける(ラベリング)

 

T」:ゴールに関係すること(ゴール達成の妨げになることも含む)

Nil」:ゴールと関係ないこと

D」:「T」でも「Nil」でもない感情(怒り、後悔、悲しみ、不安など)

 

 

 これだけです。

 

 ラベル張りは時間をかけず、情報を認識した瞬間に行います。

まずは「D」を減らすように意識しましょう。「D」は完全に皆さんの心次第です。

次に「Nil」が減るように自身の行動を見直していきましょう。基本的に「Nil」にはhave toが入り込んでいます。「Nil」が続くときには、「なぜhave toなのか?」「want toは何か?」「そもそもゴールは何だったか?」と自問してみましょう(止観)。

 

 

 次回は、このラベリングの実践例を紹介した後、さらに踏み込んで「私はイヤなことを心の中で握りつぶす」という言葉を考察します。

 

F-096につづく)

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 ラベリングは医療・福祉従事者にとって特に重要なスキルとなります。「ファイト・オア・フライト」という情動優位の状態を回避できるからです。ぜひワークに取り組んでください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

医療・介護現場は四苦(特に老病死)の臨場感が高いため、スコトーマが外れやすいのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045953.html

 

スコトーマが外れて認識するものとは「スピリチュアルペイン」。剥きだしになった「スピリチュアルペイン」は「イヤなこと」をさらに増幅します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

 それは生老病死という人生のプロセスで必ず経験すること。

よって、医療・福祉従事者だけではなく、すべての方にラベリングをお勧めします。

 

 

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