苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

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F-118:Field of Dreams <後編>

 

 ある日聞こえてきた“声”にしたがいトウモロコシ畑に野球場をつくった人の話を御存知でしょうか?

…それは映画「Field of Dreams」で描かれたストーリー。

 

 先日、久しぶりに「Field of Dreams」を観直してみました。認知科学者 苫米地英人博士に学んでいるからでしょうか、スコトーマが外れ、クリアなイメージがどんどん湧き上がってくるような感じがしました。そのイメージを前・後編の2回に分けてまとめます。

 前編(F-117):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20779662.html

 

 

 …今思えば、“変えられない”過去の記憶でつくられた“自分”を肯定したかったのだと思います。それは現状のコンフォートゾーンの肯定。その肯定が壁を生みだし、思考停止につながっていました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 「Field of Dreams」を思う時、私の意識は「Dreams」の方にありました。「叶うはずはないけれど、そうなったら最高なイメージ」という意味での「Dreams」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

 認知科学者 苫米地英人博士に学ぶ現在の私の意識は「Field」の方にあります。博士の提唱する「超情報場仮説(理論)」における情報場としての「Field」です。その「Field」へのアクセスが“声”を生みだすと確信しているからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 ところで、皆さんは“声”を聞いたことがありますか? “声”に導かれるような体験をしたことがありますか?

 

 …苫米地博士の著書「人を動かす『超』話し方トレーニング」(開拓社、復刊版)の中に「calling」という言葉が登場します。以下、同書より引用します。

 

 あなたの話に「calling」はあるか?

 この「世界観」、日本人にはイメージが湧きにくいのかもしれませんが、キリスト教圏の人にとってはとてもわかりやすい概念です。

 「calling(コーリング)」という言葉があります。

 英和辞典を引いてみますと、「1.呼ぶこと」「2.召集」「3.訪問」のあとに、「4.天職、(……したいという)強い衝動〔欲求〕」「5.神のお召し、召命」とあります。

 「召命」というのは、「神に呼び出されて新しい使命を与えられること」を言います。その人が神様に期待されていること、それが「calling」というわけです。

 この自分なりの「calling」を一言で言い表したものが「世界観」になります。西洋的に言えば、あなたにとって、神に与えられた使命とは何かを考えることが、世界観を見つける手掛かりになるというわけです。現在の日本でなら、「自分の生きる目的」ぐらいに解釈したらいいでしょう。

 引用終わり

 

 “声”とは「神に与えられた使命」であり「世界観」

“声”とは「自分の生きる目的」

 

 …つまりそれは、コーチングにおける「ゴール」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

映画「Field of Dreams」の主人公レイが聞いた“声”とは、ゴールを示す“I(Image、Imagination)”だったといえます。その突飛な“I”は、当初は完全に“現状の外”にありましたが、家族のサポートや新たな出会いという縁によってvivid(“V”)になり、ついに現実化しました(“R”)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

「現実化だって?! それはあくまで映画の中の出来事(フィクション)であって、実際には人生をやり直せることも、死者が現れることもないはずだ」と疑念を感じる方もいることでしょう。

そのとおりです。

 

 情報空間の底面である物理空間には、物理法則という強力な秩序が働いています。よって、すべてのイメージをリアルにすること(物理空間へ実装すること)はできません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

もし秩序を超えてリアルだと感じ、かつその自覚がないのなら、残念ながらそれは病気であり、精神医療の対象といえます。

 しかし、その一方で、この世のすべては情報であり幻想です。その幻想をそのまま現実化(物理空間への実装)することはできなくても、そこからエネルギーやひらめきを得て、新しい何か(ゲシュタルト)を生みだすことはできます。物理法則に適う形で。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 「Field of Dreams」でいえば、舞台となったトウモロコシ畑の中の球場に、映画本編と同じように往年の名選手やかつての野球ファンを復活させることはできないとしても、代わりの“新しい何か”を創造することはできます。“声”に導かれるままに。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8583393.html

 

 

 …実際の話として、映画公開から32年が経過した今年(2020年)の8月13日(米国時間)、“新しい何か”が現実化します。メジャーリーグ(MLB)の公式戦が、映画のロケ地であるアイオワ州ダイアーズビルで開催されるのです。その試合のために、なんと、8000人を収容できる球場が建設されているそうです。映画で使用された野球場の隣に。

球場外に広がるトウモロコシ畑と撮影で使用された野球場が見えるように、右翼席の壁には窓が設けられるということです。きっと映画の世界に浸りながらMLBの試合を観戦することができるのでしょう。

 まさにField of Dreams!

 

 情報空間には様々な情報場が存在しています。「Field of Hopes」「Field of Peace」「Field of fairness」、そして「Field of Liberties/Freedoms」等々

 …そんな情報場にアクセスしている時に聞こえてくる“声”の主とは、未来の自分に違いありません。ゴールを達成した自分自身です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 よって、「コーチングは(情報場にアクセスすることで)時空を超越して本当の自分に出会うためにある」ともいえるかもしれません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20576958.html

 

 本当の自分に出会う

 

 …いよいよ2020年が幕を開けました。

 今年を「本当の自分に出会う」すばらしい一年にしてみませんか?

 

 夢や希望があるかぎり、そしてコーチングの知識とスキルを磨きあげるたびに、それらはきっと現実化していきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15395021.html

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 「Field of Dreams」の球場で開催されるMLBの試合は、シカゴ・ホワイトソックス対ニューヨーク・ヤンキースです。映画に登場する“シューレス”ジョー・ジャクソンが八百長事件に関与したとしてMLBを永久追放された時に在籍していたのがホワイトソックス(ブラックソックス事件)。そのホワイトソックスが、“シューレス”ジョー復活の地で試合をします。

きっと、いろいろな人たちが、様々な思いとともに、その試合を見守るはず。かつての「Dreams」とともに。

8か月後、情報空間の「Field of Dreams」は、物理空間の「Field of Dreams」として、本当に現実化します。

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19678041.html

 

 

MLB at FIELD of DREAMS(Bloomberg)

MLB at FIELD of DREAMS

Chicago White Soxのtwitterから引用

 

 

Q-120:情報空間の移動と身体の軸について

 

 御質問をいただきました。ありがとうございます。

抜粋した下記部分について、回答させていただきます。

(プライバシー保護の観点で、今回に限らず、変更を加えてあります)

 

Q整体について調べてみました。そこで緩めることと身体の軸(背骨、重心の位置)が大切だと教わったのですが、私の感覚では身体の軸が固まってしまうと情報空間の移動が困難になる感覚があります。軸を意識にあげさせて洗脳されてしまうのではと感じました。

先生は情報空間の移動と身体の軸についてどうお考えになりますでしょうか?

 

A:身体から心に、すなわち物理空間(次元)から情報空間(次元)に、アプローチできるのは事実です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

物理的身体は生命(現象)という情報的存在の物理空間への写像であり、そもそも「体と心」「脳と心」「脳と体」は同じものだからです。表記する抽象度の違いにすぎません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 

 古武術では物理空間でのコンタクトによって、一瞬で情報を書き換えます。気功では物理に近い情報空間での操作によって、物理とより高次の情報を同時に書き換えます。よって、「軸を意識にあげさせて洗脳されてしまう」ことは起こりえると思います。ただし、それは苫米地理論と縁がない人の話です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 まずは逆腹式呼吸を行いながらリラックスを維持しましょう。その上で、「絶対はなく(不完全性・不確定性)、すべてはマインドがつくりだしている」という事実(縁起)を理解していれば大丈夫です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

なぜなら「身体の軸」も空(くう)であり、自分次第だからです。私はそのように考えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

 御質問ありがとうございました。

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

ブログ・シリーズ編

S-03:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~

S-03-10:「すさまじい“怒り”のエネルギーはどのように発散されたのか?」の「すさまじい」について

 

シリーズ編第3弾(S-03)は、「心のエネルギーとは何か?」をテーマに、怒りに代表される情動の正体やその向き合い方について考察したいと思います。ぜひ皆さん自身の経験を振り返りながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-035):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19792909.html

 S-03-00(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

 

うつは「心のエネルギー不足」といわれています。その“エネルギー”とは一体どんなものなのでしょうか?

私は「『心のエネルギー』は概念(情報空間)の階層の高低差から生まれる」と考えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20276623.html

 

2011615日、カナダのバンクーバーで、100人以上が逮捕され、130人以上の市民と9人の警官が負傷(うち12人は刃物での刺傷)するという事件(暴動)が起こりました。そのきっかけは“アイスホッケーの試合”でした。

では、すさまじい“怒り”のエネルギーはどのように発散されたのでしょうか?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20377205.html

 

「すさまじい“怒り”のエネルギーはどのように発散されたのか?」を、1)すさまじい、2)“怒り”、3)エネルギー、4)どのように、5)発散された、の5つに分けて考えたいと思います。

S-03-063)エネルギー」:

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20477304.html

 S-03-074)どのように」:

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20575883.html

 S-03-085)発散された」:

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20682042.html

 S-03-092)怒り」:

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20779253.html

 

 

最後は「1)すさまじい」について。

エネルギーそのものは、「概念(情報空間)の階層の高低差」から生じています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20276623.html

 

しかしながら、このケースでは、そのエネルギーが“すさまじい”ほどに燃え広がりました。その理由として、私は3つの要因があると考えています。1つ目は「重要性」、2つ目は「希少性」、そして3つ目は「ホメオスタシス同調」です。以下、簡潔にまとめます。

 

カナダ人にとって、アイスホッケーは特別かつ重要なものです。なぜなら、カナダの国技だから。国技とは「国家が特別の地位・待遇を与えるもの」(Wikipediaより)であり、法令で定められています。

対するアメリカ合衆国には法令で定められた“国技”はありません。Wiki.には「国民に親しまれて国の文化に重要とされるもの」として、ベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボール、そしてアイスホッケーがあげられていますが、厳密にいうとそれらは国技ではありません。

カナダ人にとってのアイスホッケーの重要性が、エネルギーを発火しやすくしたといえます。少し大げさに言えば、それはカナダ人の(評価関数としての)“自我”です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

2つ目の「希少性」は「タイムラグ×優勝」だと考えてください。カナックスは1982年と1994年の2回、スタンレーカップの決勝に進出しています。1982年は完全に敗北。それから12年後の1994年は33敗で迎えた最終戦で惜しくも敗れました。つまり、2011年は18年ぶりにようやくつかみ取った初優勝のチャンスだったのです。

3-3での最終戦を地元で迎えたファンの期待が、その希少性によって、エネルギーをさらに燃えやすいものへと変えました。

 

ホメオスタシス(Homeostasis)とは、「恒常性維持機能」と訳される生体の働きのことです。外部環境の変化にかかわらず、体温や血圧、心拍数などをある一定の幅に保つことができるのは、この機能によります。

人間の場合は、進化の結果として、ホメオスタシスの能力が物理空間から情報空間にまで拡張しました。その事実を世界に先駆けて提唱したのは認知科学者 苫米地英人博士です(「サイバーホメオスタシス仮説」)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 そのホメオスタシスは、なんと、同調します。それは人間の特性であり、「心理的感染効果」や「ラポール(rapport)」として知られているものです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20377591.html

 

「カナックス」より一段上の「カナダのチーム」というフレームで通常より大きなエネルギーとして蓄えられたとはいえ、そしてそれが重要かつ希少だったといえ、たった1人の話であれば町中が炎上するような事件にはならなかったはずです。商店のガラスを割った時点で「ハッと我にかえり(あるいは叱られて)おしまい」です。

 

事件当日の写真を確認すると、多くの若者がともに行動しているように見えました。10数人が協力して車をひっくり返している写真がありましたが、その時若者たちは「怒り」を共有していたと考えられます。それぞれの「怒り」がシンクロし「すさまじい怒り」に燃え広がりながら、そして抽象度を下げながら、さらに拡大していったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

「朱に交われば赤くなる」という言葉のとおり、怒りが感染・拡大し、バンクーバーの町が赤く炎上してしまいました。もちろん、その「怒り」とは、「動物的怒り」であり「私憤」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

 

ここまでの分析をシンプルにまとめると、A)概念の階層にエネルギーが生じる→B)無意識レベルでエネルギーを知覚→C)意識化(エネルギーの情動への転換)→D)物理次元で発散、といえます。

 

では、「怒り」に支配されないためにはどうすればよかったのでしょうか?

 

次回から、「『心のエネルギー』のコントロールの方法」について考えていきましょう。

 

 (S-03-11につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 「日本の国技は?」と聞かれたら「相撲」と答える方が多いと思いますが、じつは、日本には“国技”は存在しません。法令で定められていないからです。

 そもそも国技を法で定めることは妥当なのでしょうか?

 

 マナー、ルール、モラルについては下記ブログ記事で↓

 S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_368012.html

 

 

F-117Field of Dreams <前編>

 

 ある日聞こえてきた“声”にしたがいトウモロコシ畑に野球場をつくった人の話を御存知でしょうか?

それは映画「Field of Dreams」で描かれたストーリー。

 

 1989年に公開(日本では翌年3月)された「Field of Dreams」は、ウイリアム・パトリック・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を原作に、ケビン・コスナー主演で製作されました(監督・脚色:フィル・アルデン・ロビンソン、音楽:ジェームズ・ホーナー)。第62回米国アカデミー賞で作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネートされています。

 以下、Wikipediaからの引用です。

 

 あらすじ

 アイオワ州の田舎町に住むレイ・キンセラは農業でなんとか家計をやりくりする、一見普通の貧乏農家。ただ、若い頃に父親と口論の末に家を飛び出し、以来生涯に一度も父の顔を見る事も、口をきく事すらなかった事を心の隅で悔やんでいる。

 ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑を歩いているとふと謎の声(“If you build it, he will come=「それを造れば、彼が来る」)を耳にする。その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を造り上げる。

 その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場に見つける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放にされ、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった

 

 公開当時、私は映画館で3回観ました。毎回号泣です。予告を観た段階から心惹かれていましたが、繰り返し観るたびになぜか感動が大きくなっていきました。DVD化されるとまた観て泣き、BDで観てさらに感動する もう何回この映画を観たことでしょう。間違いなくStar Warsに次いで観ている映画です。

 

 先日、久しぶりに「Field of Dreams」を観直してみました。認知科学者 苫米地英人博士に学んでいるからでしょうか、スコトーマが外れ、クリアなイメージがどんどん湧き上がってくるような感じがしました。そのイメージを前・後編の2回に分けてまとめます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 

 主人公のレイ・キンセラ(ケビン・コスナー)は、自分の家と畑を持ち、妻や娘と幸せに暮らしているように描かれています。現状が、文字どおり、コンフォートゾーンになっている感じです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 そんな生活の最中、突然、“声”が聞こえてきました。その日からレイの心は揺らぎはじめます。このまま続く未来(=現状、SQ: Status Quo)とそれとは違う“声”に導かれた未来との間に不協和が生じたのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 “声”に導かれた未来とは「トウモロコシ畑の場所に野球場がある」という突飛なもの。そんなビジョンをはっきりと見てしまったレイは、妻に「野球場をつくりたい」と打ち明けます。妻の答えはYes。その瞬間、レイの思いは夫婦共有のゴールに変わりました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 「何の得があるのか?」「どんな利益が得られるのか?」など一切問うことなく、レイは大切に育てていた生活の糧であるトウモロコシ畑をひたすら野球場につくりかえていきます。そんな様子を遠巻きに観察しながら、まわりの人たちは蔑みます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 でも、レイはまったく気にしません。それは妻の強力なサポートによりエフィカシーを高く保てたからに違いありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 そして、野球場をつくった費用とその分の畑の収穫減少で経済的な苦境に立たされた頃、伝説の野球選手“シューレス”ジョー・ジャクソンが現れます。かつて見たビジョン(イメージ)のままに。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 最後までコーチの視点で解説したいのですが、ネタバレになるのでここまでにします。続きは後編で、少し抽象度を上げて考察します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 20代の頃、私は、「父親との絶望的な関係」「野球への思いと医師という職業選択」「取り返せない過去に対する後悔」など、自分の境遇といくつか重なっていることが感動の理由だと思っていました。臨場感が高く、感情移入しやすかったのです。

実際、その後の人生で辛く苦しい時に、救いを求めるように観ていました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124523.html

 

 今思えば、“変えられない”過去の記憶でつくられた“自分”を肯定したかったのだと思います。それは現状のコンフォートゾーンの肯定。その肯定が壁を生みだし、思考停止につながっていました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 「Field of Dreams」を思う時、私の意識は「Dreams」の方にありました。「叶うはずはないけれど、そうなったら最高なイメージ」という意味での「Dreams」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

F-118につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1-

 臨場感が高く、感情移入しやすかった

 「臨場感」に関連して、映画「Field of Dreams」にまつわる興味深いエピソードを御紹介します。

 

Field of Dreams」が公開された頃のケビン・コスナーは、「アンタッチャブル(The Untouchables)」(1987年)、「追いつめられて(No Way Out)」(1987年)、「ロビン・フッド(Robin HoodPrince of Thieves)」(1991年)、「JFK」(1991年)、「ボディガード(The Bodyguard)」(1992年)と立て続けに主演映画がヒット。さらには初監督兼主演を務めた「ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)」(1990年)にて米国アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀監督賞を獲得するなど、俳優として、クリエイターとして、まさにキャリアの絶頂期にいました。

 

そんな時流に乗って「Field of Dreams」もヒットしましたが、それはアメリカ本国や日本など野球が盛んな地域に限定されたそうです。野球や野球場といったものに縁のない地域でヒットしなかったのは、関連する記憶(情報)が乏しく臨場感が低かったからと思われます。RAS/スコトーマの原理により、認識しづらくなったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

-追記2-
 「Field of Dreams」の前年に出演した唯一の映画も野球関連の「さよならゲーム(Bull Durham)」でした。アメリカや日本での人気爆発の一方で、ヨーロッパなど野球が盛んではない地域ではすっかり忘れ去られていたそうです。
 この事実
は「縁により起こる」という縁起の理を示しているといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

Field of Dreams(wiki)

映画「Field of Dreams」オープニングタイトル

Wikipediaより引用

 

 

Q-119:「ありのまま」とは?

 

Q-117(「コーチングは変わるためにあるものではない」の真意とは?)にて、「ありのまま」について考察しました。関連していただいた御質問への回答です。まずはQ-117を御確認下さい ↓

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20576958.html

 

 

Q:ありのままとは「リラックス(現状の内側)」、「認知不協和時(現状の外側)」のどちらをさしているのでしょうか?

 

A:前回(Q-117)書いたとおり、基本的には、私は「ありのまま」をABの「→」と考えます。よって、「A」≒「リラックス(現状の内側)」でも、「B」≒「認知的不協和時(現状の外側)」でもないと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 ここで誤解しないでいただきたいのですが、ABがいけないという意味ではありません。その時の状況により、「ありのまま」はAともいえるし、Bともいえます。

 そして、その状況を決めるのがゴール(あるいはサブゴールやエンドステート)です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14973460.html

 

私が重要だと思っているのは、「Aのまま、あるいはBのままでとどまらない」ということであり、より高い抽象度次元を志向するベクトルです。それを「→」としています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 例えとして「寒さで冷え切っている状態」をイメージしてください。

冷え切った体を温めるためお風呂に入ります。湯船につかりながら徐々に体が温まっていきます。すっかり心地よくなりとてもリラックスした状態がAです。

Aに至る前に(あるいはAになった瞬間に)風呂をでると風邪をひくかもしれません。その一方で、あまりにも長くAの状態を維持すると体がのぼせてしまいます。

ほどよく温まったら自らの自由意志と責任で風呂からでる

それが「→」であり、「ありのまま」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

私自身も含めてですが、多くの人や組織が無意識下で心地よいAを維持しようとし続けます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

ところが、風呂のお湯は必ず温度が下がっていくように、縁起空間は必ずダイナミックに変化していきます(無常)。Aに留まり続ける人や組織は時代の変化の波に飲み込まれることになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10829222.html

 

反対に、「→」を志向し続ける人や組織は、そんな変化の波に乗りむしろ加速することができます(サーフィンをしたことがある人は、波に乗ったときの一体感、エネルギー感を思いだしてください)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 ところで、乱暴な言い方ですが、うつ状態などと表現される元気を失った状態は「寒さで冷え切っている状態」です。そのときはしっかりと「お風呂につかる」ことが大切。「お風呂」に相当するものが薬でありヒーリングです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14400982.html

 

適切な対処でAの状態(リラックス)になったら、まだあたたかいお風呂の中で「B」「C」「Dをいろいろイメージしてください。もちろんゴールごとの未来(可能世界)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14524490.html

 

程よく温まって風呂から出るときが、「→」であり、「ありのまま」です。

 まずはしっかりと温まる(ヒーリング)。そして、未来を楽しく考えながら、すっかり温まったら風呂から出る(コーチング)。その一連の思考と行動が自然にできることが「ありのまま」だと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 御質問ありがとうございました。

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 「より高い抽象度次元を志向するベクトル」は、とてもとても重要です。それは教育の現場のおいては「人間形成」の鍵となります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 そのさらに先(上)には悟りがあるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 

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