苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

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Q-105:190126鹿児島コーチングセミナーQ&A -02(ワーク付き)

 

 2019年1月26日、鹿児島市でコーチングをテーマとしたオープンセミナーを開催しました。いただいた御意見・御質問に回答いたします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19263179.html

 

 「印象に残ったこと」に関する御意見です。

 

 

Q:「重要性を意図的に変える」ということをあまり意識したことがなく、すぐに使えて効果が大きいと思いました

 

A:「目の前の世界はいつも同じ」と思いがちですが、じつは刻一刻と変化しています。その様子を仏教では「無常」と表現しますが、無常である理由は「すべては他の何かとの関係性で成り立っている」からです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 関係性は常に双方向(多方向)。「情報量がどんどん増え続けるから無常」ともいえますし、「情報を処理するマインドの働き次第だから無常」ともいえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 

 「情報を処理するマインドの働き」のひとつがRAS(ラス、Reticular Activating System)です。それは脳が持つ機能のひとつで、五感で受け取る膨大な情報の中から重要な情報だけを選びだすフィルターの役割を担っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

 私たちは、各々のRASを通り抜けた情報によって、世界を認識しています。したがって、他人とまったく同じ世界などなく、みんなが「一人一宇宙」に生きているといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 

 そして、その「一人一宇宙」は無常。RASを通り抜ける情報が変化すれば、今まで気になっていたことが認識に上がらなくなり(=スコトーマに隠れる)、反対にまったく気にしていなかったことが頭から離れなくなります(スコトーマが外れる)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 「RASを通り抜ける情報」を決めるものは重要性。「宇宙を自分にとって重要な順に並べ替える関数」のことを評価関数(重要性関数)と呼びます。評価関数を自由に変えることができれば、それは“自分”を変えることになり、認識する宇宙そのものを変えることになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

 「評価関数を自由に変える」ことを可能にするものがコーチングです。ゴールを“現状の外”に設定することで、「重要性を意図的に変える」ことができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ここで「重要性を意図的に変えることで目の前の世界が変わる」ことを実感するためにワークを行ってみましょう。「すぐに使えて効果が大きい」ワークです。リラックスしながら、ぜひ取り組んでください。

 

 

<work> 注:まず1~2に取り組んだ後、3以降を読んでください

1.    周囲を見回し、情景を記憶する(30秒間)

2.    次の30秒間は目をつぶり、今記憶したばかりの情景を正確に再現する

work

3.    次に(閉眼のまま)記憶の中の情景から“赤いもの”探し出す(30秒間)

4.    ゆっくりと目を開け、実際の情景にある“赤いもの”を探す(30秒間)

 

 

 いかがですか?

 今までまったく認識していなかった“赤いもの”がたくさん目に飛び込んでくる感じがしませんでしたか?

 

 きっと“赤”をたくさん見つけたはず。それはワークの前と後で、目の前の世界が変わったことを意味します。

 

 

Q:リミッターをはずすという言葉が印象に残りました

 

A:(上の回答のつづき)

では、普段の私たちは何を重要としているのでしょうか? どんな評価関数で世界を(無意識に)構築しているのでしょうか?

 

 答えは、一言でいえば「過去」。そして「他人」です。

私たちは「情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報に記憶」によりつくられた基準(モノサシ)に合致するものを重要とし、その基準で世界を知らずに構築しています。その基準(モノサシ)は親や教師、常識や社会の価値観といったものの影響を強く受けています。したがって、ほとんどの人にとって、“私”とは「本当の私」ではないのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 さらに、その過去の記憶であり、他人(親や教師など)の刷り込みでできた基準には、強力な恒常性維持機能(ホメオスタシス)が働いています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 それは「心のリミッター」となって、人を、組織を、制限しています。本当はもっとのびのびと生きれるのに、本当はもっと創造性を発揮できるのに。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 繰り返しますが、リミッターを解除し、「評価関数を自由に変える」ことを可能にするものがコーチングです。ゴールを“現状の外”に設定することで、「重要性を意図的に変える」ことができます。

 

 

QD○○○Eを思いだした時、再度体にジ~ンという感じを感じました

 

A:「D○○○E(←インパクトが重要なネタなので非公開w)」には、「本当のあなたはまだまだこんなものではない。もっともっとすごい!」という思い、そして「自分自身の自由意志でリミッターを解除しよう!」という願いをこめました。

 

 「体にジ~ン」はそんなメッセージに共鳴したことでおこったはず。情報場へのアクセス(操作)が、写像である物理空間にあらわれたのです。それがコーチングの神髄であり、気功の本質でもあると私は確信しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248940.html

 

Q-106につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 201910月に、鹿児島市と霧島市で、コーチングセミナーを開催します!

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19130955.html

 

 

-関連記事-

F-004~ 自分のリミッターをはずす!

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268324.html

 

F-089~ 無人運転と自動運転の違い

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_369873.html

 

 

自分のリミッターをはずす!




ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-15:マナーやルールに潜む罠 -2

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

前々回(S-02-13)の最後にこんな問題をだしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19152788.html

 

Q:「モラル」はみんなで遵守する前提で、理想的な生き方は下記のうちどれでしょうか?

 

A:マナー違反もルール違反もしない

B:マナー違反はすることがあるが、ルール違反はしない

C:マナー違反はしないが、ルール違反はすることがある

D:マナー違反もルール違反もすることがある

 

模範解答としては「A」ですが、意識状態(あるいは人生に臨む態度)としての理想的な生き方は、じつは、「D」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

その理由は大きく3つあります。

 

1つ目は、「want to」が「have to」になるから

2つ目は、(とくにルールの話ですが)論理で考えるということは物事を相対化することであるから

そして、3つ目は、マナーやルールは圧倒的に権力者(既得権益)に有利につくられているから

です。         

 

それぞれを解説します。

 罠-1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19262882.html

 

 

<2>    論理で考えるということは物事を相対化することであり危険である

 

ルールは「論理空間」に存在します。

(論理空間に存在しない、あるいは論理的に破綻したルールもあります。それは別の機会に取り上げます)

 

論理空間には不完全性定理が働きます。つまり、“絶対に正しいルール”は存在しないのです。そして、世の中には決して相対化してはならないものがあります。例えば「命」がそのひとつです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

ところで、皆さんは「人を殺してはいけない理由」を子どもたちにどのように説明しますか?

 

子どもたちに教えるべきことは、「命を議論の対象にしてはいけない」です。鹿児島弁でいえば「ぎをゆな(議を言な)!」。人を殺してはいけない論理的な理由(説明)があるから人を殺してはいけないのではなく、ただただ「人を殺してはいけない」と教えるべきです。

そこには論理も理由もありません。「いけないものはいけない」のです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958415.html

 

S-02-11で御紹介したアインシュタインの言葉中にある「直観的な感情」「直観的な反発」は、脳幹部や大脳辺縁系処理の話ではありません。大脳辺縁系どころか、「人間を殺すことは良いことか悪いことか?」「どこからが残虐行為か?」「憎悪とは何か?」といった論理的な議論(ディベート)を前頭前野背外側部で徹底的に行うことまでも超越して、“直観的”に拒絶しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18911304.html

 

その“直観”とは、論理空間を超越した空間(次元)にアクセスしている状態を意味します。

  http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

なぜ論理空間を超越しなければならないのかというと、「論理とは物事を相対化することだから」です。相対化した瞬間に「人を殺してもいい理由」が生まれる可能性が生じます。そして、論理空間には必ず“不完全性”が働きます。

そこに多数決などの数の論理が加われば、民主主義の名のもとに大量殺人が行われる可能性さえ生じます。「平和のために戦争を行う」選択が生じるのです。これはまさに、今、世界が直面している危機です。

 

言うまでもなく、私たちの意志決定のプロセスは民主主義です。民主主義の基本は徹底的な思考や自由な議論を通じてよりよい意思決定を行うこと。私が属するあるコミュニティではいまだに「組織票」という考えが残っていますが、それは民主主義を完全に否定するものです。

 

一人一票による多数決で意思決定が行われる場合に決して忘れてはならないのが、「マイノリティの方が、もしかしたら正しいかもしれない」という視点。この視点を忘れたデモクラシーは単なる数による圧政になり、権力者のさらなる暴走を許すことになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

 (S-02-16につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 民主主義に関連して、第16代米国大統領 エイブラハム・リンカーン(18091865年)が、1863年にペンシルベニア州ゲティスバーグの国立戦没者墓地の奉献式で行った演説から引用します。

 

 我々の目の前に残された偉大な事業に身をささげるべきは、むしろ我々自身なのである。

それは、名誉ある戦死者達が最後の力を振り絞って命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで我々がさらなる献身を決意することであり、戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神のもとで自由の新しい誕生を迎えるために、そして人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the peopleを決して消滅させないために、我々がここで固く決意することである

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

エイブラハム・リンカーン(wiki.)

エイブラハム・リンカーン

Wikipediaより引用





F-102:「映写機の故障により上映できるかわかりません」 Vol.2;期待が失望に変わるときの注意点

 

 このブログシリーズでは、目的の映画を観ることができると信じて待ちながら感じたこと、そして、日本語吹き替え版さえ観ることができないまま帰途につき思ったことをまとめます。

 

 Vol.1;映画館での出来事

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19153107.html

 Vol.2;期待が失望に変わるときの注意点

 Vol.3;不安や怒りへの対処法

 Vol.4;リーダーの視点で

 Vol.5;フォロワーの立場で

 

 

 …期待が裏切られた経験はありますか?

 

 何らかの期待が残念な結果に終わったときには、いわゆるエネルギーが放出されます。そのエネルギーを生みだすものはマインドでの情報処理です。期待が大きいほど、あるいは結果が悲惨であるほど、そのエネルギーは大きくなります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

イライラや怒りとしてそんなエネルギーが表出される場面を、きっと誰もが経験しているはず。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

その時のマインドの状態は「ファイト・オア・フライト」。まるで獣のように攻撃的になったり(ファイト)、反対にかたくなに閉じこもってしまったりします(フライト)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

いずれにせよ、ネガティブなエネルギーは、本人の心の中だけではなく周囲にも拡散しながら、最後には苦しみや辛さに帰結していきます。まるで闇に覆いつくされてしまうかのように。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

 

詳しくはシリーズ編第3弾で取り上げますが、2011年にカナダのバンクーバーで“あること”をきっかけに暴動が発生しました。立ち並ぶ店のショーウインドを割ったり、車をひっくり返し放火したりする騒ぎは、駆けつけた警官を襲撃しパトカーを炎上させるまでにヒートアップしました。

バンクーバーの町全体が炎上したかのようなこの大騒ぎのきっかけは、なんと、アイスホッケーの試合でした。地元のチーム カナックスが敗れたことに怒ったファンが暴徒化したのです。

期待が裏切られた時に発散されるエネルギーは、ときに町さえ破壊してしまうような強大なパワーを秘めているようです。

 

どうせならそのエネルギーをポジティブな方向で使いたいですよね。

コーチングはそれを可能にします。

 

例えばパーソナルコーチングでは、“現状の外”へのゴール設定を強力にサポートします。ゴール設定はとてつもない「期待」を新たに生みだす行為といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

アファメーションやビジュアライゼーションを駆使して「期待」の臨場感を高めるほど、その期待は実現に近づきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

もちろん、すべてが必ず現実化するとは限りません。むしろ、傍から見ると“失敗”と思われたり、心配されることの方が多いくらいです。“現状の外”にゴールを設定しているのですから当然です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

でも、ゴールを切望し続けるかぎり、そしてその達成を確信している限り、希望の灯が消えることはありません。期待が失望に変わることはないのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

今回は「期待が失望に変わるときの注意点」をテーマとしていますが、本当は期待が失望に変わることはありません。ゴールがある人たちはとっては。

“失敗”とは、エジソン風に言えば、「うまくいかない方法を見つけた」ということ。それは成功に向かう道程の大切な気づきのきっかけです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

もし「期待が失望に変わる」感覚に襲われたなら、立ち止まりゴールを思い出してください。ゴール達成の確信であるエフィカシーを高めてください。

 

…先日の映画館での体験では、正直にいうと、私は一瞬“失望”しました。

(それだけassembleを楽しみにしていたのですw)

 

ですが、すぐに「私らしくない」「コーチらしくない」とセルフトークを行い、趣味のゴール、職業のゴールをイメージしなおし、エフィカシーを取り戻していきました。「映画が観れなくて残念」を「映画は観れなかったけど、おかげでいろいろ気づけてラッキー!」に塗り替えていったのです。

 

「期待が失望に変わるときの注意点」とは、「そもそも失望は存在しないという事実を思いだすこと(忘れないこと)」

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654010.html

 

…そのために常にゴールを達成したイメージ(未来の私)の視点で自身を観察し、らしくなかったら止まることが重要です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

それを仏教では「止観(しかん)」と呼びます。ちなみに、止観で止めるものとは煩悩、観るものとは情報空間です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18576926.html

 

失望するような状況は、解決するべき課題を見つけるチャンス!

そんな絶好の機会だから、怒ったり落ち込んだりしている場合じゃない!!

 

…そんなセルフトークが自然にできるようになる頃には、ブリーフシステムがゴール側に書き換わっています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

そしてそれは、認識する目の前の宇宙自体が、ゴール側にしっかりと書き換わっていることを意味します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823843.html

 

コーチングは、誰もが本来持っている無限の可能性を引きだします。ぜひ活用してください。

 

(F-103につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 本文中でリンクをはっていますが、お気に入りの記事なので再度御紹介いたします。“あるお方”の下記の言葉を取り上げていますw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

 

  Fear is the path to the dark side.

  Fear leads to anger. Anger leads to hate.

  Hate leads to suffering.

 

   恐れはダークサイドに通じる。

   恐れは怒りを招き、怒りは憎しみを、

   そして、憎しみは苦しみを招く。

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_342433.html

 

 

Q-104190126鹿児島コーチングセミナーQ&A -01

 

 2019126日、鹿児島市でコーチングをテーマとしたオープンセミナーを開催しました。二部構成で長時間のセミナーでしたが、皆さんが熱心に聞いてくださるので、あっという間に終わった感じがしました。

 

 「私たち一人ひとりが潜在的に持つ才能や能力、可能性といったものを存分に感じてほしい」と願いながら、スコトーマやゴール、エフィカシー、コンフォートゾーンといったコーチングの基本用語について解説しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 セミナー後のアンケートにはたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。

 

 アンケート冒頭の「内容はわかりやすかったですか?」という問いに対して、10段階の目盛りで評価していただきました。これは医療現場でも疼痛の評価等に使われる方法で、VAS(バス、Visual Analog Scale)と呼ばれています。

当日(190126)の講演評価は5から10まで分布し、平均では8.63でした。

 

 現実社会では、誰からも同じように最高の評価を得られることはなく、極端に評価が分かれることも少なくはありません。「ものすごくよかった」と思う人がいれば、「全然よくなかった。最悪ッ」と感じる人がいるように。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542066.html

 

 その「評価が大きく分かれること」の最大の理由が、マインドでの情報処理にあります。

 

 自分自身の認識⇄理解⇄評価⇄判断という情報処理の特徴(ブリーフシステム)を知り、それを自由意志でアップデートしていけば、その結果、認識する世界(宇宙)そのものを自在に構築することができるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 それが私たちの生きる宇宙の理です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 セミナーでは、その一つの方法としてコーチングがとても役にたつことをお伝えしました。次回(Q-105)より、いただいた御意見・御質問に回答いたします。

 

Q-105につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 201910月に、鹿児島市と霧島市で、コーチングセミナーを開催します!

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19130955.html

 

 

190126 鹿児島コーチングセミナー190126「A NEW HOPE」第一部




ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-14:マナーやルールに潜む罠 -1

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

前回(S-02-13)の最後にこんな問題をだしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19152788.html

 

Q:「モラル」はみんなで遵守する前提で、理想的な生き方は下記のうちどれでしょうか?

 

A:マナー違反もルール違反もしない

B:マナー違反はすることがあるが、ルール違反はしない

C:マナー違反はしないが、ルール違反はすることがある

D:マナー違反もルール違反もすることがある

 

模範解答としては「A」ですが、意識状態(あるいは人生に臨む態度)としての理想的な生き方は、じつは、「D」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

その理由は大きく3つあります。

 

1つ目は、「want to」が「have to」になるから

2つ目は、(とくにルールの話ですが)論理で考えるということは物事を相対化することであるから

そして、3つ目は、マナーやルールは圧倒的に権力者(既得権益)に有利につくられているから

です。         

 

それぞれを解説します。

 

 

<1>    マナーやルールにより「want to」が「have to」になり、能力が発揮できなくなる

 

(これは説明するまでもないと思いますが)マナーやルールとは、「~しなければならない」「~してはならない」を決めることなので、必然的に無意識下に「have to」をつくることになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

無意識下で「have to」化してしまうと、私たちは本来の潜在能力を発揮することができなくなります。私たちが本来の能力を存分に発揮できるのは「want to」の時。「want to」と「have to」の生産性の差は10年間で756倍です。

 

よって、「『want to』がまず先にあり、その後、マナーやルールとの関係を調整する」という思考パターンが重要になります。先にある「want to」とはゴールのこと。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

want to」を最優先することとマナーやルールを遵守することは、ちゃんと両立します。その時、鍵になるのが“抽象度の高さ”です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

つまり、抽象度を高める生き方こそが、「want to」を貫きながら、既存のマナーやルールとも対立しない自由な生き方といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

私はそんな生き方こそが“無敵”だと信じています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

もし十分に抽象度を高めた人(社会)が既存のマナーやルールとぶつかる時は、そのマナーやルールの方が「時代遅れ」になっているといえます。私たちの進化・向上とは抽象度を上げることそのものだから。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

その時変えるべきなのは、「抽象度の高い人の生き方(社会のあり方)」ではなく、マナーやルールの方です。

 

 (S-02-15につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

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